ざつがくのおいど Back Up

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■明治以降

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■明治

自由民権運動: 薩長藩閥政治に対抗して「板垣退助」「後藤象二郎」らにより「民選議員設立建白書」(1874年)が提出された。

日清戦争:1894〜95(日本対清)朝鮮の内紛につけ込む両国の支配権争いで戦争に至る。結果日本が勝った。

95年、( )条約で講和。

下関

これに対して、同じく中国での利権を争っていた欧米列国のうちドイツロシアフランスの3国が遼東半島の(清への)返還を 要求し日本はこれをのんだ。代わりに償金3千万両を得ている(三国干渉) これら補償金によって日本は「資本主義経済」の成立が可能になり(金本位体制への移行)、 また官立八幡製鉄所など鉄鋼の国産を開始、軍備拡張を進めた。

■大正

大正デモクラシーが高揚した時代には、議会を軽視する内閣への反発から(ホント?) 「護憲運動」が盛んになり、本格的な政党内閣が誕生した。

立憲政友会の原敬: シベリア出兵決定とそれに伴う(軍需物資としての兵糧)米の投機的買い占めにより 米価が高騰。富山県かを中心に「米騒動」が起きた。 これを受け寺内内閣が総辞職した後、1918年立憲政友会の原敬が政党内閣を設立。 彼は非華族では初の首相であったために( )と呼ばれた。(後に暗殺される)

平民宰相

<私見>〜〜そういえば「伊集院少尉(はいからさんが通る)」もシベリアに行ってたっけ。

■昭和

日本の社会科は過去から順番に学習します。他の国では逆に現代からさかのぼって行きます。 これは、日本という国が島国で侵略された歴史がなく変化が少ないからかもしれません。 日本では、昭和史や戦後史が歴史の試験に出てくることはほとんどありません。

<私見>〜〜第一次世界大戦までは、戦後賠償が一般的に行われていました。 勝った国は負けた国からお金や領土がもらえました。 日本も日清戦争と第一次世界大戦によってアジアに領土を広げ他国を併合しました。 賠償金で工場を建てさらに国力を増しました。 その後いい気になりすぎて第二次世界大戦ではアメリカにボロクソに負けました。 しかし、日本は無条件降伏をしたにもかかわらず、第二次大戦後賠償金を払っていません。 なぜでしょうか。
一つに、東西冷戦を見据えて日本の位置がアメリカにとってソビエト(現ロシア)を牽制する位置にあったこと、 もう一つは、第一次大戦後多額の賠償金を取られたドイツが膨大なインフレに苦しみ、結果 ファシズムの台頭を招いたことを反省したため、と考えます。
戦後、NHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」に出演した親父たちと、 まだ出演していないけど同じように汗水流した親父たちによって、 奇跡の戦後復興と海外から呼ばれた日本の経済成長がなされました。 日本型経済成長モデルは多くに発展途上国に伝えられ、アジア全体の技術レベルアップを促しました。

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