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■日本史略(封建制)

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■鎌倉(1192〜)

鎌倉幕府設立時に採用した政策:幕府は治安維持及び年貢の徴収を目的として、御家人を守護や地頭に任命した。 守護は治安維持を、地頭は年貢の徴収を担当した。〜〜泣く子と地頭には勝てない

鎌倉幕府:日本で初めての武家政権。1192年の源頼朝の将軍就任から1333年の( )滅亡までをいう。

北条氏

<私見>〜〜ということになっている。実際は大和朝廷だって「武家」のようなものだったはず(原始的な封建制)。 貴族化してしまったために以後現在に至るまで政治の実権を持っていない。 明治政府での実権も同じ。明治革命政府が徳川氏以上の権威を自ら作り出せなかったため、天皇を担ぎ出したにすぎない。 また太平洋戦争で負けた責任を、実権を握っていた軍幹部が負ったのは至極当然。

■室町()

室町時代の農民一揆:室町時代に起こった一揆を農民一揆または( )という。

土一揆

(補足:のちに秀吉の刀狩り以降、兵農分離が行われてからは一揆の形が変わり「百姓一揆」と呼ばれる)

室町時代の商業:日明貿易(永楽通宝)、六斎市(定期市:交換経済)。 港湾や重要都市に居住し物資管理と中継取引を行う「問丸」。

また朝廷・貴族・寺社から特権(独占権や課税免除)を手に入れた同業者組合( )ができた。

■戦国・安土・桃山()

豊臣秀吉の政策:楽市楽座の継承、身分統制(兵農分離)、検地(太閤検地)、刀狩令(土一揆の防止)

<私見>〜〜室町時代から商業の発達の兆しは見られていた。現在でいうところの「法人税」が 導入される素地は安土桃山江戸初期には十分あったはずである。 しかし、徳川幕府は身分制度を士農工商として商人の名聞的な地位を貶めて租税を取ろうとはしなかった。 結局武家政権による封建制度では「農戦」を改革できなかった。 この「農戦」とは、国家財政の方針を指す言葉で、中国春秋時代、秦の宰相

■江戸()

徳川幕府(江戸幕府)の外交政策:( )

鎖国

外様大名である西南諸国の大名が貿易によって財政を豊かにしていくのをおそれた。封建制の維持が目的。

元禄文化: 世界でも珍しい「町人文化」(民衆文化ではない) 中国の「演義もの」観劇など貴族を主体としない芸術文化。

化政文化との違いに注意

化政文化: 中国から「南画」が伝わり、文人画として流行。池大雅や俳人としても有名な与謝蕪村によって大成。 一方もとの写実技法と西洋写実主義の影響を受けた円山応挙は写生画を大成して「円山派」を 松村月渓は四条派を形成した。西洋画も伝えられ、司馬江漢は銅版画とともに油絵を描いた。 江戸の谷文晁は、文人画と写生画をあわせて独自の画風を築き、渡辺崋山とともに名作を残している。

木版画の浮世絵は「多色刷りの錦絵」が鈴木春信によって発明され、 美人画に喜多川歌麿、役者絵に東州斎写楽、風景画の葛飾北斎・( )〜東海道五十三次〜が出た。

安藤広重

つまり、元禄文化の代表は「小説(浮世草子など)」・日光東照宮・芭蕉の俳諧、 化政文化は現代でもコレクターの多い骨董美術品関係。

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