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■ローマ史略

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ヨーロッパ史上最も重要な位置を占めるのはローマ帝国と言っていいと思います。 (昔の受験用世界史はヨーロッパ史が中心だったため、ローマ皇帝の名前や教皇名を覚えるのに人生の不条理を呪ったこともあります。) ローマ帝国の領土と存在期間はヨーロッパ史においては最も広く長いのです。 広さと長さを兼ね備えているという点では、世界史上で最も長大な帝国ともいえます。 ローマは紀元前6世紀末に建国され、その後東西帝国に分裂しますが、 本家(ローマを首都としていた)西ローマ帝国は5世紀に滅びました。これで約1000年もの間存続していたことになります。 東ローマ帝国(ビザンツ)まで含めるとその滅亡が15世紀なので、なんと2000年間存在していたことになります。 大和朝廷もビックリの長さです。(大和朝廷も、もう少し早く文字を創設して史書を持っていれば対抗できたかもしれませんが…、 まあでも記録更新中なので。)

■共和制から帝政へ

ポエニ戦争は地中海国家の( )との戦いです。

カルタゴ

ローマ拡大の原因、ポエニ戦争: 2度にわたる戦争に勝利したローマはカルタゴの領土を得ました。それは、イタリア西側の島(サルジニア島など)や アフリカ北岸からイベリア半島の一部にまたがる広大な土地で、これらを支配するために ローマは植民地総督や徴税請負人といった地位を作りました。彼らは次第に特権富豪階層化していき、平等だった共和制 ローマに身分階層が生まれました。富豪層は植民地経営のための奴隷とさらなる富を求めて戦争を行い、 それが領土拡大につながりました。ローマはこのときから変質しました。

帝政ローマ:富豪層の中でも多くの私兵を持つ有力者がローマの国政を支配するようになり、 紀元前27年、政争を勝ち抜きオクタビアヌスがローマの初代皇帝となります。 また対外進出、侵略戦争はさらに加速し、このことから「帝国主義」とは軍事力によって領土を拡大、植民地化する国家政策を指します。

■東西ローマに分裂

2世紀にはフランスやイギリス、地中海沿岸全域までふくむ広大な領土を持ちました。 この間にエルサレムのユダヤ人をはじめ多くの民族がローマ帝国に滅ぼされ(奴隷化)ています。 4世紀末に東西ローマに分裂。東ローマ帝国はコンスタンチノープルに首都をおきます。

その後5世紀に西ローマ帝国は( )によって滅ぼされました。

ゲルマン人

ローマ帝国と神聖ローマ帝国は全く別物です。ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン民族の子孫がカトリックに改宗し、 ローマ教皇から神聖ローマ皇帝の名をもらいました。神聖ローマ帝国の中心は現在のドイツです。

■大帝国ならではの文化

ローマの文化は、ギリシア文化がその根底にありますが、併合された諸国の文化も融合されています。 ローマがオリエントからイギリスまで支配した広大な帝国であったために、ローマ文化は ヨーロッパ的なものとしてその後も各文化の基礎として受け入れられました。

後のイタリアの( )〜文芸復興運動〜の対象もローマ文化であったのです。

ルネサンス

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