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趙文伝 壱

このページは、仮想三国志8のプレイ記が書かれています。ページ作者以外にはどうでもいいような背景については、 を参照してください。

■217年 4月 最終決戦の前夜

華北をほぼ制覇し最前線の地からあっという間に後方都市に成り下がってしまった幽州。 趙文は急ぎ劉備に書簡を出しなんとか前線の一つである汝南太守の座に就いた。

※これは非常に運が良かった。趙文はとにもかくにも前線で一働きする必要があり、 異動を願ったのであるが、直後(同一月)にCOM軍団長が人数バランス修正の必要から、なんと、ときの汝南太守を 別都市に異動させたのである。この措置に伴い趙文がまた幸運にも太守に選定されたのである。

太守の地位についた趙文は、呉に攻め入るべく準備をすることにした。手始めは部将の異動願いである。 攻略したばかりで治安に不安のある華北に武官を送り後方の安定を図り、一刻も早く軍需物資の 前線輸送を開始させるという内容の書簡を劉備に申請し、了承された。

※これは表向きの理由。実際にはCOM軍団長は常に人数バランスだけを気にするため、 雑魚部将が多いと新しい部将が補充されない。これでは 局地戦ならまだしも総力戦となった時に部将の質で差が出てしまう。 太守になった場合は、雑魚部将はなるべく他都市に送り出し、次の季節の補充に期待したいところだ。

秋になった時、夏候淵など第一戦級部将の配備を受け、とうとう冬には呉に攻め入ろうとした趙文であったが、 まさにその時、終わりの時が来た…。

※降雪のない河南では冬に戦争を起こしても影響がない。

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