【 2010-11/20 香嵐渓紅葉と昭和村・犬山城 】
早朝5時半過ぎ5人を乗せた車で、暗闇を一路西へ向かう。
30分も走ると段々と薄明るくなってきた。
先回の旅で故障したビデオカメラも修理が終わってまたお伴をしてくれている。豊田JCTを
北上し香嵐渓へと進むが、8kmほど手前から車の流れが悪くなり始めた。
少し走っては止まることを暫く繰り返した。
こんなに朝早くから混んでいるのかと思いながらも一本道を走る。
目的地からはまだまだ手前の駐車場の呼び込みを横目で見て暫く走ると、今度は目的地の
駐車場が「満車」表示だ。
少し先の民家の駐車場へ車を入れ、車を降りるとぶるっと来る冷気に思わず肩も上がる。
そう言えば山間の道路脇の草むらは霜で白かった。
駐車場の人にもらった案内マップに従って紅葉を見て回る事にする。
人出は思ったほど混んではいなかったが、ビデオ・写真を取りながら進むうちに皆とはぐれ
一人旅となった。
やはり日陰の紅葉よりも太陽の光が射す所の方が鮮やかで素晴らしい!
手袋なしで歩くとさすがに手は冷えるので、片手を尻のポケットに突っ込んで歩きながら
ビデオと写真を取って歩く。
2時間ほどかけてほぼ一周して元の所へ戻って見ると相棒たちはまだ戻っていなかった。
早朝、日の当たる前に歩いた所をもう一度見て歩くと、日の当り出した所はやはり鮮やかな
色取りに変わっていた。
日当たりのよい土産物屋の店先で待つこと暫し・・
やっと相棒たちが戻ってきた。二手に分かれて探しながら戻ってきた様だった。
「携帯に電話すれば良かったな」と思ったが、急ぐ旅ではないし・・
そこから東海環状道路を走り「昭和村」へ。
ここの村長は中村玉緒だそうで、玉緒の家へ行って見た。「村長、今日は居りますか?」と
聞いて見たら「今日は東京に居ります」との回答だった。
BGMに流れる昭和の歌を聴きながら中を散策、みやげ物店を覗くと暫くは出てこない
ご夫人方を待ちながら休憩したりして見て回ったのです。
帰り道、犬山市の国宝・犬山城へ寄った。日も傾きかけて少し寒くなってきたが、階段の踏み
板もすり減って角が無く、滑りそうな梯子の様な急な階段を、人の波に繋がってアリの行進の
様に天守閣を目指して登ったのでした。
犬山市の夕景を眺めながら天守閣の外回廊を一周りしてきましたが、欄干は腰より低いので
躓くと落ちそうな気がします。
帰りは中央道・小牧東IC経由で走り慣れた東名高速道路へ入り、いつもの様に無事な旅が
終わりました。
【 2010-10/22-23 南紀・熊野白浜と歴史的建造物 】
【第一日 10/22】
曇り空のまだ薄暗い早朝5時半、家の近くまで回ってくれた車に乗り6人で「宜しく!」と云う
挨拶で出発する。いつもの様に「寝付きは?目覚めは?」の挨拶が交わされる。
明るくなり道路も混雑が始まる。伊勢湾岸道でビデオを撮り始めると、何かおかしい。
停止ボタンを押しても停止してくれないのだ。
困った挙句に電源を切って止めたまでは良いが、ビデオカメラ(動画)はその後言う事を聞か
なくなってしまった。再度撮影スイッチを入れても撮影可能時間の表示もゼロ表示となり点滅
しているだけでダメ。古いデータを削除すれば?と試みてもダメ。困った事になってしまった。
ひと月ほど前にアンケートを条件にモニターで購入したV社製「メモリーカメラ」なるものを
今回はデジカメとして初めて持参した。 これは動画も撮影できるのだが、操作がまだ慣れて
いないのだ。 動かないものは仕方がない、マニュアルを読んで覚えた程度だが、これで撮る
しかない。
折りたたんだ携帯電話と大きさもレンズの位置もほぼ同じなので、扱い勝手も余り良くない。
練習のつもりでSAやPAで休憩の度にビデオ撮りをする事にした。
そんな事に気を取られているうちに、運転する相棒がJCTでトラックを追い越し、おいおい
と思った時はもう遅い。分岐するJCTを通過してしまい行きたくない伊勢方面へ足を伸ばし
てしまった。
高速を降りて道の駅から運転を交代。42号線を一路南下、「赤鬼」の立つトンネルを左折し
て駐車場へ。途中で買ったお弁当を持って松本峠の入口まで歩く。
熊野古道・松本峠の登り口から(私以外は)竹の杖を頼りに石の階段を登り始めたが、
傾斜もやや緩やかになった所の石畳は苔むしていて滑りそうだ。
80歳を超えた長老の同行者にはチト辛そう。歩調を合わせて20分ほどで峠に到着し、
しばしの休憩。後から登ってきた四日市から来たという中年の夫婦と立ち話をして別れた。
木の根で自然にできた階段の遊歩道を少し登り見晴らしの良い東屋へ着いた。
東屋から見る熊野灘は東側も開けて尾鷲方面が、また西側に見る七里御浜は、パンフレット
の写真と説明の通り絶景であった。
景色を眺めながら、持ってきたちょっと遅めのお弁当に舌つづみを打つ。
尾根からの景色を見ながらの下り道を降り駐車場を通って、「鬼が城」まで歩く。
浸食した岩場を見ながら散策して、再び42号へ。ここからちょっと先の「獅子が岩」を
見て一路潮岬へ向かう。
予定コースを外れるトラブルや、トイレ休憩毎の売店探索でこの頃には既に予定時間より
2時間近く遅れが出ていた。
潮岬へ着いた時には16時になっていて灯台の観光は時間切れで見られない。
宿にも「少し遅くなる」旨電話してから周辺を少し散策してから宿へ向かった。
宿に着いたのは予定時間より3時間ほど遅い18時少し前だった。
これでは見る予定の所も見る事は出来ない。(反省)
宿に着くと受付嬢が出迎えてくれた。手続きの後、一服して夕食に向かうと大勢の宿泊客が
既に楽しそうに食事している。
我々も席について飲み物を注文し、ビデオを撮りながら「乾杯!」。
宿のお姉さんが。「写真撮りましょうか?」と言ってくれたので、お願いした。
少し飲んで、腹いっぱいになるほどの料理で満足、満腹に・・・。
部屋に戻ってちょっと休憩し、テレビを横目に明日の予定を確認し、白浜自慢の温泉へ。
少しヒヤッとする露店風呂へ入ると肌がつるつるしてくる。かけ流しの温泉はいい。
南紀白浜はやはり温泉地なのだと感じた。 風呂から上がってビデオの状態を確認して
見ると、慣れていない割にはそこそこ撮れている様だった。
セ・リーグのCS(クライマックスシリーズ)をやっていたが、朝早かったし、疲れも
あって眠くなったので早めに横になったらすぐに瞼が仲良くなってしまった。
【2日目 10/23】
薄明るくなってきたので、いつもの様に「旅の特権」朝風呂へ行こうと寝ている二人に
「風呂行くよ〜」と声をかけるも良い返事が無い。 仕方ない一人で行くかと支度をして
いたら長老が「おれも行く」と着いてきた。
やはり朝の露店風呂は最高〜、今日の活力も湧いてくる。
食事前に宿の前の海岸・千畳敷へ散歩しながら散策をする。波で浸食された岩場は自然の
造形美が醸し出されている。
ビデオと写真を撮りながら岩場の先端近くまで降りて見た。早くから釣りをしている人、
観光客も早くから見に来ている。
朝食はバイキング。好きなものが好きなだけ・・・ 欲張ると体には良くないと思い
ながらも結果は満腹になっているのだ。 旅の時くらいは仕方ないか。
一服をして荷物をまとめ、宿をあとにした。
昨日来た道を10分ほど戻り断崖の岩場「三段壁」を見る。
飛び込む人がいるのか「思い止まるように」促す表示板もある。
グラスボートで湾内を見る予定だったが、駐車場へ停めて乗船しようとしたがちょうど
出航してしまった。
ここで1時間留まると後の行程に支障が出るのでここはあきらめる事に・・
車へ戻る時に同乗者が後ろの方で駐車場の管理人と出合い何か話している、何といって
交渉したのか300円の駐車料金を返してもらってきた。
ここで発揮されたのはまさにおばちゃんパワーでした。
次の目的地富田林市・寺内町へ向けて一路北上する。
少し迷いながらも駐車場へ到着し、歴史的建造物の立ち並ぶ街並みを歩き、中を見学する
が、昔の生活が何となく分る感じがする。
最後の目的地・橿原市今井町ここも昔の町並みが立ち並ぶところです。
板塀・白壁・格子窓の造りでありながら現在も居住している家だそうです。
町並みを保つための手入れも大変なものではないかと感じます。
やはり予定時間は遅れ、ここでは余り時間は取れなかったが、帰路に就く事にした。
天理ICから亀山に向かい一路走るだけ。途中のPAでちょっとの休憩だけでまた走る。
亀山周辺の伊勢道は長い渋滞で低速道路になっている。四日市手前でやっと解消すると
後は順調に高速道路となり22時少し前に無事帰り着いた。
渋滞したり、遅れたりはあったが、今回の旅も「無事が何より」の旅であった。
座席後ろの荷物空間は良くこんない入ると思うほどいつもの様に一杯になっていました。
今回も6人の命を預かりましたが、予定が遅れた事より「無事が何より」の楽しい旅でした。
【 2010-06/24 京都宇治周辺散策 】
旅の前日、次の日に迫った旅が懸念される程の集中豪雨の様な雨が断続的に降り
続いたが、夕方には薄日も見られ「明日は快晴」と天気予報も味方に・・
早朝、と言っても曇り空でも夏の5時半はもう明るい。
予定通りに7人が1ボックス車に乗って出発。西に向かうに連れて雲が薄くなり、愛知県
に入る頃には青空に変わっていた。
第二名神に入った所でトイレ休憩、一休みしてから運転を交代した。
晴れるともう真夏だ!
京滋バイパスを経由して宇治東インターを出て少し走ると最初の目的地は紫陽花で有名な
「三室戸寺」、ちょっと早く着いたので開門前だった。
季節によりツツジ、石南花、ハス、紅葉といろいろな花が楽しめる所だ。
参道から下の遊歩道を埋め尽くす色とりどりの紫陽花を眺めながら本殿まで歩くと、
ハスの花も所々に咲き始めていた。
三重塔から遊歩道へ回って間近からの紫陽花を鑑賞して歩いた。
次の目的地「宇治上神社」へ向かうが、京都の裏道は狭い。
対向車が来るとすれ違いに苦労する。
小さい神社だったが薄板を重ねて葺いた反りのある屋根の造りに特徴のある建物で、
「国宝・重要文化財」に指定されていた。
細い道を下って宇治川を渡った所で、車を駐車場へ入れて次に主目的の「平等院」を
ゆっくり見て回った。
10円硬貨の表面に表示された鳳凰堂と見比べる人も・・。
中学生だろうか、修学旅行の団体の一部と重なり賑やかな見学となった。
来るときに駐車場から歩いて通った裏小路通りにこじんまりした食事処があったので、
そこへ寄り込んで自分の好みの膳を頼んだ。
時間に余裕があるから良いが、7人分の用意は時間も結構掛かるものだ。
まだ帰途に就くのはちょっと早いので、万福寺と醍醐寺(三宝院・五重の塔・霊宝館)
を観ながら帰途に就くことにした。
室内や庭園などの国宝・重要文化財はほとんどが撮影禁止となっているのですね!
醍醐寺ではちょうど「唐門」の工事中で金色の大きな菊の紋が見えていました。
そして駐車場へ向かう途中で、「駐車券が無い!」と探し始めた。
受付の近くでポケット、バッグ、手に持ったパンフまで調べたが無い。 困り果てて
いたら三宝院総門の受付の方が調べている様子を見ていたようで、「実は駐車券を
紛失・・」と言ったら「時々紛失される方があります」という事で駐車券をくれた。
「有難いこれで出られる」と皆でお礼を言って駐車場へ。
車に乗って出口へ行き、さっきもらった駐車券を機械に挿入する・・がすぐに戻って
くる。何回やっても駐車券は戻ってくる。
仕方なく傍にある電話で連絡すると「事務所まで来てくれ」と言うので、戻って行って
駐車料金を払ってサービス券を発行してもらいやっと駐車場から解放された。
帰りの道も通勤時間に重なり狭い道路に数珠繋がり、やっと抜けて京都東インターから
名神・東名高速を経由して家路に就きちょっとした駐車券のハプニングには見舞われた
が、今回も無事に戻って来られた京都の旅でした。
今日(7月6日に)ニュースを観ていたらこの醍醐寺の「唐門」、落雷のため破損して
工事中だったが本日完成したと報道されていた。
(あっ、見てきた所だ!漆黒に金色の菊の花と桐の紋が目映いばかりでした)
【 2009-01/29 「なばなの里」花とイルミネーション 】
御殿場高原のイルミネーションに続いて、もっと広くて奇麗だと聞いていた「なばなの里」の
イルミネーションを見に行くことにした。
朝の通勤ラッシュを避けて、ちょっと遅めに出発。
何度か走った湾岸道を四日市の手前で降りて「なばなの里」へ向けて走り、三重県桑名市
長島町にある「なばなの里」では真冬の競演、花とイルミネーションが開催されている。
温室で栽培されている名前も知らない沢山の花を見てから、ビールを飲みながら昼食。
ゆっくりした昼食の後、夕方まで休憩をしながら園内を散策。
夕方薄暗くなる頃には歩き疲れてしまった。
ベンチで休憩していると、ようやく灯り始めた色鮮やかなイルミネーションに、真冬の
夜の寒さも忘れるほど広大なスケールと鮮やかさに目を奪われながら隅々まで見て回り、
光の競演を堪能して来ました。
「ラクティス」での初めての長距離運転でしたが、走りはまあまあでした。
後で燃費計算をしたら17km/リットルでした。
【 2008-10/25-27 小豆島・琴平宮 】
【第一日 10/25】
午前3時半すぎ、周りの寝静まった中、予定より少し遅れて6人で出発。
高速道路の深夜割引が適用される時間帯にインターへ入り一路西へ向かう。
東名高速から湾岸道路を経由して第二名神に入る頃には漸く東の空も白けてきた。
大阪に近づくと「宝塚から工事渋滞8km」の表示に、早めに出発したとはいえフェリーの
時間が気になってきた。 走ったり止まったりを繰り返し、渋滞を通過するのに20分近く
掛った。
中国道・淡路道をトイレ休憩だけで通過して、鳴門大橋を渡る頃には時間も少しは取り戻し
たと思われた。
高松道へ入ると対面通行の区間の多さに見舞われ、またまた時間のロスが増えた。
高速を降りて、カーナビの案内で高松港のフェリー乗り場へ走るが、時間に追われて居る時
には悪いことは重なるもので、とりあえず携帯電話でフェリー乗り場へ連絡し、道を確認。
カーナビの案内を無視して道路標識を頼りに走ったことで、大型の貨物フェリーの乗り場へ
案内されてしまい、フェリーの出発時間まで25分を切ってしまった。
そこの守衛さんに場所を教えてもらい、街中を必死に走ることおよそ10分、やっと見つけ
たが入口が分からない。
そこでまた入口を探してうろうろ。フェリー乗り場へ到着したのは出発の15分位前だった。
(この辺りは案内標識が不親切!)
フェリーは着岸の準備をしていた。車検証を持って、乗船券を買う間もひやひやのし通しだ。
切符をもらい車まで戻ると直ぐに乗船が始まった。本当の滑り込みセーフだった。
同乗者はなぜか落ち着いていたようで、私だけがホッと一息ついたのでした。
乗ってしまえば今までの心配も笑い話になる。(単純なものだ!)
海の上の1時間で、デッキに出てビデオ撮影や、話が弾むとやっと落ち着いたのでした。
小豆島・土庄(どのしょう)港へ着いて予定のコースを見て回る。8階建てビルの大きさ程
の大観音、頂上付近は断崖・絶壁の少し紅葉した寒霞渓をロープウェイで往復し、ゆっくり
見て回った。
寒霞渓から下る道からの景色を見ながら(私は運転手なのでチラチラッと見ただけで)海岸
へと向かう。宿の近くにある「二十四の瞳館」「二十四の瞳映画村」を見て宿へチェックイン。
時間も少し早かったので少し離れたところにある「オリーブ公園」「オリーブ園」へ行った。
明日「オリーブ100年祭」が開催されるので是非見に来てほしいと誘われた。
薄暗くなって来た道を宿へ向かった。
楽しみにしていた夕食の時間、取りあえず冷えたビールで乾杯。新鮮な魚介の料理に舌鼓
を打ちながらそれぞれが予約しておいたメインのステーキ・アワビ・海鮮握り寿司、等を
味わい、もう満足・満腹であった。
来るときの「心配談?」も矢張り笑い話になっていた。
【第2日 10/26】
自宅との違いを感じて目が覚めると何か雨の様な音がする。
この4〜5日間は好天の予報だった筈。戸をあけてみるとやっぱり雨音だった。小降りでは
あったが朝の散歩は出来ず、また横になった。朝食の時にはほとんど上がっていた。
夕べあれだけ食べたのに朝食もおかわりでした。一服の後、宿に別れを告げ、オリーブ公園
の100年祭を見ることにした。露店を見て回りお土産を買い、フェリーの時間を気にしな
がら昨日見過ごした「世界一狭い海峡・土淵海峡」を見て乗船場へ向かった。
少し余裕があったのでトイレと売店のお土産を覗きフェリーの客となった。
雨も少し落ちて来たので船室からの景色を眺めながら(居眠りも含め!)一時の休息。
高松港から高松西ICを経由して琴平宮へ。780段の石段を登る前に名物の「讃岐うどん」
で腹ごしらえをしてから出発することにした。
同行者6人のうち3人は竹の杖を借りて(私は無しです)さぁ出発。石段の数も途中まで
数えたが、途中で話に花が咲くと「あれ?」となり、本殿までの数はパンフレットや人の
話で推測することに・・・。
ビデオ撮影しながら歩くとどうしても最後になってしまうので、先に登って皆を待つ間に
ビデオ撮りをすることにした。皆が本殿前に上り、ちょっと休憩してから下ることに。
登るときは「まだ〜」と言っていた人も杖をつきながらも何事も言わず入口の鳥居まで到着。
ここでもまた行きがけに目を付けておいたお土産を買う。
2日目なのに車の荷物室はすでに満杯。後ろのハッチを開けるとバックなどが転げ落ちて
くるのです。どれが誰のものか分かるのかな?と思う程にあるのです。
ここから弘法大師の生誕の地という善通寺へ向かい、昔からの佇まいを観察した。
こういう場所を見て歩くとなぜか心が落ち着く感じがします。
次の中津万象園の庭園と博物館をゆっくり見たので薄暗くなりかけていた。
今夜の宿へ向かう。夕食には少し時間があるので、かけ流しの露天風呂で一日の疲れを
癒しじっくりと浸かった。
九州から来たという方と話したが、旅先の風呂など話しかけて見るといろんな話に花が咲く。
旅の醍醐味ですね!
【第3日 10/27】
目が覚めると薄明るくなり始めていた。外を覗くとよい天気だ。
いつものように旅の朝は朝風呂だ。今度は海が見渡せる大風呂へ行くことにした。
誰も入っていない!大きなお風呂が貸切で、朝の瀬戸内海・瀬戸大橋を眺めながらエコーの
効いた鼻歌を歌いながら浸かって英気もチャージ。
冷たい水で絞ったタオルで体を拭いて上がった。部屋に戻ると相棒たちは寝ている。
着替えてビデオカメラを片手に瀬戸内道の側道を登る。
夕べ宿の無料バスで夜景を見に登った道だ。瀬戸大橋は日曜日の夜は照明も節約している
様で、物足りなかったが市街地の夜景も素晴らしかった。が朝見る景色もまた素晴らしい。
15分程の散歩で、ビデオ撮りをして戻り、朝食にする。
少し早起きをして体を動かすと食事も進むのか、今朝もお代りしてしまった。
宿を出ると最終日の行程通り丸亀城へ。
門を潜ると朝早くから「菊花展」をやっていたので見ながら天守閣への道を進む。
石垣の見事な反り具合を見ながらなだらかな歩道を登り展望台に着く。
天守閣内の展示物を見ながら手摺がないと登れない様な急な階段を登ると、比較的狭い
天守閣から格子の隙間を通して瀬戸大橋をはじめ市街地が360度展望できた。
瀬戸大橋タワーでは、ドーナツ状の展望室がゆっくり回転しながら90m程の高まで上昇
する。案内を聞きながらこれまた素晴らしい見晴らしだった。同じ場所にある東山魁夷博
物館は残念ながら休館日で見ることができなかった。
坂出北ICまで戻り、瀬戸内道を余島PAへ寄り昼食休憩。時間に少し余裕ができたので、
倉敷の美観地区を見ることにした。
観光客は比較的多く賑やかではあったが、以前にも一度観光したことがあったためかあまり
感動はなかった。
ここからは一路走るだけの帰路となる。月曜日であったこともあり観光地は休館も多く、
第二名神の亀山JCTや豊田JCT辺りは「渋滞11km」の表示に「急ぐ旅ではなし」
の、諦めの心境での運転でした。
今回も「無事が何より」の言葉通りの小豆島周遊・こんぴらさん参りの旅でした。
【 2008-5/24-26 佐渡ヶ島周遊探訪 】
【第一日 5/24】
翌日から下り坂の天気予報に沈みながらも早朝の午前2時30分に車で出発する。
まだ何処の家も明かりは点いていない。
焼津ICから高速に乗り富士ICで降りると空いている西富士道路・139号線あたり
で午前4時、既にうっすらと白んできた空を眺めながら一路甲府南ICへ向かう。
フェリーの時間に余裕はあるがトイレ休憩のみで走る。 余裕ある時間に直江津に到着
できそうなので妙高SAで朝食をとり休憩する。
残雪の残る妙高岳や周りの景色をビデオに収めしばしの休憩。
途中から交代した運転も順調で、予定時間の30分前の8時に直江津港に到着した。
カーフェリーの乗船手続きを済ませ、港内と乗船する船や周辺を散策した。
出発時間の20分前に車に乗って乗船。船室に陣取るとすぐデッキへ出て、出航する模様
をビデオに・・・
乗客の投げる「えびせん」らしきものを追って、かもめが目の前まで近づいては去っていく。
港の外も凪だ。北国の海は波が高いと言うイメージからはかけ離れている。
波もうねりも全く無い。佐渡へ着くまでガラス面の上を走っているような状態だった。
当然船も揺れなく快適な船旅となった。周りは海しか見えないので船室で旅談義。
小木港へ到着すると順序良く上陸する。
昼食をとってから海岸線の奇岩・ゴールドパーク・歴史伝説館・真野御陵・妙宣寺/五重塔
・大佐渡スカイラインなどを見て回り、予定より少し遅れて夫婦岩近くの宿に到着した。
まだ明るい時間だったので近くの夫婦岩周辺を歩いて回った。
新鮮な魚介類の夕食に舌鼓を打ちながら飲んだビールは美味しかった。
【第2日 5/25】
天候は雨/霧/晴れ 佐渡の北/東/中央部観光を予定しているが雨が降っている。
旅の朝は恒例の朝風呂に入る。朝食の後、雨がぱらつく中、宿を出て少し走ると間もなく
雨も止み、霧が出てきた。海は静かだ。
尖閣湾遊覧船で海岸沿いを、奇岩の織り成す景色や浅瀬の海底をガイドの案内で30分
ほど遊覧して戻ると直ぐに霧が出てきた。
佐渡島の北側の道路を、時折かかる霧に嘆きながらも、波に洗われ半球状の穴ぼこが
いたるところに出来ている・波蝕甌穴(はしょくおうけつ)岩や大野亀・二つ亀を見て回る頃
には霧も晴れ薄日が射してきた。
映画「喜びも悲しみも幾年月」の弾崎(はじきざき)灯台、日本で最古の鉄製の姫埼灯台を
巡り、両津まで戻ってトキの森公園へ。そして宿へ向かう途中の寺院を3ヶ所ほど巡り、
真野湾に面した佐渡で2日目の宿に到着。若女将の歓迎を受け部屋に案内され、夕食まで
のひと時を休憩。
丁度夕日が沈む時刻が夕食と重なってしまい「佐渡の夕日」を見られずに残念だった。
夕食はやはりボリュームのある新鮮な魚介類の料理で、程よい疲労と満足感でビールも
進み、おかげで満腹になった。
【第3日 5/26】
旅の楽しみに一つ、いつもの通り朝湯に浸かり、朝食前の散歩。6〜7分歩くと海岸に出た。
こんなに海岸が近いとは。絶好な夕日を見逃して悔いが残った。
ビデオを撮りながら浜昼顔の群生する砂浜で、犬の散歩をしていた地元の人としばしの話を
して宿に戻り朝食。
8時過ぎに宿に別れを告げ3日目の旅が始まった。
小木海岸 矢島・経島へ廻り、おけさおどりの衣装を纏った女船頭の漕ぐたらい舟で湾内を
30分ほどかけて遊覧。たらいの真ん中にある水中窓で海底の生き物の様子を見ながら説明
を聞きながら、ビデオ撮りもこなす苦しい姿勢であった。
たらい舟を降りて少し戻り船屋と千石船展示館をチョッと覗いて小木港に戻り昼食を取る。
12時50分のフェリーに乗り、佐渡島とお別れ。
15時30分直江津港に到着 海はきた日と同じで、波やうねりはほとんどなく良い天候に
恵まれた船旅であった。
北陸道・長野道を通って戸隠神社の中社・下社に立ち寄って一路帰途へ。
寄道がチョッと長すぎた事もあり、帰着は23時過ぎだった。
予定通りとはいかなかったが、佐渡島をゆっくりほぼ一周見て回れた今回の旅も、いろいろ
な場所が想い出に残ると思います。
3日間の総走行距離1,430km、無事に帰ってこられた安全運転の旅。
最終の清算で一人当たり8,000円チョッとのおまけがついた旅でした。
【 08-04/04都をどりと桜の京都 】
早朝のまだ暗い時間に家を出て始発電車の客となる。往路は乗り換えの多い行程なので、
寝てはいられない。車内を見渡すと同じ旅をする人たちで結構混んでいる。
浜松・豊橋・岐阜・米原と乗り換えの度に他の旅人と競争になって、浅ましいとは思いつ
つも椅子取りゲームの様相になる。
5時間弱の落ち着かない時間が経って目的地の京都に着いた。
駅前のバス停から、花見小路入口まで混んだ車内で立つこと15分ほどで着いた。
都をどりの開催される「歌舞練場」を確認してから、ちょっと早い昼食にすることに・・
予約の時間に入るために少し早めに歌舞練場へ行くともう既に行列が出来ていた。
予約の人達はその列とは別の所から入れるので良かった。
歌舞練場の中は撮影禁止なので、残念ながらビデオも写真も撮影できなかった。
およそ1時間程大勢の舞妓さんの踊りや小唄などを観劇していると、朝早かった疲れが出
たのかうつらうつらとしている人も・・・
観劇を楽しんだ後、八坂神社・円山公園の桜を見ながら散策。清水寺へ続く人混みの石畳、
二寧坂(二年坂)・三寧坂(三年坂)を歩いて清水寺へ向かう。
途中の三寧坂で可愛い舞妓ちゃんが歩いて来た。
「この坂で転ぶと三年後に・・」と何かで読んだことがあったので気にしていたところ、
この舞妓ちゃん石畳の凹凸にはまり「アレ〜ッ」の声と共によろめいたが、隣にいた人に
支えられ事なきを得たのでした。
清水(きよみず)さんの舞台に立って下を見ると目が回りそうだ。やはりこの舞台からは
飛び降りるほどの勇気は持ち合わせていませんでした。
時間的にライトアップされた桜は見られないので、夕日が沈みかけた頃に清水寺を後にし
てバスで京都駅へ。軽く乾杯をして、それぞれが好物で夕食をして京都とお別れ。
帰りの電車は乗り換えが無かったが、到着時間は23時に近い最終電車で無事に帰り着
きました。
【 07-10/27-29三陸海岸/八幡平 】
【第1日 10/27】
小型の台風20号が関東方面に近付いているという。雨が降っている。
日付の変る0時少し前、仲間のところへ電話するも応答なし。
何か有ったのか?急ぎ仲間のところへ走る。
家に行き何度も窓を叩いて呼んで見るが応答なし。
何か異変が起きたのか・・2〜3軒隣に仲間の義姉がいるので呼びに行き、来てもらい窓を叩き
大声で呼んでくれた。中から微かな声がする。大丈夫か?何かあったのか?
やっと灯りが付いた。
理由は後にしてとにかく出発をする。
聞いて見るといつもより多く睡眠薬を飲んで寝たとのことで、とりあえず胸をなでおろした。
もう1軒の家へ回り、遅くなった訳を話しながら6人で雨の中を出発した。
東名高速・首都高・東北道と休憩を取りながら進んだ。
遅れは重なるもので、交通事故が発生して仙台宮城ICで降ろされてしまい次のICまで一般道
を走る羽目に・・
予定より2時間遅れて一ノ関ICを出て、時間があったら寄る予定の一度観光した猊鼻渓を
横目に見ながら通り、雨のぱらつく陸前高田・高田松原を散策。
(静岡県の三保の松原より広い感じだ。)
迷路のような道をカーナビの案内で走ったはずなのに釜石大観音は通り越してしまった。
宮古市の浄土ヶ浜へ向けて走る。先に宿に寄って観光船の状況を聞いてから浄土が浜へ
向かう。
観光船で遊覧する筈が、台風の影響でうねりが出てきたので乗る予定の便から欠航だと言う。
前便の観光客が戻ってきたが「揺れて怖かった」と話していた。
仕方なく風も強くなってきた小雨の中、遊歩道を歩いて散策することにした。
展望台から下へ降りて海岸沿いの遊歩道は所々波をかぶっているので、別ルートを歩いた。
下の浄土ヶ浜へ着いた頃には薄暗くなりかかっていた。
丁度頼んだようにバスが来たので駐車場まで乗り、車に乗換えて宿へ戻った。
一休みをしてから楽しみな夕食。
ささやかな乾杯と新鮮な海の幸を満腹になるまで味わい満足だった。
第1日目は雨にたたられ、予定の遅れでまともな観光が出来なかった。
【第2日 10/28】
恒例の朝食前の散歩。宿の近くの公園・漁港を見て歩いた。
ヒャッとする空気に耳や手が冷たくなるが、初めての地を散策する。
朝食の後宿に別れを告げ、一路田野畑村・北山崎へ。
ここの観光船も台風の余波でうねりがあり欠航だと言う。天気は快晴になってきたのに何とも
ついていない。展望台まで走り、遊歩道をゆっくり散策して見て廻った。
躓いて転んだら落ちそうな断崖絶壁の脇を通る遊歩道からの景色を見ながら歩く。
250段ほどの階段を下りたところの展望台から絶壁の壮観な北山崎の海岸線を眺めて、
また来た道を戻る。
赤松林の中を「松茸が出ているかも知れないね」「一つくらいあると良いね」
「こんなに荒れているところには出ないよ」等と話しながら最後の展望台へと向かった。
駐車場まで戻るとソフトクリームが目に付き、一人が「食べたいね」というと賛成するのは
早い。私が会計を済ませる前に食べ始める。6人でかぶりつき満足したのか次の龍泉洞に
向けて出発の催促をされる。 30〜40分走ると龍泉洞に到着した。
周りの景観を撮影していると「入場券は?」というので、「撮影中だから買ってきて」と頼む。
計画の立案から、カメラマン・会計・運転手 と掛け持ちする私にとって、ビデオを撮る時間
が欲しいのだが・・・
入り口に「日本3大鍾乳洞の一つ」と書かれていたが、秋吉洞と後は何処なのだろう?
中へ入ると暗さに慣れるのにしばらく時間が掛る。
人間の目に見える暗闇の映像がビデオの画面ではほとんど見えない。人間の目は本当に
精巧に出来ていると感じる。
狭い通路、刻まれた階段、狭くなった鍾乳洞に架かる鉄骨の階段、どうやって運び込み
組み立てたのか?等と感心している内に40分程で入口まで戻ってきた。
そこから内陸部へ約120km、今夜の宿・八幡平温泉郷へ向かう。
2日目の行程はほぼ時間通りに進んで行く。薄暗くなりかかる16時過ぎ頃に宿に着いた。
昨日に続いて楽しみな「ささやかな乾杯」と、今日の出来事を話しながら美味しい夕食に腹鼓。
夕食の後はゆっくりと温泉に浸かる。部屋で話に花を咲かせているうちに眠気に襲われ夢の
中の人になった。
【第3日 10/29】
朝風呂に入って、宿の周りを30分ほど散策する。
朝日に輝く高原の紅葉と白樺並木・木洩れ日が織りなす景色と、ひんやりとする朝の新鮮な
空気と散歩できる喜びは何か得をした気持だ。
朝食後、紅葉の素晴らしい松川渓谷・遊歩道を歩き橋の上から眺めた景色の素晴らしさ皆が
感嘆の声をあげたほどでした。
丁度日陰にはなっていたが、河原へ下りると玄武岩の岩肌にも紅葉が映えて歩いて見るのが
最高の場所だ。 松川渓谷に惹かれながら八幡平山頂へ向かう。
山頂に近づくにつれ雲の流れが速くなって、小雨もぱらつき出した。
「山頂↑」の矢印を見つけると「もう少し先」というアシストナビ(人間ナビ)の声に5〜6分
走るが、そこから先は連続した下り坂だ。
「おかしいね。戻ろう」今来た道を戻る羽目になった。
やはり先程の「山頂↑」の矢印は正しかった。霧に包まれた山頂にバスツアーの団体さんの
行列に巻き込まれながら、霧が晴れたり掛かったりする
ルートを一周するが、少しの間岳山頂からの景色が見られた。
帰りは、先ほど間違えて通った下り坂の道。そのまま下っていたら見られなかった所です。
ナビの案内で松尾八幡平ICから高速に乗り、今回の旅も無事に帰りつくことができた。
【 07-04/05-07春の山陰ドライブ 】
【第1日 4/5】
まだ暗い早朝5時に迎えに来た車で出発、吉田ICから東名高速に乗る頃には明るく
なり始めた。
名神高速・敦賀ICを予定時間通りに下りて一路三方五湖の見えるレインボーライン
へ向かう。車を降りると結構寒い。昨日には霰交じりの雨が降ったと地元の人は冬の
服装だ。
ケーブルカーに乗り5分程度の梅丈ヶ岳・展望台で降りると「五木の園・の碑」があり、
「五木ひろしの“ふるさと”」の歌が聞こえてくる。
♪♪祭りも近いと汽笛も鳴るが〜 洗いざらしのGパンひとつ〜♪・・を聞く。
そして鎖が張り巡らされた展望台の周囲にある柵の鎖にはもう取り付ける隙間もない程に
無数の錠前がびっしりと付いている。何なのか?と巡って見ると「自分のため、愛する人
のために誓いの鍵を懸けませんか?」と言う言葉に懸けた人の多い事にびっくり。
360度展望の景色を満喫し、願い事を書いた素焼きの皿を投げると願いが叶うと言う、
小皿に願い事を書いてクレーの様に投げてきた。
(100円で、皆の健康・などなどの願い事を沢山書いてはごりやくもないでしょう)
次の予定地、熊川宿へ向かう。昔の佇まいが残ると言う場所だ。町並、店屋を見ながら
歩いたが、通りは一本だけで見るところも少なかった。
一路 天橋立へ。対岸へ渡れる通路の途中まで行き松並木を見てから「股のぞき」の
展望台へリフトで登る。ここも風は冷たく、登りのリフトは寒かった。
それぞれが「股のぞき」で、逆さになった景色が見られたと言う貴重な体験をしてきた。
そこから後は丹後半島めぐりで笠松公園、伊根の舟屋、を見て、砂をこすると
「きゅっきゅっ」と鳴る琴引浜で、鳴き砂の体験もしてきた。靴を引きずるように歩くと
音が鳴ります。不純物の入っていない石英が多い砂でないと音は出ないそうですよ。
説明書には「石英の粒が振動して音が出る」と書いてありました。
夕方5時のチャイムに急かされて今夜の宿・丹後おおみや小町温泉へ向けて道を進めた。
満腹になった夕食の後、温泉にもゆっくり浸かり疲れも取れた。
ここの温泉は肌がつるつるする良い温泉だった。
【第2日 4/6】
旅の朝は、いつも朝風呂から始まる。ゆっくり温まって露天風呂へ行き景色を眺めながら
浸かっていると鼻歌も出てくる。
(♪ 潮の匂い〜に〜包ま〜れながら〜♪)今日廻る行程の“鳥取砂丘”である。
朝食後8時30分少し前に出発。最初の目的地「浦富海岸(うらどめかいがん)」に着くと、
地名の表示はあるが平凡な海岸で見るところはない。
みやげ物店で(土産も買わずに)場所を聞いてみると海岸沿いの道路を行けば見晴らしの
良い景色が見られると教えてくれた。教えられた道を進み途中2〜3ヶ所に停まって山陰の
リアス式海岸の自然の美、素晴らしい景色を鶯の鳴き声とともにビデオに収めて来た。
20〜30分走り鳥取砂丘へ・・・。駐車場から砂丘の入り口に立つとその広大さに先ず驚いた。
海辺までの距離が遠い事、なだらかな砂地をビデオを撮りながら歩き、砂の山に差し掛かると
一歩進めば半歩戻るので、なかなか上へ進まない。
息を切らせて昇りきると眼下に海辺が、そして来た方角を見ると一面の砂の原。さすがは日本一の
砂丘だと感じる。帰り(登り)のことも考えたがとにかく波打際まで降りる事にした。
下るときは楽だ、一歩進めば二歩進む。帰り道は思った通り大変だった。
鳥取砂丘を後にして次の目的地へ。
国宝・三徳山三仏寺の投入堂が見えるという場所で双眼鏡を覗いている人がいた。車を降りて
覗いて見ると、はっきりと見ることが出来た。三仏寺へお参りし、三朝温泉を経由して倉吉市へ入る。
伝統的な建造物である赤瓦・白壁土蔵群を見て回る。
米子の中海に沈む夕日を見るため早めに今夜の宿・米子市の皆生温泉へ。
チェックインする時には夕日も傾き間に合うか心配したが宿で教えてくれたスポット・米子港へ
滑り込み。20分ほど掛けて沈む夕日と景色を満喫する事ができた。
宿へ戻り荷物を部屋へ運び食事へ。乾杯と美味しい夕食が迎えてくれた。
疲れはゆっくりと浸かった大浴場の温泉で癒された2日目でした。
【3日目 4/7】
3日目も朝風呂から始まる。大浴場でゆっくりと温まってから、ヒヤッとする露天風呂へ移動して
景色を見ながら今日の活力をチャージ。
バイキングの朝食でまたまた満腹になり宿を出発。
日本庭園でも有名な足立美術館を観る。13000坪の庭園は何処から見ても素晴らしく、
ガラス越しに観るようになっていて一部だけそのまま見られるところがあった。
横山大観のコレクションも多くあり観る価値があるところでした。
美術品の撮影は禁止でしたが、庭園の方は撮影できたので勿論しっかりとビデオと写真に
収めてきました。
2時間ほど鑑賞して次の目的地・とっとり花回廊へ。大山(だいせん)を臨む広大な
フラワーパークには色とりどりの沢山の花があり、ボランティアのガイドが付いて案内してくれた。
それぞれの人の予定に合わせたコースを選んでくれるというので2時間位で廻れる
広い範囲を見てきた。
ここで遅い昼食を取り、帰路につく事にする。溝口ICから米子道へ入り落合JCTから中国道へ
入って暫く走ると「事故8km渋滞」の案内が有り、いやな予感が・・。
暫くは順調に走っていたがついに渋滞の最後尾に着いてしまった。ゆっくり動いたり、
停まったり、停まったりを繰返す事1時間30分、走り出すと次の渋滞情報が・・。
名神高速の事故渋滞はチョッとだったが、予定の約2時間遅れで10時30分過ぎに
牧の原SAで遅い夕食を取り無事に帰宅。
「無事な旅で良かったね」と、労をねぎらって別れた。
【 2006-10/27-29熊野古道を歩く 】
【第1日 10/27】
まだ暗い朝5時半に出発、すいている道路を吉田ICへ。
東名、東名阪道を経由して予定時間通りに紀伊長島へ到着。
最初の散策は「ツヅラト峠」ふもとに車を停めて往復2時間の峠道を歩き始めると、
既に峠越えをして下りてきたグループに出会い、峠までの山道の情報を聞くと「峠より向う
はなだらかな道だが、こちら側はかなり急な坂道の連続だが峠からの景色は絶景ですよ!」
とのこと、「気をつけて」「ありがとう」の言葉で別れ、冗談話をしながら登る山道に息も
弾み次第に言葉も減ってくる。
熊野古道は、「俺の鼓動(心臓の)」だ!としゃべっていれば笑いもでてくる。
石畳、崩れかけた石垣沿いの道、木の根や石の階段それなりに手入れはされているが名の
通り古道ですね。
峠まで1時間、峠からの景色は聞いた通り絶景です。
絶景に感動して来た道を車まで戻り、次の目的地「馬越峠」へ。
馬越峠を歩く前に食事をするつもりが、店がない。
おまけに道にも迷い3度ほど聞いてやっと車が1台通れる狭い急坂の道の奥に公園があり
駐車できるというので、入ったのは良いが本当に車1台がやっと通れる道だった。
駐車していると、地元の夫婦連れに会ったので話してみたら、「今から頂上まで登るという。
峠まで40分ほどで、頂上まではさらに20分は掛る」という。
まぁ死ぬ事もあるまい!と歩き出したが最初の頃は普通の山歩きだったが途中から険しく
なり、ペースも落ちてくる。
「せっかく来たのだから」という気持ちもあり黙々と足元を見つめながら登る。
水森かおりの歌「熊野古道」にある・・ ♪木の〜根ぇ〜道ぃ♪ や ♪石畳ぃ〜♪の通り。
息を切らしながら登ること40分ほどで峠道に着き景色を眺めて小休止。
「後10分で頂上だ」の声に張り切って歩き出す。
やがて一軒の家ほどもある岩の周囲をまわって頂上に辿り着いた。
岩には鎖の手すりが付いた梯子がついて岩の上まで上れる様になっている。
「ここまで来たら行くしかない」と登って見た。
比較的平らな6畳ほどのスペースからは360度の素晴らしい展望が開け、ヘリコプターも
眼下を飛んでいる。尾鷲港と市街地が眼下に広がっている。
左手に太平洋右手に山並みが見え絶景なのは良いが、さらに驚いたのは足元は自然のまま
であり防護柵など全くない。落ちる危険性は大きいし、もし落ちたら怪我どころではない。
そこそこに下りて帰路に着く。
途中に咲いていた可憐なリンドウの花をカメラに収め、馬越峠越えをするグループに情報を
伝えながら下り、車まで辿り着いた。
車幅一杯の急勾配の道をそろりそろりと下りホッとしながら宿へ走る。
それにしても早朝に出発してツヅラト峠、馬越峠をトータル4時間も良く歩いた強行軍でした。
カーナビの案内に従って順調に宿へ・・・の予想が外れたのに気付いたのは、ナビの案内が
42号線から外れ山の方へ入ったからでした。
もう暗くなっていたので現在地が読めず、宿へ電話して聞く羽目に・・
「今どの辺りに居りますか?」「(仲間内で)ここは何処?ナビの地名を読み上げる」
「看板を目安に戻ってください」の指示。何と4kmも通り過ぎていました。
4人が宿の看板を探しながら来た道を戻りようやく宿についた。
チェックインの時に状況を話したら、「ここは〈飛び地〉だからではないでしょうか
ナビを利用して来られる方は迷う事があります」という事であった。
ナビも100%ではないという事です。
昼抜き、歩き過ぎ、迷い道、と重なりドッと疲れがでた一日でした。
皆、暗黙の了解で風呂より先に夕食にする。
「お疲れさま」でまず乾杯「腹減ったぁ〜、お昼の分まで食べてね」と今日の話題に花を
咲かせながら全員が残さずにたいらげたのでした。
勿論その後は温泉に・・・一人の湯船にゆっくりと浸かりながら、覚えたての「♪熊野古道」
を口ずさみながら泡のマッサージで癒されたのでした。
【第2日 10/28】
いつもとは違う感覚に目覚めて見ると、朝食にはまだチョッと早い時間。
旅の楽しみである「温泉の朝風呂」に行く。
誰もいない湯船に浸かり、昨日の疲れも取れる様な至極の時間をもらい、朝食前に宿近くの
海岸へ散歩に出かけた。
42号線を渡り紀勢本線の弧線橋を渡ると海岸線の見える高台へ出て、日の出の景色を
ビデオに収めた。運行本数の少ないらしい特急電車も出迎えをしてくれた。
夕べあんなに食べたのに朝食がまた美味しかった。
予定時間通りに宿を経ち、熊野三山の一つ、熊野那智大社をお参り、那智の滝を散策して
大門坂へ。大門坂を下ってくる頃には雨がぱらぱらと降り始めた。
駐車場へ急ぎ、次の地・速玉大社へ。時間が取れれば瀞峡へ廻りたいねと話しながら途中の
休憩所で聞いてみるとチョッと無理のようだ。
ここでは既に雨模様になり、次の地・熊野本宮大社は本降りになり、傘を開いて本殿に
お参り境内の露天を覗いて一路高野山へ向かう。
高野山へと進む道は狭い所が多く時間がかかる。今夜の宿は高野山から4〜5km南側。
山道でも20分位と思い、さらに細くなった道を先に進む。山の中で小雨も降っている。
対向車でも来たら困るなと思いながら薄暗い宿も然る事ながら人家も見当たらない、
曲がりくねった細い道を進む。
宿の案内の看板が心細い気持ちを落着かせてくれる。
後ろの席では「釜でも研いで待っているかもね」等と言い出す始末。
「やめてよ!」などと怪談話の様相を呈してきた。
不安な気持ちで走ると時間が長く感じる。
やがて家並というか集落というか、まばらな屋根が見えてきた。
宿への案内看板で方向を確認して1〜2分進むと閑静な温泉宿に着いた。
「明るいうちに着いて良かったね」「早めに出てきて良かったね」等と皆のホッとした
気持ちが伝わって来た。
車から降りると夕闇(と言っても薄明るい)に狸らしき5〜6匹の集団が裏手の道で食事中。
小雨の中一匹がこちらへ歩いてくるので良く見ると、眼が合ったが逃げる様子もなく
すぐ傍を通りすぎて行った。
今日は時間的に早いから先に温泉にゆっくりと浸かって、楽しい夕食を・・と決めて、
それぞれが大風呂へ。
疲れを流すと、腹もへった、さぁ〜夕食と案内された部屋には夫婦連れ、家族連れ、
グループなどなど20人ほどの宿泊客が一同に集まり待ちに待った食事が始まった。
今日は満室だそうだ。
山の中の宿にしては食事も豪華で、余るほどのボリュームだったが良く食べた。
一服して部屋に戻りテレビを見ながら横になっていたら知らぬうちに夢の中へ・・・。
【3日目 10/29】
私は、旅に出て泊る翌朝は必ず朝風呂に入り、宿の周辺を散策してみる事にしている。
昨日に続いて今朝も朝風呂の後周りを歩いてみた。
車で来た道を戻る方向へ行くと、来る時には「松の木かな?」と思ったのは「高野槙」
の林であった。また、夕べ狸がいた路地には餌箱があるが勿論狸はいない。駐車場の
隅には「きじ」がいた。戻ったら朝食の用意も出来ていた。
そして美味しく食べられる事は嬉しい事だ。
予定の時間に宿を出発。高野山では相撲の「高野山場所」があるということで、朝から
駐車場は満車だ。駐車場を探しながら走るがなかなかない。
参拝する予定だった金剛峰寺と金剛三味院は取り止め、山門・奥の院へ。
杉の木立に囲まれた信仰の聖地ここには入り口近くに「花菱あちゃこの墓」や、
豊臣秀吉、織田信長、徳川家康の次男など多くの有名な戦国武将が奉られている。
途中の休憩所でお茶を頂いて30〜40分散策した。
ここからまた山越えの細い道に入る。
奈良の都へ近付くにつれホッとする道幅になる。
法隆寺に寄り、五重ノ塔、夢殿を一巡りして帰途に着いた。
今回も無事に楽しい旅ができました。ビデオを見ると旅の思い出が蘇ります。
内輪の秘話:私達の旅は概算の予算を集金して出発します。
この会計から食事代、ガソリン代、宿泊料、拝観料、高速料金などを支払った後、
最後に清算する方法でやっていますが、何故かいつも私が会計担当になって、金庫番
と運転(交代ですが)と兼ねて任されています。
(ビデオの撮影は趣味の範囲で楽しんでいます。)
【 2006-08/03-06東北三大祭りを見る 】
【第1日 8/3】
深夜0時、迎えに来た車に同乗。途中でもう一組を拾い、総勢9名で焼津ICから一路東へ・・
これから旅立ちへの開放感で、お互いに取り留めのない話に花が咲く。
深夜のため東名も首都高も順調に通過して東北道へと進み、菅生PAで朝食。
徹夜状態のため思考能力が鈍いが、朝食を食べたら戻ったようだ。
高速を下りて最初の観光は厳美渓へ。
厳美渓の奇勝・岩場の景色を観ていると自然に、「かっこう団子」なる珍しいものに遭遇した。
対岸の上方の通りにある店の軒下と、厳美渓の岩場にある東屋の脇には鉄線が張られ、
ロープと滑車で結ばれた篭が付いている。
篭の底には「かっこうだんご 400円」と書かれた敷紙とお金を入れる小さな篭があり、
傍には「お金を入れたら叩いてください」と書かれた厚い木の板と小槌がぶら下がっていた。
ビデオを撮りながら「ちょっと誰かやってみて」という声。
お金を入れて叩くや否やすごいスピードで篭は引上げられて行き、見ている間にだんごと
カップに入ったお茶が三つ引上げられたときより速いスピードで下ってきた。
揺れていても見事にお茶はこぼれていなかった。
団子よりもこの装置の方が面白く、訪れる観光客も楽しんでいたので「ここに来てこれを
やらなきゃ」と説明して、3組にも販売のお手伝いをしてしまった。
小休止の後、平泉から毛越寺へ廻り有名な素晴らしい庭園をゆっくり散策。
太宰治記念館「斜陽館」を、これと隣接する「津軽三味線記念館」では初めて生の
津軽三味線の実演を30分ほど聞き感激した。
当日は立ねぶたが出ないため、「立ねぶたの館」へ廻って20メートルを越える大きな
立ねぶたを見学した。
こんなに大きい物を街中で引き回すのかと思うほどの大きさに圧倒された。
後は夜のねぶた祭りを見る用意をするため、宿で汗を流し、早めの夕食をとる。
祭りが始まる少し前に会場のすぐ傍まで送ってもらい場所を探すがコースの両側はもう
満員だ。落ち合う時間と場所を決めて我が同乗者はそれぞれ隙間に潜り込んだ様だ。
私はビデオを片手に見透視の聞く場所を求めて人ごみをうろうろ。
何とか撮影できそうな場所で、ねぶたがコースを一周する間、会場の雰囲気も楽しみ
ながらしっかり撮影もして「ねぶた祭り」を満喫してきた。
【第2日 8/4】
五能線が走る(といっても一度も遭遇しなかったが・・)五能海岸を南下。千畳敷で休憩、
八郎潟(干拓されてしまい今は陸地になってしまった)を経由して360度の展望が出来
る寒風山へ登り周囲の景色をつぶさにビデオに収めてきた。
秋田県へ入り、今夜は「竿灯まつり」を見るため昨日と同じように早めに宿へ入り汗を
流して夕食を済ませ、会場へ向かいそれぞれ列の中へ紛れ込んだようだ。
祭りが始まると竿灯は横に倒して会場に整列するが、掛け声とともに一斉に立てられて
写真で見た光景に。やや風があったため竿の持ち手はちょっと苦労していたが此方は静か
なお祭りという感じがした。
最後の方にきて、竿を繋ぎすぎたのかしなりすぎたのか大きな竿灯の竿が折れて倒れて
しまったが周囲からは拍手が沸き起こっていた。
会場はチョッと暗くビデオの撮影には辛かったがそれなりに撮れていた。
【第3日 8/5】
象潟・蚶満寺、NHKドラマ「おしん」の舞台になった酒田山居倉庫(米蔵)、出羽
三山神社(羽黒山・月山・湯殿山の3つの神社をまとめて奉ってある)を散策して
から、サービスが良いという境内の店で昼食とお土産の物色をする。
売り物ではない自家製の茄子の丸付け・次から次へとおみやげ品の味見サービス・
出羽三山の名前と日付の手書きうちわ(200円を無料で)などなど・・
愛想の良い若女将が振舞ってくれた。
道理で4軒ある店で他の店は閑散としていた。
車に戻ると満腹の乗員はだんだん話が減り静かになって後は夢の中・・・。
六十里越えをして、山形へ入る。今夜の観光は「花笠まつり」。
汗を流し早い夕食を済ませて会場へ。
ここは通りや歩道もやや狭いため見物客がすし詰め状態で、少しずつ動いて信号機の
支柱の下でビデオの撮影をはじめた。
子供から年寄りまで、中には外人も混じって花笠を持って踊りを楽しんでいた。
さらしを撒いて屋台の太鼓を打っている若い女性もいるし、そろいの浴衣や法被で
踊るグループなど様々だ。旅の疲れも出始めていたのでちょっと早めに帰途に着いた。
【第4日 8/6】
山寺・立石寺めぐりをして、一路蔵王山頂へ向かうが、山頂のちょっと手前から渋滞で
駐車場まで数珠つながり、運転手一人を残して途中から歩いていった。
36〜7年前に来た時と変らないお釜の景色を見て下りは順調に進んだ。
白石ICから東北道に乗り帰途に付いた。
途中4台が絡んだ事故のため8kmほどの渋滞に捲き込まれてしまったが、首都高や
東名は順調に走り無事に帰ってきた。
これまで3回の旅で中尊寺・毛越寺・瑞巌寺・立石寺の「東北4大寺めぐり」ができた
事になる。
特に山寺と称される立石寺は断崖に建立された数々の寺院が階段でつながっていて他の
寺院とは一際異なった所であった。
【 2006-05/12-16四国周遊の旅 】
【第1日 5/12】
夜明けの早くなった5時半自宅を出発。
運転は二人で交代して、私がナビゲータのときは旅のストーリーになるようにビデオを
撮っていく。
吉田ICから東名高速・名神高速・中国道・山陽道を経由して神戸淡路鳴門道で鳴門北IC
まで、トイレ休憩と朝食時間を含めて440kmをちょっとオーバーペース気味の4時間半
で走行。
渦潮を見る観光船の出発時間の10分前に滑り込み、ちょうど干潮時間に当たり、瀬戸内
海側からの海水が勢いよく外海に向けて流れ出る自然の芸術・渦潮を目の当たりにして、
乗船客の中からは歓声が湧き上がった。
約30分ほどの感激を味わい、「渦の道」へ。鳴門海峡大橋の下側に設けられた一部が
ガラス張りになった遊歩道を歩いて、渦潮のできる真上から眺めて見ると衛星からの雲
の動きを見ている錯覚に陥る。
1000kgまでは耐えられると言うが、地上40〜50mはあるガラス張りの床を歩
くのは躊躇すると見えてほとんどの人はよけて歩いて行く。
高松道を経由して次の観光地・栗林公園へ移動。
学生時代の修学旅行で見た記憶はほとんど残っておらず、新鮮な感覚で見ることが出来た。
昔の町並が保存されている「うだつの町並」を見て回った後、18時頃に初日の宿
「土柱ランド新温泉」に到着。
自然の美「土柱(どちゅう)」を見て回り、宿に戻りチェックイン。
一日目の無事を祝し乾杯の後、今日の話題を魚にゆっくり夕食。
「土柱」がライトアップされていると言うので一人では行きたくない肝試しのような
夜道を再度見に出かけたが、やはり昼間の方がいいですね。
温泉でゆっくり足を伸ばして寛いで夢の中の人になりました。
1日目の走行距離は約640km。
【第2日 5/13】
カーテンを開けてみると今朝は雨だ。
普段では出来ない朝風呂に入って目を覚ます。お互いに「眠れた?」の挨拶で始まり、
スケジュールを確認しながらしっかりと食事。朝食後小雨の降る宿を出発。
徳島道を経由して一路 祖谷(いや)渓へ。
ここも相当な山道を走り途中道が広くなったところの展望台では大阪の大学生と遭遇
して、「どちらから?」「静岡からです」「うわぁ〜遠いねぇ、大阪からです」と短い
対話でお別れ。
次のパーキングでも小休止。
道路から外側へ張り出した岩の上に70センチほどの「小便小僧の銅像」があり、眼下
を見下ろすと断崖絶壁。覗き込む人も無くビデオで記録。
暫く走り、到着。かずらの蔦で架けた吊り橋・祖谷のかずら橋は小雨に降られ、他の
3人は傘を片手にもう片方の手で蔦の手すりに掴まり、足元を見ながら立止まっては
景色を眺め、そろりそろりと前進していた。
私は最後尾から片手に傘、片手にビデオを持ち、足元だけは注意して撮影しながら
30m程の吊り橋を、皆の後姿や景色を撮りながら渡りきった。
すぐ傍にある「琵琶の滝」や岩場の河原まで下りて、かずら橋全景を撮影したり、
カメラマンの方も忙しかった。
大歩危・小歩危へ抜ける途中にある「平家屋敷民族資料館」には当時使用されていた
いろいろな貨幣、道具類などが多数展示されており、中には子供の頃に流通していた
国会議事堂がデザインされた「拾円紙幣」など懐かしいものもあった。
大歩危小歩危では舟下りをする予定であったが、水は澄んでいたが前の週に記録的な
降雨があったため増水で観光船は運行していなかった。
一般道を50km程走り、高知道を経由して桂浜へ。
坂本竜馬記念館を見た後、浜辺へ降りて坂本竜馬の銅像、桂浜周辺を散策その頃には
雨も上がっていた。
高知の宿は楽しみにしていた海辺の宿が取れず残念だったが、高知市内のホテルとなった。
夕食は外で新鮮な海の幸をたらふく食し、明日への栄養となったのです。
2日目の走行距離は約280km。
【第3日 5/14】
今日は強行軍になりそうなため、早めに8時出発。
高知ICから高知道を経由して須崎東ICを出る。ここから先は一般道で途中の道の駅で
休憩の後、田植えをしている側道から山道になり、四万十川源流点に向けて一路ひた走る。
源流点方向へ分岐する道から先は未舗装のでこぼこ道で所々に譲り合いの場所があるが、
車1台が通れる自然の道で、時速5〜6km程でしか走れない。
分岐点から走る事30分ほど、もう戻りたくなる気持ちを抑えて、やっと車が6台ほど
止められる広さの行き止まり地点に到着。
源流点までさらに「徒歩 25分」との表示を横目に歩き始める。
少し歩く度に「まだぁ〜」の声。多分2度とは来られない場所。
ここまで来たら行くしかないね、と登り始める。最初は道らしいルートに安心したが
登り始めると足場はだんだん悪くなり、熊でも出そうな雰囲気。
案内板はあるものの「後○○メートル(○○分など)」の表示板などはない。
「お〜いまだかぁ〜」暫く登ると案内板が見えた。
近づくと「源流点」の表示に「お〜辿り着いたぁ〜」感動の声が響いた。
ビデオと写真に収め、源流の清水で喉を潤し、手を洗い暫しの休憩を取って源流点とお別れ。
車のところまで戻るとなんと、一人オープンカーで来てコーヒーを沸かして飲んでいる人が
いるではないか! 淋しい山の中でまさか人に会うとは。
声をかけてみたら、○産自動車を定年退職して一人で旅をして歩いていると言う。
バイクでツーリングをする事が多いとか。別れの挨拶をしてその人は先に下山して行った。
登ってきたすごい道を車の腹を突かないように下るのも難儀な事だったが、源流点を
制覇した気持ちが余裕を持たせた。
分岐点から先はカーブが多い道なのに快適な道に感じたのでした。
そして標高1400mほどの四国カルストへ走り、遅い昼食を摂る。
岩の柱が林立する四国カルスト、雲と同じ高さから眺める四万十川もまた「遠くへ来た」
という実感を得て、四万十川に沿っての長い道のりを下った。
増水しても橋の上を水が流れ、完全に水中に潜ってしまう欄干のない幅の狭い橋の一つで、
「佐田の沈下橋」を歩いて渡った。自動車も走れるが欄干がないから時々落ちる車もあり、
ちょっと前にも車ごと落ちて流され死んだ方が居たという事です。
多少危険でも、橋が流されて通行できなくなるより便利だと言う暮らしの知恵なのか?
考え方次第なのですね。
ここでは遊覧船も動いていたようでしたが、時間の都合で宿へ直行となりました。
3日目の宿は足摺岬の突端。
灯台から800mほどの景色の良いところでした。夕食も風呂も満足でした。
3日目の走行距離は約340km。
【第4日 5/15】
朝食もいつもより進んで、時間も早かったため腹ごなしを兼ねて足摺の灯台まで散策
する事にした。
椿ロード、灯台、展望台のコースを見て歩き、3台ほどの早い観光バスの客と一緒に
なってしまった。1時間ほど掛けて観光と腹ごなしをして宿に戻り出発。
足摺岬の宿から40〜50分、一度山道へ入って峠を越え、再び海岸へ出たあたりに
ある竜串海岸まで走る。
およそ30分毎に出るという遊覧船で海底の珊瑚やいろいろな魚を見ながら「見残し」
へ渡り、奇勝と言われる岩場の細い遊歩道(躓くと海中へ落ちそうな足場)をそろそろと
往復でおよそ1時間掛けて見て歩いた。
観光船で同席した福井県から来たと言う夫婦連れ、冗談に「落ちたら助けて!」と
頼まれ同行をする事に。
直径5mm位から、大きなものは1m位もある大小の半球状の凹みが出来た
(ちょっと例えようがないが)蜂の巣状とも言える自然が作り上げた壮大な岩場が
連なっていた。
戻る船は乗船客の状況で変わる様で、○○分発という発着の予定時間はない。
とにかく下船した時間から「およそ30分間隔」なのだ。
同行した夫婦連れも無事に竜串海岸まで戻り、駐車場までの間にある竹の節の様な
岩場(大竹・小竹)を見て歩いた。
タクシーで観光していると言うこの夫婦連れと別れの挨拶をし、景色を堪能しながら
海岸沿いの道路を一路松山へ。
宿毛市・宇和島市を経由して昔の面影を残して保存されている内子町の護国の町並を
見学。松山道に乗り松山ICから4日目の宿、道後温泉へ。
夕食前に道後温泉街をぶらつきお土産の下見と周辺を見て歩いた。
「坊ちゃん電車」「からくり時計(夜間はライトアップされる)」などが観光の見所か。
宿へ戻り一服のあと、一日の無事を祝して乾杯の後、見てきた話に花が咲いた。
お土産の買い込みと、からくり時計のライトアップを見に再び温泉街へ。
戻ってからは勿論有名温泉地の温泉にゆっくり浸かり、一日の疲れもスッと消えて
いく様だった。
外泊4日目にもなると疲れも溜まるのか、さすがにぐっすりと眠れた。
4日目の走行距離は約260kmでした。
【第5日目 5/16】
目が覚めると道後温泉の朝は雨模様だ。
宿の窓から見える「からくり時計」も雨に濡れている。昨日の予報が当たっているようだ。
旅行中の贅沢だと、温泉の朝風呂に浸かり目が覚める。
朝食もしっかり摂って、いよいよ帰路につく日となった。
小雨が降る中、たくさんのお土産も載せて宿を出発。
松山ICから松山道を今治へ走る。つもりが、分岐点にきて「お〜いどっちだ?」隣の
ナビが「どっちでも良い」と訳の分からぬ事を・・・
高松方面か?宇和島方面か?一瞬の判断が遅れた。止まって考えれば良いものを、まっすぐ方面
へ走って冷静に考えてみると逆方向の宇和島へ向かっていた。
仕方なく次のICまで走ることに・・
インターを出たところでUターンして再度松山道を高松方面へ。
今度の分岐・小松JCT(ジャンクション)では間違えない様にと注意を払う。
雨のため来島海峡展望館はパスし、一路しまなみ海道の入り口来島海峡大橋を壮大な
景色を眺めながらビデオを撮っていく。
自然にマッチした素晴らしい景色だが、こんなに巨大な吊り橋をよく造ったものだと感心した。
大小の小島を結ぶ吊り橋を幾つか渡り、生口島で「平沢郁夫美術館」を見学。画家・平沢郁夫の
絵画をじっくり鑑賞し、時間の都合で直ぐ傍の耕三寺は山門だけをビデオに収めた。
その頃には雨もほとんど上がり、生口島を半周して北ICから再びしまなみ海道へ乗り暫く走る。
そろそろ12時か、何か名物を食べたいねと言う後席の声にPAによって昼食。
「たこ飯」「たこたこ定食」「ラーメンセット」などなど、それぞれに好きな物を頼み、
美味しそうに見える人の物を見ながら平らげて満足したようだ。
食事の後パーキングの景色を撮影した後出発。満腹になれば後席の住人はお喋りも減り静かな
眠りに着く。運転手とナビゲータは行く先を間違えないように気を配る。
福山西ICから山陽道、名神・東名高速と乗り継いで最終の牧の原SAで給油のあと、
夕食の席で残金の費用清算をする。予定よりも大分安く賄えた今回の旅でした。
20時30分各家に送り無事に5日間の旅が終わりました。
旅を楽しんで最後に満腹になりおつりまで出た楽しい良い旅でした。
美味しく!楽しく!なるべく安く!という旅でした。皆さんお疲れさま〜。
最終日の走行距離は約680kmでした。
5日間の総走行距離はおよそ2,200kmになりました。
【 2006-02/03-07 雪と氷と流氷の北海道へ 】
【第1日 2/3】
朝6時ちょっと過ぎ、マイクロバスで出発。東名高速〜常磐道を経由し、土浦の
予科練へ寄る。
短い時間でしたが、展示館には大勢の若き学徒(兵士)達の写真や、多くの遺品が
展示されており、それを読むと胸を打たれる思いでいた。
常磐道・仙台道を経由して夕食の弁当を調達。18時40分仙台港へ到着。
太平洋フェリー(きそ:15000t)に乗船して船内泊。何となく今から出発する雰囲気。
デッキへ出て仙台港の夜景をビデオに収める。
船室(2等)には同行者16名が持ち込みの弁当と飲物で宴会が始まった。
話が進み誰のいびきが大きいとか、眠れるかな〜とか勝手なことを言いながら・・。
夕食後エレクトーンとピアノのショーを楽しんだ後、風呂へ。
入っていったら背中全体に刺青をしたお兄さんが後ろ向きに体を拭いているではないか!
一瞬びっくりしたが旅先では良くあること。
湯船に入っていると水面が25〜30センチほど変位する現象に会った。
大きい船でも揺れているのを実感した。船室に戻り横になったが雑魚寝はなかなか眠れない。
【第2日 2/4 フェリー“きそ”で目覚め)】
2〜3回うつらうつらしたかと思う内に、薄明るくなってきた。
早速デッキへ出てビデオをまわす。
7時頃に津軽海峡沖を通ると聞いていたので陸地を確認してみると見えました津軽海峡
が(下北半島と北海道が)・・。
上空は晴れ、日の出も期待していたのに、低い雲に阻まれちょっと見えただけで隠れて
しまった。朝食を摂りにレストランへ。
家内は船酔いをし、気の毒に朝食を摂れずに部屋で横になっていた。
10時30分、苫小牧に接岸する頃には吹雪いてきて甲板にも出られず室内から
ビデオ撮影。船を下りて出口へ行くとマイクロバスは既に待っていた。
吹雪く中を苫小牧ICから高速に乗る。
青空が出たり吹雪いたりという景色を車窓より眺め旭川北ICで降り上川を経由
して層雲峡温泉のちょっと奥にある滝を見る事にした。
4〜5分の時間だという事だったので、車中の着の身着のままの状態で、わずかな
流れを残して凍りついた金流の滝、と完全に凍りついた銀流の滝をビデオに収めたが、
顔や耳は痛いし手の指も痛いので早々に車に戻り、発車するとすぐに氷瀑まつりの会場
を通って層雲峡温泉ホテルに到着。
荷物を降ろしてロビーで宿泊の説明を聞いたら、今の気温は9℃だと言われた。
こちらはマイナスが当り前なのでいちいち「マイナス」は付けないのだそうだ。
ライトアップされた氷瀑まつりを見て回り幻想的な風景をビデオに収めた。
ライトに照らされたキラキラ輝いて流れるダイヤモンドダストも見られ、寒さも忘れて
しまう程感動的だった。
宿に戻ってバイキングの夕食、談笑して飲み食べ大いに寛いだ夕べでした。
仲間達とゆっくり温泉に浸かり、露天風呂へ移動したが表は川を挟んだ通りのため、
竹の垣根に囲まれていた。
雪の塊が内側まで入り込んでいたのは新鮮だったが、景色は見えずゆっくり入るのには
良いが、冬の露天風呂は寒いだけだった。
【第3日 2/5 層雲峡観光ホテルで目覚め 】
流氷観光船に乗るため8時チョッと過ぎにホテルを後にした。
バスの中は暖房を聞かせてくれてあったが窓は凍りつき、車内に置いたみかんや
ペットボトルの中身が凍っており、外は冷凍庫以上だと言う事を実感した。
走り出して3〜40分、運転手の携帯が鳴った。○号室の鍵が戻っていないと言う。
該当者は「返したよ」といいながら上着のポケットを確認して見た。「あった!」。
なんと、話に夢中になり返した積もりでいたらしい。
明日の朝またここを通るので、その時に返す事で一件落着。
浮島峠を越え紋別港へ10時前に到着。
10時半の観光船ガリンコ号に乗船、約50分の観光もシャーベット状の海を沖へ
出ただけで、流氷は見られず室内を離れ、ツララの下がったデッキから海上を見渡す。
思ったより寒くない。
早い昼食を簡単に済ませ、サロマ湖から網走監獄跡の観光施設を見る。
16時過ぎに3日目の宿、温根由温泉の「大江本家」に到着。風邪を引きそうなので
風呂は後にして休憩の後、畳の大部屋で17名の宴が始まる。
よく飲み、出てきた料理はこれまたきれいにたいらげ、前に屈めないほどに満腹に
なった。(まぁ毎日ではないからいいか)
部屋で休憩した後、大浴場へ。
熱めの湯、ぬるめの湯、打たせ湯、泡湯、水風呂他、いろいろな種類の浴槽があったが、
普通の湯にゆっくり浸かった。
雪がちらつく露天風呂へも行ってみた。
ぬるめの湯に3人ほど入っているアジア人的顔立ちの人に「どちらからですか?」と
聞いてみたら「・・・・」仲間同士で何かしゃべっている。
「中国からですか?」と聞いてみたが、鼻の前で手を横に振っている。
「アー ユー チャイニーズ?」の問いに「アー ホンコン」との答え。
香港の言葉は英語ですので、「ドント スピーク イングリッシュ バ〜イ」と言って
雪がちらつく寒い露天のぬるめの湯から出てきた。
風呂から上がって体重を量ってみたら、いつもはほとんど変動のない体重が何と
2kgも増えているではないか!
テレビを見ているうちにいつの間にか眠りについっていた。
【第4日 2/6 温根湯温泉・ホテル大江本家で目覚め 】
温根湯温泉の宿で日の出を確認。
朝食前のひと時、窓を開けると逆光に照らし出される川面の水蒸気と木陰にきらきら光る
ダイヤモンドダストが見られた。周囲の景観とともにビデオに収めた。
朝食のバイキングを楽しみ、一休みしてから出発。石北峠を越えて再び層雲峡へ。
昨日持ってきてしまった宿の鍵を返しにホテルにより、トイレ休憩もする。
上川ICから高速に乗り旭川ICを経由して砂川ハイウェイオアシスで昼食、そのあと
皆でお土産を「こらしょ」というほど買い求めていた。
降り出した雪を頭に着けて、バスに乗り込む。
腹が一杯になって座ると心地よい眠気に誘われ暫くは睡眠モードに・・。
札幌ICを出ると片側2車線の道路が雪で1車線になっている。
その影響で両方向が渋滞だ。
14時30分頃雪まつりが開催されている「大通り広場」へ到着。
日中の雪像と、ライトアップされた雪像を見る予定で出発を18時としてしばしの
自由時間。それぞれのグループで1時間半かけて、会場を2回廻った。
壮大な雪像、可愛いもの、芸術的なもの、マンガチックなもの、そして製作中のものが
入り混じり、その周囲には、人の列が絶え間なく行き来していた。
動物の大きな氷の彫刻は、ライトアップされた時のほうが鮮やかに見え、多彩な色に
照らされた雪像もまた素晴らしい光景であった。
各人で夕食をとり、マイクロバスの待合場所へ集合。高速を経由して一路苫小牧港へ。
21時15分発のフェリーに乗船し、皆で寛ぎまたまた宴会が始まった。
今夜は八戸港へ向けて船内泊だ。
明け方近く「うちのお父さんがいない」と言う囁きから目が覚め、探している時に
本人が戻ってきた。
「いびきがひどいと言われて気になって寝られなかった」とどこかを彷徨っていたらしい。
仲間同士でもやはり気にするし、気になることは慎まなければいけないと感じた。
【第5日 2/7 フェリー・シルバークイーンで目覚め 】
早朝4時少し過ぎフェリーはに八戸港に到着した。
バスは一番奥に乗り入れてあったので最後の下船となった。
着岸後30分ほど待ってから職員が下船の案内をしてくれた。
真暗い中をバスに移動して、八戸港から東北道を経由して岩手県・猊鼻渓(げいびけい)
の雪見船に乗り、往復4〜50分の行程を方言の案内と、燗酒を飲みながら楽しんだ。
時間の余裕が出来たので松島へ寄ってくれると言う。
雪の五大堂と瑞巌寺をみて水産組合の売店で牡蠣とホタテの焼いたのが美味いし安いと
言うので皆で頼んだ。
確かに安いし新鮮で美味かった。(牡蠣2個とホタテ2串で600円だった)
ここからは帰路一直線。北の大地に比べると雪の量も減った東北道を南下、トイレ
休憩と夕食の休憩をはさみ東京の渋滞にも合わずに雪のない地元に21時頃に無事
帰着した。寒さとともに雪国の生活に大変さを実感して帰ってきました。
【 2004-10/13-17 秋のみちのく・下北・津軽 】
【第1日 10/13】
12日の23時、小雨のぱらつく中、5名が乗った車で出発。
東名高速、首都高速、東北道をトイレ休憩程度で紅葉の奥入瀬へ向けて二人で運転を
交代して走り、10時過ぎに奥入瀬の駐車場へ到着。
出掛けに降っていた小雨が途中で本降りになっていた場所もあり、前途多難な旅になる
のかと心配でしたが奥入瀬はうす曇で、歩き始める頃には日がこぼれ始めていた。
奥入瀬の紅葉は重なる台風の塩害なのか、黄色や紅葉した葉の一部が枯れた様になって
いたが、清流と緑、黄色、紅葉の入り混じった色彩はやはり素晴らしかった。
3時間半かけてコースを散策でき、まず一つの目的が達成できた。
(足元は落葉と、ぬかるみでちょっと汚れてしまった。)
奥入瀬から少し早めに野辺地の宿へ向けて出発。ほぼ計画した予定時間に到着。
初日の走行距離は980Km、よく走ったものだ。
むつ湾の新鮮な魚介類を味わい温泉で疲れを癒し、満足した一日でした。
(当然、無事と明日の健康を祝ってビールで乾杯!。)
【第2日 10/14】
旅の楽しみである朝食を楽しんで、むつ市の恐山へ向けて出発。
約1時間半、車の中に硫黄の匂いがしてきた。
大きな湖と剥き出しの岩肌、周りの紅葉した山並み、本殿の佇まいなど、快晴に
恵まれたからよかったものの、曇りや雨の日、ましてや夕方ではちょっと近寄り
がたい雰囲気を感じがした。
岩肌からは硫黄分を含んだ蒸気を噴出しているところもあり、ちょっと手で触って
みると、火傷をするほど熱い蒸気が吹き出ている。
からすの泣き声も周りの山々にこだまして、霊場の雰囲気が溢れてくる。
この後、フェリーに乗る行程で、時間を気にしながら大間崎を経由して、うねった
山道を走り、仏が浦を見た後フェリー乗り場の脇野沢へ。
ところがここでアクシデントが・・・・・
ビデオやデジカメの整理もしながら報告したいと思います。
さて、東北4県のたびの続きです。
恐山、仏ヶ浦の霊場を見てきたせいではないでしょうが、余り起きないアクシデント
に出くわしました。
時間を気にしながらすいている道を飛ばしてフェリーのりばへ着いたところ、管理人
が走り出てくるなり「家のほうへ何回も電話したけど連絡が取れなかった」と・・・
旅行しているのに家に電話されてもね〜 と思ったけれど「何でしょうか?」と聞いた
ところ、「フェリーが故障して今日は欠航です」と。
故障した部品を取り替えないと運行できず、「部品の調達も調査中なのです」とも。
下北半島の南西の脇野沢から津軽半島竜飛崎まで陸路を行くしかないと云われ、途方
に暮れてしまった。
「陸路で5時間はかかるでしょう」と言われ、宿に電話で状況を説明して大幅な予定
変更をする羽目になってしまった。
15時少し前下北半島の南西端・脇野沢を出発。
それから240キロを4時間半かけて、暗闇の中竜飛崎の宿へ到着した。
気さくな女将の手をかけた料理と新鮮な魚介が疲れを癒してくれた。
2日目は快晴の風もほとんどない日でしたので、フェリーの欠航というアクシデント
に出会うとは夢にも思わなかった。(予約した行程には事前に確認をして行動すべし!)
と言う事を、身をもって学んだ日だった。
【第3日 10/15】東北4県の旅・その2 竜飛崎から・・
昨日のアクシデントもなんのその、5時半に起床し、下北半島と北海道の間から昇る
真っ赤な大きな朝日を眺めながら旅の醍醐味・朝食前の散策をした。
皆さん車の通れない国道があるのをご存知でしたか? 竜飛崎のほぼ先端にあるのです。
「1974年に制定された、”日本唯一”の階段国道339号線、全長388.2m、
362段で標高差が約70m」で、幅はおよそ2mほどでした。
まだ6時前だと言うのに、近くの宿に泊った観光客がすでに30人ほど見て回っていた。
旅にでると私と同じようにみんな早起きをするんですね〜。
朝食後、海苔の代わりに薄い昆布で巻いたおにぎりを、頭数だけサービスしてくれた
女将に別れを告げ、日本海側を南下する。
十三湖、千畳敷を見て、不老不死温泉の露天風呂で一時の骨休め、白いタオルも茶色
に染まってしまい雑巾に早変わり。
好天に、波打ち際で入る茶色い塩水の温泉、なんとも別天地に来たような不思議な
充実感を味わったのです。
疲れを癒した後、十二湖、ブナの原生林を見て回り、3日目の宿・白神山地の入り口
・藤里の山中でせせらぎの音を聞きながらビデオ鑑賞をしてから眠りに着いた。
【第4日 10/16】東北4県の旅・その3 白神山地から・・
世界遺産に指定される前は訪れる人は余りいなかったそうですが、指定されてから観光
客が相当増えたそうです。地元の方は観光地化されるのが心配の種のようです。
宿の主人から今日の行程を聞かれ話したところ、岳岱(だけたい)へ行くなら途中から
二又に分かれた所まで戻り、もう一方の道を登ったところに「桧原沢大渓谷」があり、
景色や紅葉が素晴らしい。
分岐から往復30分程度なのでここまで来たら見ていったらどうか?と勧められた。
急ぐ旅でもないので寄って行くことにした。
ブナの原生林、まだ緑の葉を残すものから、黄色になったもの、紅葉したものと入り
混じった鮮やかな山の斜面を横目で見ながら、ゆっくりしか走れない蛇行したでこぼこ
道を泥を跳ね上げながらおよそ40分、岳岱(だけたい)までの道程が、まだ俗化され
ていない場所だと言う事を証明してくれた。
未舗装で車が一台通れる、すれ違いが出来ない細い道を走ることしばし・・
(当然所々に待避所はあるが・・)ようやく岳岱へ到着。
木洩れ日のブナ林を通るうまい空気を吸い込んで、ビデオやデジカメで撮りながら散策。
宿の主人に勧められた「桧原沢大渓谷」へ向かう。
対面する山とVの字に切れ込んだ渓谷に、ヒバの緑が周りの紅葉を引き立てて、谷底の
方へ向かって連なる紅葉の中へ引き込まれそうでした。
能代市、秋田道、日本海東北道、7号線を経由して4日目の宿泊地酒田市へと向かう。
途中、鳥海山ブルーラインから見る夕焼けに日本海の景色も期待してたが、霧のような
雲に覆われていたので残念ながら諦めました。
【第5日 10/17】東北4県の旅・その4 酒田市から・・
朝食前に市内の歴史的建造物を散策。
朝日が昇り始めるころ、ドラマ”おしん”で名を成した山居倉庫・庄内米歴史資料館の
外回り、欅並木をビデオに収めて歩く。
朝の早い時間だったが、ちょうど本間家旧本邸の管理人が門前に居たので話をしたら、
建物の中へは入れないが・・と言って説明しながら一部を見せて頂き、嬉しい一日の出
だしとなった。
朝食の後小休止をして、7号線を南下、新潟県へ。他人の土地を通らずに隣の町までいけた
と言う地主であった関川村 国の重要文化財・渡辺邸。
犠牲的博愛精神を施政に貫いたと言う渡邊萬寿太郎の生家だそうです。(にわか勉強です)
次に、豪農の館(北方文化博物館)を見て、関越、北陸、長野、中央高速を経由して
23時過ぎ、無事に帰着した4泊5日の東北4県紅葉の旅でした。
旅の途中恐山で出会って話をし、その後も3度も再開した若い男性の二人連れライダーや、
おむすびをサービスしてくれた竜飛崎の宿の女将、お勧めの観光スポットを紹介してくれた。
宿の方々の親切もあったり、少〜しにわか勉強したり、あっ、それからその土地の新鮮な
美味しいものを沢山味わった事など、忘れられない旅になりました。
【 2004-10/13 旅の日記はここから始まった 】
旅をした後「旅の日記」を書き始めたのがこの「秋のみちのく・下北・津軽」でした。
旅の行程、感想等感じた事だけを記録した「旅行記」としてまとめて見ました。
これからどこまで続けられるか分りませんが、更新して行きたいと思います。