戸塚レポートA
5月3日に待望の青梅大祭を見学して来ましたので報告させて頂きます。朝5時磐田を出発し東富士道路経由・八王寺経由で青梅へは午前9時少し前に着きました。
各町内の屋台9時発だと見えて初前に木遣りをやっている町内も見受けられました。
屋台は江戸型山車ではなく分類的には青梅型になると思います。古い屋台は江戸末期からのものだそうですが、それらも元々は江戸型山車であったそうです。
しかしこの地も他地区と同様に明治になって電線が張り巡らされるようになると運行不可能となり上部を切ったようです。
旧5町が当時の山車に載せていた人形が人形場で展示されており当時の様子が伺えます。
またお囃子は江戸神田囃子の流れを汲んでおり、近くの川越にも似ていますがより激しいものでここでも時代の流れでしょうか女性パワー炸裂していました。
特に今回は自町の「み組」の狐は青梅より取り寄せた物でしたので青梅に対する思い入れはかなりありました。
それに次ぐものは無いかとブッショク?しに面を中心に見に行きましたが、各町内あるわアルワ、ずぅ〜っと途切れる事無く何かしら屋台の上で踊っていました。
さらに居囃子でもやっているのだから驚きです。聞いた町では30程の面を所有しているそうで、当然の如くそれに伴う衣装も所有しておりそれが実に見事な衣装でした。
面は、笑い・ひょっとこ・蛙・一文字・もどき・舌だし・空吹き・だるま・たぬき・手力男・獅子・武悪・外道・小べしみ・岡崎・天狐・恵比寿天・大黒天・カッパ・神功皇后までありました。
また礼儀が統一されている祭典にも思えました。屋台の運行で他町へ差し掛かると役員7〜8人(中泉でいうと外交かな)が会所へ出向き挨拶、そして青梅締めといわれる独特な手打ちで閉めくくられ屋台が運行されます。
また屋台同士のすれ違い・会所・居囃子・祭典本部へ差し掛かると必ず屋台の台座部分をその方向へ向けてます。これも挨拶であり礼儀なのでしょうね。
なにげなくやっている青梅締め。
実は全員が一つの青梅締めという作業をする事により、その場の全員の意思統一が図られ叉団結が図られるという、意義深いものになっていると思います。
これは何かしらの形で見習いたいものですね。
クライマックスは午後5時半位から1時間位でしょうか。特に市民会館前では各町内へ帰る3台の屋台を、地元の3台の屋台が見送るというもので、その後更に近くの町内の2台がその場へ合流するというものです。
更に帰る屋台を見送る様は祭りの最後を惜しんでいるようでいつまでもお互いの苦労にエールを送っているようでした。
こういった見せ場は、見物人ばかりでなく自分達が楽しむ方法を自分達で作り出しており、楽しみ方を知っているなっと思えました。
また酒を飲んで飲んだくれている人が1人も居ませんでした、どうして中泉は出現してしまうのか?祭典関係者がいけないのだろうか?改めて考えさせられてしまいます。
自分自身今回も新たな驚きと反省が一杯ありました。何かしら参考にして頂けると幸いです。
|