光栄完訳版と八木原一恵訳を読了。所感を少々。


筆者が今回読んだ封神演義は

【完訳 封神演義 上・中・下 光栄(コーエー)出版】

【封神演義 八木原一恵/編訳 集英社文庫】

である。この八木原版はかなり秀逸であり、まず固有名詞が的確。抄訳であるが意外と細かいエピソードも拾ってある。それでいて文庫本一冊と短い。脚色も無し。文体も平易で読みやすい。これから封神演義を読んでみたいという方にオススメだ。

筆者はこの本の女性の話し方と服装描写が好きだ。

さて今回も前回の続きで、訳本の後半における「事前に聞いていた話と全然違う」部分をあげつらいます。

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例:前半(事前に聞いていた話)━━後半(完訳の内容)

楊センは高貴な女性にモテる。竜吉公主と一夜を過ごし、なんとあのジョカ様にも惚れられている。
 ━━どうみても楊センは竜吉公主ともジョカ様とも会話しかしてませんが。男性に姿を見せられなかった平安時代の上流女性じゃあるまいし、これで秘密の一夜が云々という方にはコミケの3日目が待ち受けていると思われる。コミケは3日目といえば男性向けの代名詞で一番きつい日と言われているが、歴史同人も3日目の時がある。昔の封神ファンは大変だったろうなあ。

話を元に戻して。今まで誰も指摘していないので自信が無いが、楊セン(二郎神)は天帝の甥説を取るならば竜吉とはイトコになるのではないか?確かあちらさんではイトコはタブーじゃなかったっけ?この辺もやはり日本人向けの設定だろう。


竜吉公主は「あまりにも美人過ぎて男の気を削がせ、容姿だけで修行の邪魔になる」という殆ど言い掛かりに近い理由で天界追放に処される。
 ━━追放の理由は何だかよく解らないが、桃を食べる会でお酒の準備が間に合わず天界の決まりを犯した(光栄訳中巻234P・八木原訳352P)とか、出家の身でありながら俗界に心を動かされた(光栄訳中巻359P)とかいったものらしい。少なくとも事前に聞いていたような殆ど言い掛かりに近い理由ではなさそうだ。

余談だが、筆者は竜吉は天帝の娘ならばさぞかし崑崙でも高嶺の花だろうと何となく思い込んでいた。しかし燃燈と広成子に叩頭して「道兄、お久しぶりにございます」(光栄訳361p)だの玉鼎や衢留孫とも面識があるっぽい描写があり考えが変わった。

竜吉に限らず女道士全般にいえるが、闡教(崑崙)にしろ截教(金鰲)にしろ女道士を女だからと言って特別扱いは一切していない。解りやすいのは聞仲で、彼は女道士と戦友として酒を飲み交わす場面が何度か出ている。しかも聞仲の師匠は金霊聖母だ。

この時代にジェンダーフリーという考え方があるとは思えないので、多分もう仙人レベルになると性別なんてどうでも良い部類なんだろう。なので「あまりにも美人過ぎて男の気を削がせ〜」云々はかなり不自然に感じる。

個人的には十二大仙と〜童子系のキャラの性別が気になる。この中の4分の1くらいは女扱いされていない女道士じゃないかと睨んでいるがどうだろう。え、思いっきり「女」を武器にしている妲己三姉妹?あれはただの妖怪だよ。仙人ではないから。


広成子は碧遊宮に火霊聖母の死体をつるし、截教を挑発する。
 ━━絶対ありえねえ!殺される、いくら十二大仙筆頭でも余裕で殺される。

この場面は闡教と截教(崑崙と金鰲)の戦争の原因となった相当な重要場面のはずだが、WJ版でもPS版でも削除されているので説明が必要だろう。そもそもWJ版でもPS版でも広成子は重要キャラではなくなっているし・・・。

WJ版のファンの方なら崑崙と金鰲との間に亀裂が入った決定的な理由が、趙公明が単身崑崙に乗り込んで挑発したことによる事を覚えておいでだろう。

訳本ではあれは広成子の役目だ。広成子は自分が殺した火霊聖母の金霞冠(彼女は截教門人)を持ち、単身截教のアジトである碧遊宮に乗り込み通天教主に面会する。
 殷郊の師匠であるだけでなく、こういう場面があるので広成子が十二大仙筆頭といわれても充分に納得してしまう。

通天教主は広成子に危害を加えようとはしないが、他の截教門人はもうカンカンで「火霊の仇だ!」と今にも広成子に斬りかからんばかりである。実際亀霊聖母らと戦闘している。あの場面で火霊の死体をさらし者にしていたら確実に生きては帰れなかっただろう。

余談だが、火霊聖母と広成子は知り合いらしい(光栄訳下巻52P)。というより全体的に闡教門人と截教門人は没交渉ではなく、それなりに交流があるらしい。他にも顔見知り同士は結構いて、闡教と截教同士でもお互い「道友」と呼び合っている。

上の方で書いた仙人レベルになると女仙だからといって特別扱いしないという要素が一番表れているのが広成子。彼は金光聖母と火霊聖母を殺し、亀霊聖母と戦闘している。個人的には「聖母(マドンナ)殺しの広成子」とあだ名を付けたいが、賛同者は募集していない。パンクロックバントにありそうな通り名だ。

ちなみに日本では聖母というとマドンナ(伊語らしい)というイメージが真っ先に来るだろうが、中華圏の女神の称号としてはわりとポピュラーなようだ。


広成子は碧遊宮に火霊聖母の死体をつるし、截教を挑発する。その2
 ━━この場面で気になった事がある。碧遊宮の一件とその後の万仙陣では「広成子が截教(金鰲)を侮辱し、ただ玉虚道法のみが至上無尊と主張した」というのが一種のキーとなっている。(光栄訳下巻61P)

もちろん崑崙側も通天教主も「広成子は真の君子だ。そんなことを言うはずは無い」と主張するが、截教門人は「彼を面と向かって問いただせば解ること」と食い下がる・・・。

少なくとも筆者は火霊との一件の場面から何度か読み返したが、広成子が截教を侮辱する場面など見当たらなかった。そりゃ火霊の遺品を持って碧遊宮に詣でる時点で截教への侮辱に値するかもしれない。それでも彼が截教を「羽が生えているものでも卵から孵ったものでも〜」云々と暴言を吐く場面を見たことが無い。第一単身乗り込む場面でそんな暴言を吐くのは自殺行為だ。

中巻までで既に「どうみても闡教の方が非道」という一般評価に疑問を持っていたが、この場面で疑問は決定的になった。別にどっちもどっちだろう。


崑崙派の敵対組織は金鰲派である
 ━━我ながらあまりに基本的なことだと思っているが、闡教(崑崙)と違って截教の本拠地の名前は不明である。上記で截教のアジトである碧遊宮とか何とか書いているが、どうやら碧遊というのは仙人が住む屋敷の一般名詞らしい。

「截教の仙人たちは、海にちらばる島々を修行の場所にしている(八木原訳463P)」という記述から少なくとも海上である事はわかるが、肝心の通天教主がなんという名前の島に住んでいるかは記述されていない。

金鰲島という名称自体は出てくるが、それは四聖が住む九竜島などと同じく島の1つに過ぎないようだ。しかし素人考えかもだが海洋国家である我が国と違い、中国で海上と言ったらかなり限定されると思うがねえ。

ここで問題になってくるのがこのコラムの立場だ。ここでは訳本を読んだ人なら既に承知の内容しか書いていない。私がこのコラムの読者様として想定しているのは「WJ版か安能版しか知らないが訳本の内容に興味を持つ封神演義ファン」である(もちろんそうで無い方も歓迎している)

訳本を知らない人には闡教と截教と言っても多分通じないだろうと思い、間違いを承知で「截教(金鰲)」と書いている。

余談だが、筆者が半年前にゾロアスター教について調べていたとき「藤崎竜先生作であるワークワークはゾロアスター教をモチーフとしている」という記述を見かけた。その時の筆者はボケボケで「宗教モチーフのマンガとは何と珍しい」などと思っていた。

・・・いや、実際問題WJ版封神演義を道教マンガだと認識している人はどれだけいるだろう。筆者はその時は既に封神演義には著名な神がごろごろ出てくるとはとっくに知っていたはずだが、それでも尚WJ版封神演義と道教は結びつかなかった。

タイトルで神々についての話だとは簡単に解るが、何と言うか道教ではなくて藤崎先生が考案したファンタジー世界におけるオリジナル神話(略してオリ神)だと思ってしまう。


雲中子は所属不明の謎の仙人。
 ━━

雲中子は言った。「早く西岐へ行きなさい。お前の兄、武王姫発に会い、わが弟弟子姜子牙に謁見しなさい。(後略)」(光栄訳中巻103P)

(前略)と子牙が伝えると、まもなく雷震子が入ってきてひざまずき、「師叔」と呼んだ。(光栄訳中巻104P43回)

梅山の七妖怪の場面で楊センが雲中子に会いに行く場面がある。そこでは楊センは雲中子のことを「師伯」と呼んでいる。(光栄訳下巻270P91回)
 しかし確か八木原訳では楊センは雲中子のことを「師叔」と呼んでいた事が心に残っているがどこのページだったか見当たらない。

何にせよ雲中子と雷震子は闡教徒、それも堂々たる玉虚門下ではないか?元始の弟子は十二仙以外にも燃燈や南極やら姜子牙やら申公豹やらがいるので雲中子がいてもおかしく無いだろう。

ただ原書を確認したわけではないので誤訳だとか編纂によって内容が異なるとか最悪作者の勘違いの可能性も捨てきれないのが封神の恐ろしいところ。
 それに元始の弟子ならば封神計画の内容くらい知らされているだろうから果たして妲己を早い段階で殺そうとするだろうかという疑問もわく。

ただ二階堂善弘さんの本を読んだ方なら雲中子(と雷震子)は春秋列国志伝の頃から登場している古株組であり、他の仙界キャラは殷周革命モノが神魔小説に移り変わる際にボコボコはめ込まれた連中だと言う事はご存知でしょう。

雲中子が少し変わった行動を取るのもそのせいだろうし、安能版で反封神計画者とかいう凄い設定になる(未見)のも解る気がする。WJ版ではスプーキーだしなあ。



ちょっと長くなったので一旦ここで終了します。

最後にオススメの本を紹介して終わりにしましょう。

【封神演義 上・中・下 渡辺仙州 偕成社】

偕成社の児童書の良い所はページの隅に逐次人物紹介が書いてある事だろう。それに児童向けなので文字は大きく文章は平易。それでも高学年向けなのか漢字が多用されているので読み辛いわけではない。むしろルビ付きなのでかえって読みやすい。

注釈や人物事典も付いているし、何よりの長所がページ数をきちんと割いている日本一解りやすい封神リストだろう。

内容はやはり児童向けなので改変や脚色はそれなりにあるが、まあ許容範囲というか少なくとも特記ページを設けてあそこが違うここが異なると目くじら立てるほどではない。

ただ渡辺仙州版を読んだら申公豹に腹が立って仕方が無いこと請け合いだろうけれど。他にはあの存在自体が卑怯といわれる楊センが普通の村の出身で面識の無い家族がいるという凄い設定があるが、よく考えたら通天教主の息子で妖怪設定よりはマシだと思った。

八犬伝のときも思ったが偕成社の児童書のすごい所は殆どのページの隅にある人物紹介とこのご時勢に味方の残虐シーンもきちんと書いている事だ。殷郊の処刑を原作通りに行い、しかも彼の断末魔がいつまでもいつまでも響いていましたという記述を目にしたときは「ここまでやるか」と思った。

他の訳本に挫折した方には是非オススメしたい。いい年して図書館の児童書コーナーに足を踏み入れることになるだろうが、児童書コーナーというのは意外と馬鹿にしたものでもない。隣市の図書館の児童向け中国のお話コーナーでは三大奇書からマイナーなものまでずらずら並んでいて驚いたものだ。

筆者の経験ではピアスをつけおしゃれ眼鏡をかけてひげを生やしたお兄さん2人組みがのロビンソンクルーソーだったか十五少年漂流記だったか(忘れた)を笑いながら借り占めていたりするのであまり気にする必要は無いでしょう(話からすると大学で講義を取っているらしい)

各家庭で児童書が綺麗な状態で残っている事はあまり無いと思う。おそらく皆さん資源回収に出してしまうことだろう。しかし名作文学の児童向け本は物によってはその文学のマニアなら2,3千円払ってでも譲って欲しいお宝だったりする事もある。この前30年前に出版されたある八犬伝の児童書を楽天フリマで1200円(送料別)で買った時は我ながら良い買い物をしたと本気で思っている。

筆者のマニア度は低いので1冊に付き2,3千円が限度だが、本当のマニアになると万単位ぽんと出すからなあ(注:この世に筆者以外の八犬伝児童書マニアがいるという話は聞いた事がない。数万円云々は特撮マニアとかの話)

話を元に戻して。偕成社の本はかなりレベルが高く、渡辺仙州版は封神演義ファンの鑑賞にも堪えうる作品だろう。オススメ。

(2007.01.16)

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