釈然としねえ・・・。光栄完訳版封神演義を50回まで読んで。


12/18の時点でやっとちょうど半分に当たる第50回まで読めた。これからいよいよ後半戦である。

現時点での感想は・・・「事前に聞いていた話と全然違う」WJ版のファンの人や解説本を書いた人のいう「原作」と光栄完訳版は明らかに内容が違う。

一応私が読んでいるのは後に再構成された文庫版ではないきちんとした完訳のはずだ。翻訳に誤訳はつき物だが、それを差し引いて考えても事前に聞いていた内容と同じとは思えない。

例:前半(事前に聞いていた話)━━後半(完訳の内容)

那咤は宝貝人間であり、太乙真人が1500年かけて造った技術の結晶
━━1500年という記述は前半では見当たらなかった。あと那咤は確かに太乙に造られた霊珠子ではあるが、人造人間という感じはしない。彼はロボットではなく蓮華の精だろう。
封神演義はSFである
━━SFに明確な定義は存在しないから嘘では無いだろうけどさ。これがSFなら例えば忍者の出てくる話は大概SFになると思う。古典で言うなら西遊記や八犬伝もSFになるだろう。
仙人も完全に清浄というものではなく定期的に殺劫という殺人欲が出てくる。だから戦いを行うのだ。
━━この殺人欲云々は個人的に完全に引いた設定だ。無為自然であるはずの仙人が殺人欲なんてあまりにも酷すぎると思い、封神を読むのに二の足を踏んだ。
実際には殺生戒を犯さなければならない「宿命」のようなものだと解釈したがどうだろうか。封神演義は全体的に宿命論に支配されている物語であるから。

こればっかりは違っていて良かった。
黄飛虎が造反した直接のきっかけは四大金剛に何か粋なセリフを言われたから。
━━まず飛虎の義弟達を四大金剛と呼ぶ記述自体見当たらないが私の読み飛ばしだろうか。あとあまり言及したくないが黄一族って何か悪い意味で想像と違ったな、色々と。 宮中のゴタゴタで活躍していた黄貴妃は好感度上がったが、他は・・・。
天化は完全に子供として登場し子供として死ぬ
━━光栄完訳版では初登場時16歳。死ぬのは更に数年後のはず。ただし天化が飛虎の何番目の子供かは編纂によって違うらしく、更に封神名のルーツなどで辿っていくと三男説もあるという。
申公豹は最強道士
━━まず元始天尊の弟子の中では彼は何か最年少っぽいのだが。あと生首飛んだシーンを見る限り強そうには見えないが、後半に期待か。
封神演義は中国の四大奇書。しかし他の3つ(三国志・水滸伝・西遊記)と比べると日本では何故か人気が不当に少ない。
━━実は中国四大奇書の4番目を何にするかは人によってバラバラだそうだ。アカデミックな場では金瓶梅や紅桜夢、あるいは三大奇書ともいうらしい。

一説によると封神が四大奇書云々や人気が不当に少ないというのは安能さんが仰っていることでありアカデミックな根拠は乏しいと言うが本当だろうか。どちらにしろ三大奇書と比べると小説としてのランクが落ちるのは事実らしい。

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どうやら私が思い描いていた「原作」とWJ版のファンの人や解説本を書いた人のいう「原作」はまるで違うもののようだ。

筆者にとって封神演義と言ったらやはり中国文学であり、日本の古典八犬伝の元ネタの1つでもある古いもののイメージだ。
 日本史の講義の時間に「天照大神には元となった神格があり、それは道教の太乙神である」と習った。また八犬伝の伏姫は天照大神や観音(慈航)に江戸時代の民間信仰で人気のあった女神文殊が元とも言われている。

「そういえば昔読んだマンガに太乙や文殊や慈航が出てくる物があったなあ。あれは確か元ネタは中国古典だったはずだ」というのが私が封神に興味を持った理由である。

ここからが重要だが、WJ版のファンの人や解説本を書いた人のいう「原作」は往々にして安能版であるらしい。 WJ版のファンの方々はあくまで藤崎先生が描かれたジャンプマンガ・封神演義のファンであり、中国古典のファンではない。

WJ版の原作は安能版であるので、日本において安能版の内容を「原作」と呼ぶのはロジックとしては嘘でもなんでもない。単にロクに調べもせず「この人は中国古典について語っているんだ」と思い込んだ私がバカなのだ。

ええ、私に問題があるんだ、私に・・・。ああ釈然としない。

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更にややこしいことに筆者はてっきり安能さんは昔の人だと思っていた。

つまり封神演義の設定を作品に取り入れた江戸時代の流行作家馬琴先生も安能訳を読んでいたんだと思っていた。

古典には作者不詳で編纂によって内容が変わってしまうこともままある。安能版もそんな編纂の一種であり、安能設定にも歴史と伝統がありむしろ中国本土にも逆輸入されてアカデミックな場でも論ずるに足るものだと信じ込んでいた。

1980年代出版かよ!中国本土やアカデミックな場で安能設定を喋ったら追い出されても文句言えないわ。

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ネット上で封神の「原作」について語っていた場があった。でもそこに書いてあった内容は完訳版とは全然違っていた。確かにそこでは「中国古典について語っている」とは一言も書いてなかった。安能設定が日本においてのスタンダードとなっている事は知っていた。でも安能版も古典であり正式な封神演義であると思い込むのは完全なる私の独り相撲だ。

彼らは誰も嘘は付いていない。WJ版のファンは中国古典のファンであるとは限らないと見抜けなかった、そして日本でしか通用しない安能設定を勝手に中国本土でも通用すると思い込んでいた私のミスだ。

ああ、でも釈然としない。多分マイナスイオンの真実を聞いた人も私と同じ気持ちになるんじゃないか?

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ネット上では「中国古典・封神演義」のファンサイトもあるし、まともな解説本もある。それらにも一応目は通した。このまま完訳を読了すれば私は安能設定の呪縛から解かれるだろうか。

尚、後半の事前に聞いた「原作」内容のうち今の時点で完訳には書かれていないだろうと見当が付くものを挙げてこのコラムはお終いにする。

天祥は生きたまま風化の刑に晒される。

竜吉公主は「あまりにも美人過ぎて男の気を削がせ、容姿だけで修行の邪魔になる」という殆ど言い掛かりに近い理由で天界追放に処される。

「さすがは古典でしかも外国文学。現代日本人にはさっぱり理解できん」と思っていた。でも天祥は首をはねられた後に風化の刑になり、竜吉公主の追放理由ももう少しマシな内容のようだ。

(2006.12.26)

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