12/18の時点でやっとちょうど半分に当たる第50回まで読めた。これからいよいよ後半戦である。
現時点での感想は・・・「事前に聞いていた話と全然違う」WJ版のファンの人や解説本を書いた人のいう「原作」と光栄完訳版は明らかに内容が違う。
一応私が読んでいるのは後に再構成された文庫版ではないきちんとした完訳のはずだ。翻訳に誤訳はつき物だが、それを差し引いて考えても事前に聞いていた内容と同じとは思えない。
例:前半(事前に聞いていた話)━━後半(完訳の内容)
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どうやら私が思い描いていた「原作」とWJ版のファンの人や解説本を書いた人のいう「原作」はまるで違うもののようだ。
筆者にとって封神演義と言ったらやはり中国文学であり、日本の古典八犬伝の元ネタの1つでもある古いもののイメージだ。
日本史の講義の時間に「天照大神には元となった神格があり、それは道教の太乙神である」と習った。また八犬伝の伏姫は天照大神や観音(慈航)に江戸時代の民間信仰で人気のあった女神文殊が元とも言われている。
「そういえば昔読んだマンガに太乙や文殊や慈航が出てくる物があったなあ。あれは確か元ネタは中国古典だったはずだ」というのが私が封神に興味を持った理由である。
ここからが重要だが、WJ版のファンの人や解説本を書いた人のいう「原作」は往々にして安能版であるらしい。 WJ版のファンの方々はあくまで藤崎先生が描かれたジャンプマンガ・封神演義のファンであり、中国古典のファンではない。
WJ版の原作は安能版であるので、日本において安能版の内容を「原作」と呼ぶのはロジックとしては嘘でもなんでもない。単にロクに調べもせず「この人は中国古典について語っているんだ」と思い込んだ私がバカなのだ。
ええ、私に問題があるんだ、私に・・・。ああ釈然としない。
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更にややこしいことに筆者はてっきり安能さんは昔の人だと思っていた。
つまり封神演義の設定を作品に取り入れた江戸時代の流行作家馬琴先生も安能訳を読んでいたんだと思っていた。
古典には作者不詳で編纂によって内容が変わってしまうこともままある。安能版もそんな編纂の一種であり、安能設定にも歴史と伝統がありむしろ中国本土にも逆輸入されてアカデミックな場でも論ずるに足るものだと信じ込んでいた。
1980年代出版かよ!中国本土やアカデミックな場で安能設定を喋ったら追い出されても文句言えないわ。
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ネット上で封神の「原作」について語っていた場があった。でもそこに書いてあった内容は完訳版とは全然違っていた。確かにそこでは「中国古典について語っている」とは一言も書いてなかった。安能設定が日本においてのスタンダードとなっている事は知っていた。でも安能版も古典であり正式な封神演義であると思い込むのは完全なる私の独り相撲だ。
彼らは誰も嘘は付いていない。WJ版のファンは中国古典のファンであるとは限らないと見抜けなかった、そして日本でしか通用しない安能設定を勝手に中国本土でも通用すると思い込んでいた私のミスだ。
ああ、でも釈然としない。多分マイナスイオンの真実を聞いた人も私と同じ気持ちになるんじゃないか?
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ネット上では「中国古典・封神演義」のファンサイトもあるし、まともな解説本もある。それらにも一応目は通した。このまま完訳を読了すれば私は安能設定の呪縛から解かれるだろうか。
尚、後半の事前に聞いた「原作」内容のうち今の時点で完訳には書かれていないだろうと見当が付くものを挙げてこのコラムはお終いにする。
天祥は生きたまま風化の刑に晒される。
竜吉公主は「あまりにも美人過ぎて男の気を削がせ、容姿だけで修行の邪魔になる」という殆ど言い掛かりに近い理由で天界追放に処される。
「さすがは古典でしかも外国文学。現代日本人にはさっぱり理解できん」と思っていた。でも天祥は首をはねられた後に風化の刑になり、竜吉公主の追放理由ももう少しマシな内容のようだ。
(2006.12.26)