崑崙十二大仙個々について少々。


今まで十二大仙をグループとして語っていたが、ここからは個別に見ていこう。さすがに全員にコメントは付けられないが。しかし中国の民間信仰に多大なる影響を与えたと言われる封神演義だが、崑崙十二仙という考えは浸透しているという話は聞いたことが無い。残念。

まずは太乙・慈航・文殊。八犬伝の伏姫がと関係あるんじゃないかといわれる3仙だ。元々私は彼ら目当てで訳本の封神演義を読み始めた。

太乙はちょっと今回は置いておく。さて文殊であるが私はこの人は今にも四聖に殺されんとしている子牙を突如光臨して助けていたのが心に残っている。あまりにも唐突すぎて。

もう1つ。菩薩系3人共に言えるが万仙陣で真の尊い姿を現した挙句、戦っている相手を自分の乗獣にした場面は反応に困った。

ただそれまでもその後も延々と大量虐殺シーンが続く話なので、この場面は相手が死ななかったので実は少し心休まった。同じ理由で接引道人と準提道人の戦闘場面も好きだ。「ああ、もうこいつ死ぬな・・・」と思った相手が、どんな形であれ生きているのは嬉しい。

しかし接引と準提は所属グループと行動原理があまりにも特殊なので料理し辛いのかアレンジ物では出番は無い。でも私は封神で好きなキャラは?と聞かれたら「接引と準提」と答えたい。彼らは言うなれば西方化け物テーマパーク創設計画者なんだろう。でも彼らは強いし出番もあると思うんだけれど、いかんせん知名度が無いのが問題だ。

慈航は観音様としてなら日本で知らない人はいないんじゃないだろうか。十二大仙中でもっとも著名な神だろう。私は慈航は女性もしくは性別不明だと信じている。菩薩の性別を論ずるのは無意味だと解っているが。

余談だがWJ版普賢の女性ファン達が、「普賢の頭上に輪っかがあるのは普賢菩薩の後光を表している」説を挙げていた。勘弁してくれ。その理論でいくと十二仙の半数は頭上に輪っかを掲げて無くてはならんぞ。

次は広成子と赤精子。この2仙は子牙より活躍していないか?読む前は太乙や菩薩系の活躍を楽しみにしていたが、児童書や訳本を読んだ後はこの2人の方が好きになった。イラストサイトさんではこの2人を十二大仙筆頭とNo.2設定にして描いてくれているので嬉しい。

ここからは弟子の話になるが、渡辺仙州版の児童書では王子兄弟の死に様が怖かった。兄の方は前に書いたんので今回は弟の話を。あれ怖かったぞ。太極図の中に閉じ込められて今風で言うところのバーチャルリアリティの世界に入り込んで灰になる死に様が怖すぎる。これはメトロポリタンミュージアム(*)か?

*メトロポリタンミュージアム:NHKみんなのうたで繰り返し放映されている、子供達の心に暗い影を落とす映像。筆者なりの解釈で言うなら美術館の中で寝過ごした女の子が夜になって天使やファラオと仲良くなった挙句、美術品の一部になる歌だ。

今見返すとそんなに怖くは無い。もう美術館の中で寝過ごすような年ではないからだろうが、そう考えると本当に大人になって良かったとしみじみ思う。昔は本当に怖かったし、今でも殷洪の様な死に様を見るとがくがく震えてくる。もう絵の中に閉じ込められるくだりが正にメトロポリタンミュージアム!ただあの赤い帽子の女の子は朝になったら助かる可能性も考えられるが殷洪は灰にされる。

真面目な話、このご時勢に王子兄弟の死に様のような味方側の残虐シーンをよく児童書で書けたなあ。ジャンプじゃ絶対描けないだろう。ジャンプでは「太子の選択」として歴史の変わり目を描く場面に変わっているが、今考えてみれば当然の改変だと思った。それでもあの場面は人気がなくてあやうく作品自体が打ち切り寸前だったらしい。

嘉藤版でもそうだけどさあ。王子兄弟は死んだ方が皆の幸福に繋がるという、ちょっと現代日本では考えられないキャラだ。なので下手に扱うと、いや上手く扱ってももう読むに堪えん状況になるんだろう。

この兄弟のファン創作でこんな意味合いのセリフがあった。「あの日僕らは世界中が敵に回ったけれど、僕は兄様と一緒にいるからね」

これで私はもう駄目だ。想像してみてくれ。父親に殺されそうになって命からがら逃げ出した子供2人。しかし彼らは世界中の全てが敵なんだ。子供が世界中全てを敵に回すなんて普通の話じゃまずありえないシチュエーションだろう。易姓革命恐るべしだ。

筆者は天数自体は嫌いではない(少なくとも陰謀や殺人欲よりは諦めが付く)が、王子兄弟のくだりは純粋に天数の使い方がおかしいと思っている。兄弟が周の将軍になるのと父親に従ったまま殷側につくのと一体どっちが天数なんですか十二大仙筆頭さんよお!

失礼。かなりヒートアップしてしまった。訳本では兄弟が封神される場面はもうとっくに成人しているはずであるが、どうもこの2人は子供のイメージが強い。子供が酷い目に合う話は駄目なんだ・・・。

師匠の話に戻そうか。赤精子は子牙の魂魄回収をする場面と姚天君と何度も対決する場面が好きだ。あとは弟子を灰にした後「今後我が洞府で道を修めようとする者は現れないだろう」と泣くシーンも良い。赤精子は道教の天地開闢の頃からの神らしいが十二大仙で一番人間らしい心を持っていると思う。その分一番仙人らしくないとも言えるが。

広成子はやはり聖母(マドンナ)殺しと単身碧遊宮詣だろうか。殷郊も広成子もかなり命知らずの事をやるので、もう番天印に神経高揚作用でもあるんじゃないかと思える。

筆者は火霊聖母との戦闘とその後の単身碧遊宮詣のシーンは個人的名場面だと思っているので、安能さん訳もこの場面だけでも読んでみようかと思っている。でも安能訳では火霊の死体をさらし者にするらしいからなあ。金霞冠を持って詣でるのが好きだから。あとは崑崙側や通天教主が「広成子は真の君子だ。そんなことを言うはずは無い」と主張する場面が何故か好きだったりする。十絶陣の時に番天印で金光聖母の鏡を一気に割る場面もビジュアルイメージが浮かんでくる。

広成子は黄帝の師であり、あの時点で千二百歳だという。広成子と赤精子は大変由来の古い神だそうだ。

次は衢留孫、十二大仙随一のお洒落さんだ。八木原訳269Pからの引用「赤い玉のついた碧の冠をかぶり、翡翠のようにはなやかな服に絹のひもを(中略)七つの星がかがやく太阿剣をにぎりしめている」

雲中子も端正な顔をしているそうだし、中国でもっとも著名な仙人(下がった時代の仙人なので封神演義には出てこない)である八仙には女性や青年もいるそうだ。なので衢留孫もあるいは若い外見をしているのかもしれない。

前頁で黄竜真人は鶴に乗って何か聞仲にひどい事を言うとか、お前本当に十二仙かといいたくなるような奴だとか書いた。十二大仙であっても苦戦する時は苦戦する。趙公明四兄妹戦のときなど全員酷い目に合っているが、特に黄竜はやられた回数が一番多いはずだ。十絶陣のときに敵陣の上に吊るされたり呂岳に負けそうになったり万仙陣の時もやられたりしていた。

「どんなエリート集団でも10人超えれば1人はよく解んない奴がいるものだ」あるマンガの感想でネット上で見た発言だが、何か納得してしまう。十二仙で言うなら黄竜がそうなんだろうか(酷いこと言ってる)

二階堂氏の著書に仙人達の元ネタについて多少書いてあったが、玉鼎と道行の事は書いてなかった。主要キャラである楊センの師匠が元ネタなしというのは少し不思議なので何かあるんじゃないかと思うが、素人レベルでは解らない。

前頁で截教(金鰲)の連中は通天教主などを初めとして封神オリジナルキャラが多いので崑崙側に簡単に負ける、と書いた。

しかし封神の原作者はその一方でとんでもないレベルの強力なオリジナルキャラを創作している。その名も鴻鈞道人。なんと元始天尊・通天教主・太上老君の師匠だ。太公望=伏儀レベルにありえないキャラ設定だ。

あんまりにも強力すぎるせいか民間信仰に影響を与えたという話は聞かないし、アレンジ作品でも見た事は無い。

そういえば何かの本に載っていたが、道教においては称号にもランクがあるそうだ。なんでも「天尊>真人>真君>道人」らしい。しかし封神演義においては全く関係の無い話だろう。鴻鈞道人がいるんじゃなあ。あとは十二大仙のまとめ役が燃燈道人であるし。

話は玉鼎に戻すが、鴻鈞道人レベルのオリキャラを創作している話においては楊センの師匠にして十二大仙の1人がオリキャラでも充分ありえそうだ。でもここら辺になると素人では強い事は言えない部分でもある。尚、個人的には玉鼎は物知りキャラの印象が強い。

次は道徳真君。評価がほぼ誘拐犯で固まっており更に弟子の目から手を生やしたと言われる仙人だ。正解である。ただ天化を門人にした事を黄一族に話さなかったのは仕方のない事ではないかと思う。黄一族は造反するまであの妲己が圧制を敷いている殷で12年も堪えていた。もし天化が早い段階で家族のことを知り下山していたら、彼は親兄弟と対立しなければならなかっただろう。それを避ける為に道徳真君は何も言わなかったのではないかと思うのだ。

「じゃあ最初から連れ去るなよ」という突っ込みはもっともな見解である。

11人目、道行天尊。もし天数批判する封神創作を書こうとする方がいて、十二仙が内部分裂するエピソードを入れようとするなら、是非道行を真っ先に裏切らせくれ。次は多分性格から言って赤精子だろう。似たような立場でも広成子は天数側に残りそうな気がする。太乙も天数側につきそうだなあ。

裏切る動機は充分だ。この人にとっては截教よりも燃燈道人の方が敵だろう。例え天帝から臣下に指名されていようが十二大仙の中で一番自分の置かれている境遇に疑問を持ちそうな仙人である。

個人的には十絶陣のときよりも、西岐軍が兵糧不足に陥った時に弟子の道童である韓毒竜と薛悪虎を派遣して一升の穀物を蔵一杯にした方が心に残っている。奇跡としてはスタンダードであるが何気に凄い技を持つ仙人だ。

最後は霊宝大法師。・・・なのだが、この仙人に関しては本気で書くネタが無い。まだそこら辺の十天君の方が言及内容がある。ここまで没個性的なのも珍しい。霊宝の場合は派生作品においてですらモブに近いし元ネタも聞いた事無い神様だった。それ故に逆に派生作品においてはどんな設定を作っても問題ないだろう。なにせ何も書いていないんだから。


あとがき━━訳本読んでみて思ったんだが意外にこの人達個性あるなあ。古典の中に埋もれさせておくには惜しいキャラだ。

(2007.03.18)

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