私は昨年の11月に原作封神演義のファンになって良かったと思っている。理由は原作封神のイラストサイトがここ2,3年の間にいくつか開設されており、様々なオリジナル封神演義イラストが閲覧できるからだ。
商業ベースの関連書籍は95年の完訳発売・96年のWJ版連載開始後のわずか5年ほどの間に一気に出版されたが、今世紀に入ってからはとんと見かけない。それこそゲームか何かとWJ版の完全版くらいだ。二階堂氏の著書は中国民間信仰オールラウンドであるし。
その点原作封神のイラストサイトはここ2,3年に開設されたものが多い。しかも今までの関連本と違い十二大仙が多いのが特徴だろう。筆者のPCには十二大仙集合イラストが5枚保存されている。十二仙好きにはたまらない状況だ。
いや好きだから良いけど何故十二仙?下界の周軍イラストより多そうな現状は意外だ。
イラストサイトでは訳本基準である所と安能設定基準である所が混在している。ちなみに筆者はイラストや創作サイトで安能設定を使っていても気にならない。管理人さんの創作の世界なのでWJ版やセレス版みたいに派生作品のひとつとして捕らえている。むしろ十二大仙を個性付けしてくださるだけ従来のどの派生作品より好みだ。
第一、訳本のキャラは姫発を除いて全員短気で、姫発1人がいつまで経っても事態を把握していない状態なのでキャラメインの創作は安能版の方がやり易そうだ。それに韋護と楊任が友人だったり天祥が可愛がられていたりする記述も訳本には無いしねえ。しかし訳本に無いという事は中国本土には存在しないという事だよね、うん。
ただ聞いた話では安能さんはキャラ立てはよく行ったようだが、聖人君子を揶揄するようなちょっと毒のある書き方をするという。
姫発なんかかなりダメっぽいようだ。・・・ってアレ(訳本)より酷いのか!?訳本の時点で姫発は敵も味方も神仙から下衆に至るまで全員短気な中で1人だけ全然事態把握できてなくて、もう神輿に担がれているようにしか見えなくて涙なくしては読めないくらいなのにか!
やっぱり姫発は八犬伝の里見義成だろう。ただ里見家は部下も人格者揃いだし天皇家に絶対忠誠なので易姓革命とは無縁なんだが(というか天皇家には姓が無いので「易姓」革命は無理だ)
たださすがに史実の姫発はもっとまともな人間らしいので安心した。
それに十二大仙は原作と安能版でそんなに大きく変わっているという話は聞かないから・・・。
前言撤回。何でも闡教仙人全体で悪人度がもはや倫理観を疑うレベルにグレードアップしているという話は聞くが、まさかファン創作サイトで彼らの事を極悪人には描かないだろうし・・・。
実際見た限りでは精々殺劫云々と言及している程度でしかも宿命論の範疇に収まっている。宿命論としての殺劫は原作でも重要なファクターであり、むしろ殺劫があるからこそ十二大仙は高仙にも拘らず参戦する。しかしまあ当然だろう。私だって「私の好きなキャラは定期的にちょっと殺しをしたくなって、ついでに邪魔な奴始末したくなって戦争引き起こすんだ〜v」なんてサイトに書きたくねえ!
そんな訳で主に十二仙やその弟子達を扱っているサイトでは安能設定だろうと気にならない。むしろ管理人さんが安能版を基にしていると書いていないと気づかないくらいだし、それに古典の二次創作だと明記してある所も多い。それらのサイトさんはやはり古典基準なんだろう。中にはサイトの規準こそ安能版でも管理人さん本人は訳本に目を通されている所もあった。うん、やはりイラストサイトさんの方が良心的だ(何か嫌な事を思い出したらしい)
訳本設定を取るか安能版を取るかで扱いが変わるのは十二仙ではなく、彼らの兄弟弟子の雲中子と申公豹だろう。
雲中子はやはり反封神計画者設定だ。まあ天帝の臣下に指名されている十二大仙が反封神に回るのも何だし。しかしこの設定だと雷震子はどうなるんだろうか。
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さて上に書いたように十二大仙は訳本でも安能版でもそんなに大きく変化はしていないという事にしよう。その代わりWJ版がぶっ飛んでいる。
WJ版のファンの人がよく疑問として出すのはのは「何で原作の十二仙はこんなに強いのか?何で金鰲の連中をいともあっさり倒すのか?」でしょうか。
それに対する答えは「十二仙は元々金鰲の連中をいともあっさり倒せるくらい強いんです。孫悟空すら適わないくらい強いんです。そして元々徳も高いんです。特に慈航に至っては彼女は日本を含めた東アジア全土に一体何千万人の信者がいるのか想像も付きません」
具体的に言うなら、十二仙の師匠は道教最高神元始天尊です。対して金鰲のトップである通天教主は封神演義のオリジナル神格です。
日本で道教と言ってもピンと来ないでしょうから別の例を出しますが、例えば天照大神の腹心・釈迦の高弟・ゼウスの出来の良い子供・キリスト教やイスラム教における大天使etc・・・。とにかく何でも良いのであなたが思いつく神話や宗教における最高神の眷属を挙げてみてください。
彼ら彼女らがそこら辺のオリジナルキャラとその弟子どもに負けたらどう思いますか?ようは原作の十二仙は金鰲の連中くらいあっさり倒せなければおかしいほどに徳の高い神々なのです。
まあこんな感じでしょうか。ドラクエ7の神様についている四大精霊はあきれるほど弱かったですが。
聞仲は何か元ネタはありましたっけ?普化天尊(聞仲の封神名)としてならともかく聞仲自身としてはどうでしょうか。少なくとも十二大仙に匹敵するくらいの高い神格ではないはずです。
WJ版のキャラはそれぞれのキャラの神格を考慮するとパワーバランスが無茶苦茶ですからねえ。聞仲は訳本では道友が殺されるたびに泣きじゃくっては鶴に乗った黄竜真人に何か酷い事を言われていた気がします。
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ここからは封神演義ファンとしてではなく、少年ジャンプ好きで藤崎先生の単行本全部持っている身として話をします。
WJ版の封神は道教神話ではなくて藤崎先生が考案したファンタジー世界におけるオリジナル神話(略してオリ神)だと思ってしまうとは以前に書いた通り。
古典封神のファンの方で藤崎版が広まったせいで本来の封神演義が誤解されて伝わってないかと心配されている方がたまにいらっしゃいますが、ご安心ください。アレが本当の中国古典だと思い込んでいる奴なんて見た事ありません。皆そこまでバカじゃありません。WJ版はあからさま過ぎますから。ただ「WJ版の原作」に騙されているっぽい人はよく見かけますが、まあ気にしない。
このマンガを読んで本当の中国古典だと思うのは、手塚治虫のブッダを読んで仏教の開祖の伝記を読んだと思い込むより無茶です。WJ版封神の道教開祖は怠惰スーツで寝ていますし。無為自然ってそういう意味じゃないでしょう。
藤崎氏は元々トンでもない話を描く漫画家です。封神は原形留めてないとはいえ一応古典を下敷きにしているので藤崎作品としてはまだマシな方なんですよ。あれでも。
いや、封神に限ってもあの人これの連載が終わった直後、殷周革命全般を一話でぶった切った読み切りを発表しましたから・・・。ちなみに異説・封神演義という題名で氏の「DRAMATIC IRONY 短編集2」に収録されています。いくら原作付きとはいえ4年半かけて連載した作品をあんな風に出来る辺りつくづくこの作家は並みじゃありません。
もう紂王の「アメとか好き〜」だの「予はグッチへ参る!」とか人間のままの妲己(おそらく蘇護の娘)が買い物依存症! 馬鹿なギャグの中に挿入される「紂王悪行ファイル」の淡々とした文体のギャップには腹のそこから笑いました。紂王の悪行は誇張されている可能性が高いのは今時高校の歴史でも取り沙汰されますが、こんなんが真相だったら私もう歴史不信になりますよ!
ただこれは殷周革命のパロディであって「封神」演義では無いですよねえ。仙人界とはほぼ関係なかった嘉藤版ですら「封神」は行っていましたが。
私としちゃ藤崎先生の作品は封神以外の方が好きですし何度か読み返しています。なので実はWJ版封神演義はもう何年も読んでいません。でも異説は読み返しています。実は封神物の中では異説が一番好きかも知れないです。
そんな訳で封神は非常にとんでもない話を描かれる藤崎先生の作品内では一番ジャンプらしいです。
さてジャンプマンガにおいては主人公陣営は常に強敵と戦わねば話になりません。それがジャンプだからです。なので正直言ってピンチに陥った主人公を絶対に助けてくれる強力な兄(姉?)弟子がダースで存在するというのはジャンプマンガとしては致命的です。
なので普通だったら考えられないような格下が大幅パワーアップして九仙も封神されてもまあ仕方ないでしょう。もちろん訳本のキャラのまま聞仲が九仙も封神したらムカつきますが、ジャンプ版のパワーバランスなら充分ありです。
第一、ジャンプでは封神台を建設したのが十二仙らしいので、本当に自分達が死ぬ気だったのか甚だ怪しいから。
十天君もそうですが、南極や火霊達みたいに消されなかっただけマシだと思います。その辺グループの強みでしょう。
もしくはジャンプの歴史は正義に為に戦うといっておきながら超人達同士の身内争いが多いと言います。なので十二仙同士で内部分裂したり黄金12宮みたいに敵に回ったり、実は妲己とは別口でジョカと繋がっていた設定にされていないだけ良かったと思います。
まああのマンガは身内争いの次元を超越して全部主人公の自作自演だったんだけど。主人公が覚醒するのもジャンプの王道だが、さすがにあそこまでやったのは見た事無い。
纏めると訳本では十二仙はピンチに陥った主人公を絶対に助けてくれる存在がダースでいるというジャンプマンガとしては致命的な存在にも拘らず、削除もされず敵に回ったり内部分裂したりもせずインフレで置き去りになれる前に散っていった。扱いは良かった方だと思う。
ここからは訳本封神好きの視点に戻る。
十二仙がジョカの手下というのは理屈としてはおかしくない。WJ版のジョカは歴史の道標、訳本における天数的扱いだろう。もしかしたら彼女は昊天上帝に準するかもしれない。
十二大仙は天帝の臣下に指名されており天数追従者だ。姜子牙や伏儀が天数批判に回ったら本来は前に立ちふさがる役割になるだろう。
ただし訳本でもっとも重度の天数追従者はWJ版ではジョカを批判していた燃燈道人なんだが。この燃燈の言動が正反対で最後に歴史の道標を無くす方向に持っていくのが原作を踏まえた上でのプロットだったとしたら藤崎氏の封神演義はなめたらいけないと思った。
そして良い意味で藤崎版封神演義は藤崎先生が構築したオリジナル神話だと思う。
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さて、そういえばWJ版では普賢が太公望と同期である代わりに燃燈が元十二仙だった。じゃあ普賢は何歳なんだ。下手な道士より年下っぽそうなんだが。
あとは何故か太公望が十二仙と同格扱いになっている。まああのマンガ十二仙と太公望以外に元始の弟子出てこないし。
ちなみに訳本だと「姜子牙がピンチに陥ったら必ず高人が助けてくれる」と言われており、十絶陣のときにいきなり十二大仙が全員降臨していた時など高人を戦陣営に滞在していただく訳にもいかないからと慌てて白屋を建てていたが。絶対同格じゃねえ!
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そういえばWJ版の感想でこんな記述があった。「せめて菩薩系の十二仙は女にして欲しかった。12人全員男は子供心にきつかった」と。
まああのマンガで十二仙のうち女仙が3人くらいいても特に問題にはならないだろう。問題は普賢菩薩、ではなく普賢真人が女だったら太公望の親友としてはどうだろうか?という点だが、それはあの子が普賢でなければそれで良い話だから。
考えてみればWJ版普賢が普賢でなければならない理由など無いはずだ。解りやすく言うなら太公望と同期で天使な容貌の男の子が「普賢真人」である必要は無い。別にあの天使っぽい子が別の十二仙の名前と立場を持っていても構わないはずである。それに姜子牙の本来の同窓は後に敵に回る申公豹であるし。
それにしても八木原訳を読んだとき普賢がいきなり真の尊い姿を現して三面六臂になったときは反応に困った。
さてあの天使っぽい子が普賢である必要は無いとして、じゃあ他の十二仙で誰があの子にふさわしいかと問われたら・・・。
主要キャラである那咤や楊センの師匠(太乙・玉鼎)は止めといたほうが良いだろう。天化の師匠(道徳)も評価がほぼ誘拐犯で固まっているから避けた方が無難だ。弟子を手にかけねばならない王子兄弟の師匠(広成子・赤精子)もパス。衢留孫も弟子のパッシングが今より酷くなりそうなので避けるとして(土行孫ゴメン)、真の姿を現す系も止めるとする(文殊・普賢・慈航)。
お前本当に十二仙かと言いたくなる奴も止めておいて(黄竜ゴメン)、弟子が燃燈に殺されたも同然の道行もなあ。個人的に十二仙内から反逆者が出るとしたらまず道行だろうと思う。
霊宝が一番良いのではないか?つまりあの太公望と同期で天使な容貌の男の子が霊宝大法師という名であっても構わないのではないか?霊宝は弟子もいない上に本気で出番が無くてどんなキャラかも思い出せないくらいなので、逆に実はどんな設定があっても問題ない気がする。
(2007.03.18)