白岩寺と寿真庵
橋爪助左衛門は、白岩寺の寳山和尚を開山と頼み、寿真庵を建立しました。
その後の寿真庵の歴代住職のうち6人は、白岩寺の歴代住職にも名を連ねています。
現在、島田市内の黄檗寺院は、白岩寺と寿真庵のみで、その他の黄檗寺院といえば、西は浜松市まで、東は静岡市まで行かなければなりません。
(白岩寺の伽藍)
その昔は、島田市内(旧島田町と旧初倉村)にも4ヶ寺あったそうですが、明治維新以後、激動の時代の中で、合併や廃寺により姿をを消していきました。
御仮屋の山の中腹に建つ白岩寺は、古くから文殊堂のあった場所に、島田代官長谷川藤兵衛と小塩孫十郎という富豪の助力により、元禄7年開創されました。
巷では、円山応挙が描いたとされる幽霊の掛け軸が納められている寺として知られています。
宝永7年、3代住職が大般若経を誦し、将軍家継の病気を平癒させたとして、徳川家との関係も深かったようです。山内の愛宕権現は家継からの寄進によるものと伝えられており、その他にも将軍家ゆかりの品々が残されています。
(愛宕権現)
山頂に白岩寺公園が整備されてからは、のんびりとウォーキングを楽しむ人々が増えています。
(白岩寺公園からの眺望)