ホームへ        島田宿の句碑へ

              小夜の中山の句碑       金谷宿から小夜の中山近辺


   参考  静岡県俳句紀行(関森勝夫著)




金谷町長光寺境内

「みちのべの木槿(むくげ)は

    馬に食はれけり    芭蕉」


















金谷町旧東海道

  石畳茶屋の直ぐ西の庚申堂


「曙(あけぼの)も 夕暮れもなし

     鶏頭花(けいとうか)   巴静」


六六庵巴静は通称弥平太(1680〜1788)













少し暖かくなってきたらハイキングの人が

多くやってきた。

ここは石畳の歩行者専用ですが、

狭い道で道いっぱいになって歩いているので

車のほうはちょっと困る。見ればかなりの年配

者でも足取りは軽い。












牧の原公園からの眺望

手前が金谷町、大井川の向こうが島田市




平成21年2月21日撮影

















牧の原公園

茶祖「栄西禅師の像」

「かたくりの花」の群生地です。






















牧の原公園の北で金谷から石畳道を

登ってくるとここに出る


「馬に寝て残夢(ざんむ)月遠し

       茶の烟(けぶり)   芭蕉」

















菊川坂石畳






















石畳の道の河津桜


H21,02,21


















小夜の中山から旧東海道を西に行った

道筋に句碑や歌碑が並んでいる。

 「道のべの木槿(むくげ)は馬に

            くはれけり   芭蕉」

馬に乗っていたらその馬がむくげの花をパクリと
食ってしまった。命あるものいつこのムクゲのよう
突然命を絶つかもしれないと自分の身に置き換え
て詠んでいると解説にありました。













 「春うらら茶の一字ある

         茶山かな   伊々山」



 茶の字は粟が岳 掛川市のシンボル的な山

 で西から見ると富士山型の山です。











小夜の中山の西、旧東海道道筋

 「命なり わずかの かさの

            下涼み   芭蕉」


西行が詠んだ「いのちなりけり さやの中山」の

歌から同じ場所で吾の命の句を詠んでいるのだ

ろうと思います。

芭蕉も西行にあこがれていたのでしょうかね。











 句碑は旧東海道の道に沿って

          建てられています。


 「白梅の咲く海道の

           茶山かな   伊々山」















 一里塚

 「春の日にたどりてうれし

            一里塚  伊々山」


















 「馬に寝て残夢(ざんむ)

       月遠し茶の煙(けぶり) 芭蕉」


馬子のひく馬に乗っていて朝早かったので居眠

りをしてしまった。朝の月と家々からは朝餉の支度

なのか煙があがっている。

久延寺境内のもの。











 久延寺境内の夜泣き石

 夜泣き石はもうひとつはこの北の新旧の

 国道にはさがったところにありそちらが

 本物のようです。
















夜泣き石

こちらが本物か。

燈籠に銀座松坂屋の文字これは広告でしょうね。



















小夜の中山の西、旧王海道

「馬に寝て残夢(ざんむ)

       月遠し茶の煙(けぶり) 芭蕉」









































 広重の東海道五十三次の図


句碑や塚は道順どうりではありませんが

中山峠から日坂までの道端にあります。


















小夜の中山公園

 「年たけてまた越ゆべしとおもひきや

     いのちなりけりさやの中山  西行」


















歌碑も小夜の中山の西、旧東海道道筋


「ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れぬ人を

      さやの中山    藤原家隆  新古今和歌集」










東路のさやの中山なかなかに なにしか人を

       思ひそめけむ    紀 友則   古今和歌集













甲斐が嶺ははや雪しろし神無月

  しぐれてこゆるさやの中山  蓮生法師 続後選和歌集












  謎の碑

大井川のすぐ西の東海道脇に蕪村の句碑
「みぢか夜や二尺落ちゆく大井川  蕪村」
があるというので探すがいくら探してもない。

ここにあるという場所には歌碑「日かす(数)ふる
旅のあはれは大井川わたらぬ水も深き色かな」
というのが近年建立されたようだ。

近くにいた老人夫婦に聞いたところ蕪村の句を
諳んじてすらすら言って句碑はあれだとこの歌碑
を指差したが私が「あれは違う和歌が掘ってあるけど」
といったら「あれはわしが変えさせたんだ」と言ったら一緒
にいた奥さんが「何をたわいもない事を言って」とだんなを
怒って服を引っ張って連れて行ってしまった。

後日ネットで調べてみたら蕪村の句の「二尺落ちゆく大井川」
は京都嵐山の川にかかる堰から落ちる川の水で大堰(おお
いせき)のことで京都の句であるとあった。そういえば大井川
のここには二尺落ちゆくといってもそういう場所は無い。

私の推測ですがたぶん削られていまの歌碑になったようです。
歌碑の表がへこんだようになっって入るのうなずけます。

前に記した夫婦ずれも地元の恥と思っていたのでしょうね。
おかげでここでかなりの時間を要してしまった。




                                         ホームへ        島田宿の句碑へ