IGMA Guild School 2001
スクール7日目(クラス5日目)


イヤ〜もうあしたは最終日。どうなることやらの後半の追い込みが始まりましたよ。
そうそう、書き忘れたけど、2回目のサイレントオークションでまたまた私の小物をマリオンが落札してくれた。もうひとつのミニチュア日本人形はテリーという人。予想以上の高額で申し訳ない。テリーにはメッセージボードでコンタクトを呼びかけたが会えずじまい。残念。でもお礼のギフトは受け取ってもらえたよう。IGMAの事務方にも「これで少しは貢献できて嬉しい」と伝えられた。なにしろ私はIGMAの会員でもなければ、ギルドスクールにも関心がなかったので、今回のスカラーシップがなければここには来なかっただろう。スカラーの奨学金は12万くらいなので何かお返しをと思っていたのでよかったよかった。

朝食後部屋に戻ると、近所でドライヤーの音がする。実は頭を洗いたかったのだけどドライヤーがなかったのでがまんしていた。(預け入れ荷物はなくなる可能性があったし、手荷物のカートバックには、ドライヤーは入らなかった)
思い切ってドアをたたいた。この時間部屋にいるのはごく少数の人だけ。
彼女はエレンといい、母親と来ているらしい。でもわざと違う部屋にしてもらって交流を広げているという。
誰のクラスをとっているのかと聞かれて答えると、「あらそれなら母がいるはずだわ」というのでびっくら。それはイスのクラスだった。
ドライヤーを借りたおかげでカゼもひかずに済んだ(濡れた髪でいるとすぐカゼをひく繊細体質の私)。ありがとうエレン。得意のミニギフトをお礼に渡す。
さっそく、次のクラスで母親のボニーを探して、「今朝娘さんにドライヤーを貸してもらい助かりました」と挨拶。
彼女は60歳代の普通体系の人で娘とは余り似ていなかった。おっとり系のおとなしいいお母さんといったところ。
(この母娘とは不思議な縁で最後まで一緒になる・・・)

★☆ イス(5日目) ★☆
きょうは布張りをするのかと思ったが、それは明日とか。でも明日1日で仕上がるはずはない。ひとりの生徒の嘆願で私たち先行組は布張りを開始する。
開始早々、先生からもらった布はどうも厚くて上手くいかないので、自分の持ってきたコットンでやり直すことにした。3倍速マージが、私が諦めた同じ布で小朝が続けているのに、どうしてやめたのかと問うので、「彼は5年生。私はビギナーだからね。」と言い訳する。マージもスーも持参のコットンで勝負しているので問題はなかったようだ。
マージは口も早いがやることも手早い。ダンナさんは民間パイロットで飛行機会社を経営していて、マージは秘書。だからここに来るのも自家用営業機でNYから来たそうだ。「じゃ口笛吹くとタクシーみたいにすぐ来るんだね」「そうそう、ヒューヒューと吹くとね。って来るわけないでしょうが!」などという会話が3秒間くらいで再生されるのですごく面白い。
この時期、他の生徒のプロセスがもうバラバラなので先生があっちに呼ばれたり、こっちに引っ張られたりで、私達のプロセスは指示待ちで一向に進まない。「ちょっと待って今行くから」と言ってもう15分。せっかち2人組はちょっとイライラ。
これは先生の教え方にもわかりにくさがあった、まず全体の流れの説明がないし、各プロセスの見本もないので、次にどうなるのか誰にも具体的にわからなかった。今日はここまでという目標設定がないので結果オセオセモードで完成しない人が多数出る結果に。(まあ人権や個人差を重視する国なので、日本のように目標設定は何事につけてもあんまりないけど・・・)
2人のイライラがわかるのでの二人の手相を見てあげる。当り障りのないことを言って楽しんだ。ついでに小朝の手相も。この人繊細かとおもいきや、けっこう男っぽいので意外。あまりこだわらない人なんだ。
たちまち、ランチの時間になってしまった。


こちらは布張り工程。向こうにマージ・小朝・スー。花柄の女性はエレンの母ボニ-

ランチタイムで、コーレイさんが、「ダンナから、Eメールがきたよ。こっちも元気にやってるから、帰ってくるの待ってるよって。
ハワイに着くのは日曜日だったよね」と内容を伝えに来てくれた。
コーレイさんはバージニアの人でそこにいた人は皆イーストコーストの人達だったので、時差の話で、私がハワイに帰るころは日曜日だねと話していたのだ。たしかに西部時間で日曜日だった。(でもハワイ到着は土曜日)
ところがなぜかそのまま伝わって、このときハワイでは大騒ぎになってたらしい。、ハワイにいる私のダンナは私が日曜日に帰ると誤解してるんじゃないかと思っていたらしい。間違った事態に備えて旅行代理店でチケットの空き状況なんか調べてくれていたようだ。
そんなこととはつゆ知らずのんきな私はメタルの5日目へ。

★☆ メタル(5日目) ★☆
切り出した部分をサンディング。ちょっと皆の切り出し状況をを拝見してみることに。
2時間半も夜に磨きつづけた総務課長代理はわざわざ、デザインを別紙で切り抜いた紙をメタルに張って切り出していたので、やるなと思っていたが、それでも結構ずれて、違う形になっていた。 パトリシアにいたっては全く違うデザインになっていて、笑いをこらえてしまう。本人も全然違うと認めていたのでよかったが、彼女はその体格通り大きな人だった(この人も血液型はOだと思う)。
さすがアリソンは大学でメタル経験があるだけに一番先生に近い。
あのEばあさん(なぜEばあさんかといえばEからはじまる名前だったような気がするが思い出せないので・・・ごめん)も結構はみ出のほう。
思い切って昨日見かけた話をすると。「そう、ダンナと娘と来てるのよ」と嬉しそう。(えっ〜!あれ息子じゃなくて娘だったの〜・・)。でも家族の事を聞かれて饒舌になったEばあさん、角砂糖が熔けるかのごとく、しゃべりだした。昔、日本人の女の子が1週間だけホームステイしてたことがあって、今でもクリスマスカードがくる話などをしていた。(ばあさんの笑顔を始めてみた〜・・)
そんな事より、こんな事でいいのかと心配になる私の進展状況。今日は鍔のパーツの説明があったが、そこまでできるのは2人くらいか。どうなる。どうなる。先が見えずにはや3:00.次のクラスへ移動。


Eばあさん熱心にのぞきこむ


★☆ フラワー(5日目) ★☆
花クラス 5日目で皆の興味もややフェード気味で部屋に足を踏み入れると雰囲気がだるい感じ。
先生が説明してる時に何回も同じ質問が繰り返されるので、たまらずジャニスが黒板に「花弁は最初6枚。次7〜8枚。製作は5本」などと書き出した。どちらもお疲れモード。私も肩がコリコリでサロンパスぷんぷん、指にはバレーボールの選手のように指テープぐるぐる。
ふいに彼女がから「昨日はオリガミパーティーで盛り上がったんだって?」などと言われて超びっくり。
(なんで知ってるの〜?? そんなに人はいなかったのにナゼ知れ渡ってるわけ〜? あ〜っ。またスーザンだな) ったく・・・翌日には100人くらいに広まってんではつうくらいになんにつけても噂の伝染力が強かった。)

今日のおしゃべりは来年オランダで開かれる10年に1度の花の博覧会でひとしきり。。サンドラも是非行きたいと。
それと、娘の卒業式が今日だというのにここに来ているママについて。皆から「悪ママ」と言われていた。卒業式は結婚式の次に大事なイベントのようで、それにまつわる各自のエピソードなどで盛り上がっていた。

★☆ ミニチュアセール ★☆
今日は8時から先生達のセールがあって、私もハワイのミニチュアクラブのメンバーから買い物を頼まれていた。
サンドラの花を買ってきてくれと言われた。300ドル持ってきたけど、まさか足りないことないよね。(と自分では思ってた)
スーザンが「開場30分前から列ができて5分で皆売り切れちゃうわよ」などと脅すので、7:30にマリーを誘うが「早めには行かない。売り切れたらそれで仕方ない」 とあまり買う気がないらしい。ジャネットに声をかけると行ってみようかとベットから起き上がった。
すでにもう15人くらいは並んでいて、開場10分前には60人くらいになっていた。前の方から紙切れがまわってきて、極秘資料「各アーティストブースの配置図」なるものだった。
私の前の人は地元の人でどんなものか見に来たと言っていた。普通の人にしたら、こんな小さなものがどうしてこんなに高いのの?と理解できないだろうが、職人の技を堪能できるからと言って励ました。(って励まして何になる?)
さて、開場後サンドラ先生のブースへ行くとあまり数がない。私達のプロジェクトの完成作が375ドル!(ええっ!!買え〜ん。・・・でも私たちが作っているものってそんなにするのね〜)って今回はペーパーだけにして他を見学。
ビルのところにはコーレーさんが横に張り付いてアシスタントをしていた。さすが信奉者。
「もう全部売れちゃったの?」と悲しそうな顔をすると「そうこれだけ」といってタバコの箱の半分くらいの ”スパイス戸棚隠れ引出し付き”を見せてくれた。買えないけど他の作品も見たかったな〜。でもこれもすごい。ゴマ粒の半分くらいの鍵がちゃんとロックできるのだ。さすが。
博物館アイテムの逸品。値段は・・・うちの家賃と同額だった!。
他も急いで見ないと作品がなくなってしまうので小走りに会場を駆け巡る。
アランのところにはアリソンとロバートの若者コンビがアシスタント。売れ行きはいいようだ。
そして、あらびっくり。ヘアドライヤーを借りた娘エレンとその母ボニーがパンチニードルキットやベットカバーを売っているのだ。
ここで売ることのできるのはインストラクターかセミナーの講師だけ・・・ということは母親は先生だったのね〜こりゃまた失礼。
母親先生は空き時間に家具のクラスでお勉強してたのね〜というわけで、勤勉な親子でした。
ディーのテーブルも盛況でなにより。結局私は材料キットなどを数点買えたのみでほんとこのショーは30分くらいで終了してしまった。


シルバー小物のPete Acquistoと日本語でお世話になった Dee。彼等にショーで会ったらよろしくね。

さて、部屋に戻ると、見慣れない男がいた。この人がスーザンの夫でジム。シャワーを使っていたらしい(オイオイ)。
法律家というよりは、ま、下の写真を見てください。スーザンからすでに私のことは全てインプットされているらしく、わざわざ私を見に来たようだ。結構軽い人でカナダ人っぽくなかった。まもなく女性軍が戻ってきたのでまた明日ねと車に戻っていった。

 
ジムとスーザン(卒業バンケットで)


スーザンは昨夜のオリガミカードにメッセージを書いているらしく、時折私に「ディスミスティファイてどんなスペルだっけ」 などと聞く。「って言われてもね〜わたしゃ日本人だし。だいだいあなたはプロフェッサーじゃなかったっけ?」というと「先生っていうのは結構バカが多いのよ」などと正論を吐く。
しょうがないので私が英和辞書を持ち出し2人で推理しながら探した。そんなことが3回くらい続いたのが なんか滑稽なシーンなので忘れられない。
スエーデンのマリーが入ってきたので、「まだワインあるよ」と言うと、喜んで飲んでいた(結構お酒好き!)もうビンごと持って行っていいよ。どうせマリーしか飲まないみたいだから」というと喜んで持って行った。(北欧は夜が長いからね。)
トニーが始めてのショーの感想などをおしゃべりしてるとスーザンが意外なことを教えてくれた。
「インストラクターの□□□□はこの前まですご〜く太っていたのよ、今日見たときは全然わからなかったわ。30キロは減ったわよね。胃を絞る手術かなんかしたんじゃないの?」(この手術をすると毎日6種類の薬を一生飲み続けなければならない。)そういえば、なにか薬を飲み続けていることは言っていたみたいだったな、そのせいか食事が凄くまずいって言ってた。「 なんか性格も変わっちゃったみたいね。昔はもっとオープンだったのに・・・。」するとトニーも何かきつい対応をされてびっくりしたとか言い出した。また□□□□さんは昔、自分のミニチュアのスタイルやノウハウをそっくり真似されたことがあって、裁判沙汰になったとか言ってたよ。などと業界今昔物語がしばし続いた。
今までソーン夫人以外のアーティストには全く興味がなかったのだけど、今回業界へ足を踏み入れたことでここには書けない裏事情をいっぱい知ってしまった(どこでも同じね。)

「今日と明日はダンナが寂しがるので車で寝るね〜」とスーザンは笑いながらその巨体をゆすって暗闇に消えていった
もう明日は最後。だんだんハワイが恋しくなってきた。

次ページへ続く
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