私なりの牛臥海岸物語がここにある…。

大川 廣一(オオカワ ヒロカズ)

牛臥海岸
 正面に大瀬崎、背後に富士山。奥駿河湾の波が寄せては返す沼津市下香貫の牛臥海岸。30年前くらいに遊泳禁止となってしまい、子供の頃からこの海を見て育った私にしてみれば、とても淋しい事です。なんとか、みんなが楽しめる活気のある浜に戻したかった。それも私の好きなウインドサーフィンを生かして…。オンショア(海から陸に吹く風)のいい西風が吹くこの牛臥は、ウインドをやるのには最適ですからね。それは言ってみればこの浜のセールスポイントなんですョ。又、ウインドのブームに乗って牛臥もここ数十年、元気づいたことも事実です。当時、自分たちグループだけの輪で楽しんで、他に仲間をつくることに消極的なサーファーが多かったんです。それでいまひとつ盛り上がらなかった。…その私なりの解決策が、牛臥海岸につくった、DE・MER・セーリングハウスです。牛臥が沼津のマリンスポットとして発展していく為のステップとなる。このハウスが、その役目を果たせたら…という思いから建てました。ここから新しい仲間が増え、建ててから20数年経った今では、県内外から多くの人が遊びに来てくれるようになりました。誰にでも気軽に立ち寄ってもらえる場所作りが、やはり必要だったんですね。今では本当に嬉しい事です。

風に対して
 30数年前、知人のマリンショップで外人女性のモデルさんがウインドサーフィンに乗ってニッコリと微笑んでいるだけのパンフを頼りに組み立てた事、思い出しますね。何度組み立ててもパーツが余ったりして(笑)。ようやく出来上がって、初乗りした海が牛臥海岸でした。まだウインドサーフィンなんてもの、沼津でやっている人なんか1人もいない時代でしたから、海は貸し切り。ボードがボロボロになっても、毎日通ってましたね。でも道具のセットの仕方や、セーリングのイロハ…誰も教えてくれる人がいなかったから、海上を走れる様になるまでは時間がかかりました。もちろん、ウインドの基本コースが、風に対して直角だということをしるまでもね…。「日本で最初にボードセイリングをしたのは、自分だった」と、後から知りました。

海上に10艇のセイル
その内、「こんな面白いものはない」ってほどウインドに夢中になってきた私は、仲間づくりに励みました。もちろん、‘楽しいものをみんなにも‘って気持ちもあったけど、海上に10艇のセイルが並んだらキレイだろうな〜って。2年程で仲間は5〜6人になり、各地へ遠征に出かけたりもしました。仲間も増え、ボードやセイルの修理は私が一手に引き受け、自宅営業。その数に対応しきれなくなり、ウインドサーフィン専門店を開業したわけです。私の”海上に10艇のセイル”の夢は大きく叶いました。

最後に
 ウインドサーフィンっていうと”難しい” ”重い”ってイメージが強い様です。それで敬遠されがちなとこってありますよね。ウインドサーフィンは誕生して30年以上経ち、昔に比べて道具の軽量化、安定感が進歩し、圧倒的に誰にでも簡単に楽しめるスポーツになりました。1度ウインドサーフィンの魅力を知ってしまうと、やみつきになる事間違いなしです。みなさんも是非1度トライしてみて下さい。まずは牛臥海岸に足を運ぶことからがスタートですョ。