◎23年9月


ある犬の飼い主の一日の表紙画像

[導入部]

 56歳のヘンク・ファン・ドールンは、離婚して老犬スフルクと暮らしているICU(集中治療室)のベテラン看護師。 7月の朝、犬の散歩に出るが、スフルクの調子がよくない。 走るのが好きなスフルクだが、今朝は道端の草の上に伏せている。 その時、「喉が渇いているのかも」と言って、女性が水の入ったボウルを持って来てくれる。 スフルクは精力的に飲み始め、しまいには起き上がる。 ヘンクはこの女性のことを魅力的だと感じた。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 表紙絵などから犬がメインの話かもと期待したが、タイトルどおり、飼い主その人の一日を描く物語だった。 未来につながる大切な一日が描かれる。 90パーセントは飼い主ヘンクの語りだが、ふいに姪のローザや恋人のミアの視点に移り語られるところが面白い。 ヘンクの語りは内省的・哲学的でちょっと読みづらいところもあるが、犬への愛とともに、独身五十男の感情がきわめて率直に表現されていると感じた。 オランダの重要な文学賞、リブリス文学賞を受賞した。


禍の表紙画像

[導入部]

 おととし離婚してから一人暮らししているアパートから歩いて十分ほどのところにあるショッピングモールの中の本屋に入った。 便意を催したので多目的トイレの個室に入ろうと扉に手をかけた。 すると女が便器に座っていた。 女は便器の蓋をおろし、その上に腰かけていた。 四十絡みの小肥りの女。 膝の上には本が開かれている。 その本のページを破りとり、丸めて口に押しこみ咀嚼する様子だ。 人間が紙を喰っている。 (「食書」)

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 耳、目、鼻、髪など人間の体をモチーフにしたダークなホラーとファンタジー七編。 見てはいけないような悪夢の世界に入り込んだように思わせる作品集。 前作
「残月記」に感心した作者だが、さらに増した薄気味悪い悪魔的な想像力の世界に驚かされた。 物語としては鼻がモチーフの「農場」が最も面白く、おぞましさでは宗教団体が執り行う儀式に参加する「髪禍」がとにかく凄い。 想像力の極限をいっている感じ。 耳から他人の体に入り込む「耳もぐり」も怖ろしい。


グラーフ・ツェッペリンの表紙画像

[導入部]

 藤沢夏紀は土浦市の公立女子高二年生。 部活はパソコン部と占い同好会に属している。 今は2021年の夏休みで、部活の帰りで亀城公園の丘の上に立ち、空を仰いだ。 昔、まだずっと小さかった頃、ここで飛行船を見た記憶がある。 なぜそれを思い出したかというと、夏休み前のホームルームで担任の菅野先生が土浦の昔話をしたからだ。 一九二九年、世界一周を目指した飛行船グラーフ・ツェッペリン号が土浦で爆発炎上したという話。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 並行世界、別々の2021年を生きる17歳の男女を主人公とした青春SF。 夏紀と、同じ時を別の世界で生きる登志夫が交互に描かれる。 二人の何気ない日常が描かれる序盤は青春ものとして良い雰囲気だが、夏紀が自分宛に出した電子メールに登志夫から返信が届くあたりから理論的なSFの世界に入っていく。 歴史改変ものとしては面白いが、飛行船を見た記憶等について明解な解釈は描かれず、量子論は複雑で、私にはよく分からないあいまいさの残る物語だった。


可燃物の表紙画像

[導入部]

 二月の土曜日の夜、群馬県利根警察署に遭難の一報が入った。 スキー場のロッジ経営者から四人の客が戻らないとの知らせ。 翌日の日の出を待ち、警察と消防などの捜索隊が出発。 やがて遭難者のうち二人を崖下で発見。 一人は直ちに救急搬送されたが一人はその場に残された。 死亡していたからだ。 正午過ぎ、県警捜査第一課の葛警部が部下を率いて到着した。 死者の死因は頸動脈を刺されたことによる失血だった。(「崖の下」)

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 作者初の本格警察ミステリーで、県警捜査第一課の葛(かつら)警部を主人公とした短編五編。 上司にも部下にも厳しく接し、冷静沈着に事件に向き合う葛警部のキャラクタ設定がいい。 どの短編もしっかり練り込まれた硬質な作品で、淡々とした文章は適度な緊張感をはらんで進んでいく。 ただ事件の真相究明はパターン化しており、最後に葛警部の鋭い捜査能力・推理力が発揮されて、という点はどれも同じ。 もちろん意外性に富んだ真相は良く出来ていると思うが。


8つの完璧な殺人の表紙画像

[導入部]

 雪嵐のボストン、ミステリー専門書店<オールド・デヴィルズ・ブックストア>に店主マルコムをFBI特別捜査官のマルヴィが訪ねてきた。 マルコムは2004年にこの店のブログに犯罪小説のリスト、<完璧なる殺人8選>を載せていたが、その殺人の手口に似た事件が続いているという。 捜査官は、いくつかの犯行が映画または小説の模倣かもしれないと気づき、ネットでキーワード検索をした結果、マルコムのリストを見つけた。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 ミステリー専門書店の店主を主人公に、クリスティなど有名な犯罪小説八作を模倣した殺人事件が続けて起きているという設定。 中にはネタバレになるところまで言及されている作品もあり、私には多くが未読だったが特に気にせず読んだ。 ハイスミス『見知らぬ乗客』への言及が多いが、これは映画で見ていたのでいっそう楽しめた感じ。 登場人物が多くて少し混乱したし、FBIの関与は中途半端な印象。 また、犯人の意外性という点ではさほどの驚きはなかった。


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