AUGUST

◎15年8月


永い言い訳の表紙画像

[あらすじ]

 作家の津村啓の本名は衣笠幸夫。 名プロ野球選手衣笠祥雄と同じ響きの名を持つことで子供の頃から父を恨み、作家という職業を選択することでこの名前を捨てた。 作家志望の彼は大学卒業後出版社に勤めたが4年で辞め、退路を断った。 妻の夏子は美容師、独立のための蓄財もしていたので退社も賛成してくれた。 今では人気作家となり、テレビのヴァラエティにも出るようになった。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 子供もなくいつしか心の離れた妻が突然の事故死。 浮気もしていたくせにどうにも整理のつかない夫の心情の表出と共に、同じ事故で妻であり母を失った家族と主人公との交流が描かれる。 全編が、心の裡を徹底的に吐露し感情のままにぶつけ合うような、と言ってけっして熱くはなく、寒々しい気配に包まれているような作品。 残された者の行きつ戻りつ右往左往する姿がリアル。 直木賞は獲れなかったが、
「流」と同時受賞でも良かったかも。


出口のない農場の表紙画像

[あらすじ]

 ショーンはある理由でイギリスからフランスへ車でフェリーに乗り逃げてきた。 ガス欠になった車を雑木林に捨てヒッチハイクを開始。 小さな町の外れで降ろされ、田園地帯を歩き出す。 陽射しが強く水もなくなって、門柱にアルノーと書かれた農場に入る。 赤ん坊を抱いた女性に水をもらい、道に引き返すと警察車が通りかかった。 急いで森に駆け込んだところで狩猟用の罠に足を挟まれてしまう。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 罠を踏んで重傷を負い手当を受けた農場で、監禁されているわけでもないのに出て行くこともできない状況に。 おまけに農場の家族はエキセントリックでいわくありげ、不気味な雰囲気が漂う。 現在の状況とロンドンでの過去が交互に描かれ、少しずつ少しずつ青年の秘密、アルノー家の秘密が明らかになっていき、ついに嵐のようなラストになだれ込んでいく。 新味はないが、息が詰まるような心理サスペンスとして十分に楽しめる作品だ。


朝が来るの表紙画像

[あらすじ]

 栗原家に無言電話がかかり始めたのはここ1か月のことだ。 3日に一度か、1週間に一度、数秒で切れる。 一度、五歳になる息子の朝斗が電話を取ったことがあり、あわてて佐都子が替わった時、息を飲み込むような気配を感じたのは気のせいではなかったと思う。 しかし今日かかったきた電話は朝斗の通う幼稚園からだった。 ジャングルジムから子供が落ち、その子は朝斗に押されて落ちたと言っているという。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 三章立てで、一,二章は特別養子縁組により子どもを迎えた養親側、三章は子どもを出産し手放す側の物語。 前半特に、夫婦が参加する特別養子縁組を仲介する団体の説明会の場面は感動的だ。 長い不妊治療の末にこの場にたどり着いた夫婦たちの、子どもを切望する姿がひしひしと伝わる。 一転後半はつらい、どこまでも、どんどんつらくなっていく話はまさに読む続けるのがつらいが、最後が素晴らしい。 これが読めて良かったと思える。


星球の表紙画像

[あらすじ]

 わたしは大学で演劇を始めたばかりのひよっこ劇作家。 新人戯曲賞の最終候補に残ったおかげである劇団から公演の台本依頼を受け、その稽古に参加している。 若槻さんは劇団の演出家で32歳、いま最も注目されている若手演出家のひとり。 1年ほど前、初めて若槻さんに会ったとき胸の芯に鈍い痛みが走った。 でも私はかなりのブスだ。 小学校のあだ名は「せんべ」、せんべいのように顔も体も凹凸のない女。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 「小説現代」誌掲載の恋愛系短編6編。 どの作品も場面場面の描写がなかなか鮮やかな印象を受けた。 中では、里帰り出産で訪れた病院の医師が初恋の人で、という「半月の子」がいい。 一方、女学生の一途な恋を描いた表題作はちょっと中途半端だし、天体観測で通う駐車場で知り合った年上の女性への恋慕を描く作品など、作りすぎと感じるものも多い。 それと作者の癖なのか、ある助詞の使い方(省略の仕方)がとても気になった。


連鶴の表紙画像

[あらすじ]

 速見丈太郎は江戸八丁堀北、桑名藩の藩士長屋に住んでいる。 元服前まで桑名で過ごしていたが、父正左衛門が勘定頭になった折り、家族ともども江戸に移り住んだ。 弟の栄之助は二年前、横浜の多田屋という商家に修行に出た。 来春早々には修行を終え、多田屋のひとり娘の婿に入る。 ひと月ほど前、大政奉還があったが、桑名藩はこれから何が起きようとも徳川宗家を守り抜く、親藩の誇りを持っていた。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 幕末の混乱に呑み込まれていく青年藩士の姿を描く。 この時期、時代に翻弄されたと言えば会津藩が有名だが、桑名にもこのような命運があったとは知らなかった。 商家の養子となるはずの弟の不可解な行動がミステリー要素となって話は進むが、後半は史実に沿って桑名藩の過酷な運命が描かれていくため物語はつらく重い。 海の向こうに馳せる主人公の思いが前面に描き出されていれば違った作品になっていたかもしれない。


ホームページへ 私の本棚(書名索引)へ 私の本棚(作者名索引)へ