[寸評]
自然か、必然か、大家族となる緋田家の、それぞれの構成員についてのエピソードを連作とした11編からなる家族小説。
確固たる塊でありながら非常に流動的でもある家族の姿がユーモラスに綴られたとても面白いドラマだが、なにか長いプロローグがようやく終わったという感じで、さぁこれからというところで本は終わってしまった。
各人の事情、感情が順番に描かれ、各々それはそれで面白く読ませるが、全体としては物足りない。
[寸評]
新潮エンターテインメント大賞受賞作。
選考委員は宮部みゆき一人だそうな。
分類としてはちょっぴりミステリー色を加味した青春ファンタジーといったところ。
閉ざされた田舎の集落では昔はこういうこともあったのでは、と思わせる設定だが、それ自体物語の中で発展することなく、子供の不思議な力と、主人公の人間的な成長が描かれる。
いい雰囲気の作品だとは思うが、200ページ弱でもあり、小腹が満たされたというくらい。
[寸評]
主人公が死んでは生き返りを繰り返す話は枚挙にいとまがないが、設定自体が面白いので、いずれもそれなりに楽しめる物語になっている。
この作品も、主人公が殺された時の情報や知識を持って生き返り、窮地を脱したと思ったら、思い違いやさらに次の窮地が待ち受けてまた殺されて、を繰り返す。
生き返る場所や時間が毎回異なるのも緊張感を増すが、各回とも少々乱暴な締め方で、無理に殺してしまわなくてもという印象。
[寸評]
読んでいてどうしてもオードリー・ヘップバーンの顔が頭から離れなかったが、それは致し方ないところか。
しかしそれは、この物語の素晴らしさに彩りこそ加えても決して損ねるものではない。
130ページほどの中編だが、物語を読む楽しさを存分に満喫させてくれる。
無駄がなく、かつ洒脱な文章は、村上春樹の訳もいいのだろうが、無論のこと原文が素晴らしいということ。
さらに3短編がセットされており、「花盛りの家」に特に感心。
[寸評]
主人公カールの父親は「キューバ・リブレ」にも登場していたが、続編というわけではない。
本作は作者79歳の時のものだそうで、年令を話題にしては失礼だろうが、500ページ以上の長尺を、多彩な登場人物、起伏のある展開で、面白さが持続するのはさすが。
石油成金、KKK団といった時代背景も興味深く、ガンファイトも痛快。
娯楽作としてはもっと登場人物の個性を強烈に描いても良かったと思うが、十分に楽しめる作品。
[あらすじ]
緋田家の当主、龍太郎は72歳、悠々自適の隠居生活。
妻の春子と92歳の義母タケ、そして家の一室に引きこもっている30歳の長男、克郎の4人で暮らしていたところへ、長女の逸子一家が転がりこんできた。
逸子の夫が事業に失敗して自己破産に追い込まれ、息子のさとるを連れて同居となった。
そんな中、次女の友恵が離婚して戻って来るという。
おまけに妊娠中だ。
[採点] ☆☆☆★
[あらすじ]
高校生の悟は、母と一緒に祖母の家のある御千木(おちのき)という山間の小さな集落にやってきた。
祖母の家から帰る途中、母が庵のおんば様と呼ぶ老婆の家に立ち寄る。
老婆と話した母は、今日は家に帰らずここに泊めてもらうことにしたと突然言い出す。
この家には家電製品はほとんどなく携帯電話も通じない。
翌朝、母が足を捻挫してしばらく帰れなくなってしまう。
[採点] ☆☆☆
[あらすじ]
斉木はバーのマスターとして横浜で自宅兼用の店を構えていたが、本業は盗みのプロ。
午前の早い時間に孤児院時代の弟分、悟が訪ねてくる。
悟はヤクザの幹部の女でもある敬子を連れてきており、その幹部を刺して逃げてきたと言う。
そこへ銃を持った二人の中国人が侵入してきてシナモノを返せと脅す。
どうやら悟はヤクザのところからヘロインを盗んできたらしい。
[採点] ☆☆☆★
[あらすじ]
1943年、作家志望の私は、ニューヨークに出てきて、イーストサイド72丁目のアパートに住んだ。
ホリー・ゴライトリーはちょうど私の真下の部屋を借りていた。
彼女は夜中に帰宅し、鍵を失くしたと言っては最上階のユニオシ氏の部屋の呼び鈴を鳴らすのだ。
彼女はいつもサングラスをかけ、粋な格好をして、猫を飼っていた。
そして部屋にはいろいろな男が出入りしていた。
[採点] ☆☆☆☆
[あらすじ]
1927年アメリカ、カール・ウェブスターは連邦執行官補に任官した。
彼の父は敷地から石油が噴き出し、敷地の半分を石油会社に賃借、あと半分で牛の放牧とペカンの栽培をしている。
彼は15歳の時、強盗が警官を射殺するところに出くわす。
その後彼は、家の牧場から牛を盗んで逃げる男を射殺。
神経のずぶとい子供だった。
彼は持ち前の度胸で悪人どもを倒していく。
[採点] ☆☆☆☆
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