◎6月


夜露がたりの表紙画像

[導入部]

 おみのは善十と古びた長屋に住んでいる。 その日、戻るなり畳に仕事道具を放りだした善十の顔が驚くほど蒼ざめていた。 善十は仕事帰りに知り合いの小間物屋の若主人に呼びとめられ、あの男が帰ってきたと教えられた。 あの男とはおみのの夫だった弥吉。 弥吉は三年前、賭場で因縁をつけてきた相手に大けがを負わせ、しょっぴかれて三宅島に送られた。 弥吉がいなくなった後、おみのはずるずると善十と暮らしてきた。 (「帰ってきた」)

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 30ページほどの8編の時代小説短篇集。 江戸の町に住む市井の人たちのリアルな物語で、最後の1編を除き、幕切れはどれも辛く、重く、苦い。 作者の新しい境地を見た思い。 博打をやめられない父親に「死んどくれよ」と思わずこぼしてしまう娘など、厳しい現実、人間の闇の部分が無駄のない冷静な筆致で描かれ、どの話も短いながらたいへんドラマチックで、その冷たさが心に沁みる。 それでも最後の1編「妾の子」は遠くに光が見える結末でなんだかホッとした。


悪い男の表紙画像

[導入部]

 男のアパートはレイキャヴィクの中心街にある。 土曜の夜、秋の夜の街を男は目指すバーに向かって歩き出した。 バーに入り、一人で来ている女を物色する。 三軒目のバーに見覚えのある女性がいた。 連れはいないようだ。 少し時間をおいてから彼女に近付き、上手く話しかけて隣に座る。 店の中で彼らに目を留めた者はいなかったし、およそ一時間後、一緒に店を出て暗い夜道を男の住居に向かって歩いて行く姿を見た者もいなかった。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 アイスランドの犯罪捜査官エーレンデュルのシリーズ第7作。 ただし今回エーレンデュルは不在で、同僚の女性警官エリンボルクが主人公になっている。 物語は、殺人事件捜査において彼女による多数の関係者への地道な粘り強い聞き取り調査を丁寧に描いていく。 聴取で辛辣な物言いが混ざるあたりはいかにも警察官らしいところ。 本筋ではないがエリンボルクが子育てに悩むエピソードもある。 ラストはスッキリとはいかず、全体に地味なミステリーだが飽きさせない。


方舟を燃やすの表紙画像

[導入部]

 柳原飛馬が生まれ育ったのは山間の小さな町で近所に細い川が流れていた。 川の水は赤く、両親から川に入ってはいけないときつく言われていた。 小学校一年のとき、近所に住む、飛馬よりひとつか二つ年下のナワコという女の子をこの川に落としたことがある。 ナワコは学級委員の政恒に助けられた。 その日、飛馬がナワコを川に落としたことは両親にすぐにばれた。 「おまえは卑怯もんだ」と父に平手打ちを食い、家を追い出された。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 柳原飛馬と望月不三子の二人の物語を交互に綴りながら1967年から2022年までを描いていく大河小説。 二人の辿る人生は子ども食堂で交差する。 昭和からコロナ禍の令和へと、ノストラダムスやオウムとかいろいろその時代にあったことを思い出した。 不三子の食のこだわりにはちょっと閉口するが、物事を信じる姿と揺らぎ悩む姿がよく表現されている。 波瀾万丈の物語でもないし淡々とした語りでラストも少し肩すかしだったが、面白く全編引き込まれて読んだ。


すべての罪は血を流すの表紙画像

[導入部]

 元FBI捜査官のタイタスはヴァージニア州チャロン郡で黒人として初の保安官に選ばれた。 郡の秋祭りを来週に控えた朝、タイタスの無線機が鳴った。 ハイスクールで発砲事件が起きているとの連絡。 彼は保安官事務所の全員を呼び出し学校へ急行した。 避難する生徒によればスピアマン先生が撃たれたと言う。 そのとき玄関ドアが開き、ライフルを持ったラトレルという名の黒人青年が現れた。 タイタスは銃を下ろすよう説得する。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 全編疾走するようなクライムサスペンスを連発する作者による警察小説。 アメリカ南部の黒人法執行官を主人公とした物語は今までにも読んだことはあるし、特に目新しい設定でもないが、本作も最初から最後まで止まらない。 相変わらず死人は多く出るが、時折タイタスの家族や恋人の話を折り込み、物語の緩急が巧み。 絶えない黒人差別の中で犯人を追う黒人保安官の緊張感が全編を覆っている。 登場人物は多いが、とにかく読み手を引っ張るシンプルでハードな面白本だ。


わたしはわたしでの表紙画像

[導入部]

 オリンピック景気を当て込んでわたしの父と弟の暁叔父さんは1962年に台湾から日本へ渡り建築現場で働いた。 父が亡くなり帰国した暁叔父さんは、町工場を営み、母と姉とわたしの一家を支えてくれた。 今はアメリカのサンディエゴに住むわたしは2014年10月、暁叔父さんの80歳の誕生日を祝うため15歳の娘のデビーを連れて帰国した。 暁叔父さんは今も相変わらず廣州街の仕事場に7匹の猫といっしょに暮らしていた。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 登場人物も設定も異なる6編の短篇集。 冒頭の台湾が舞台の「I love you Debby」が
直木賞を受賞した「流」の続編ということだが、前作を憶えていなくても問題ない。 他は2編がメキシコで異国の雰囲気がよく出ている。 3編は福岡が舞台。 いずれも短い話ながら読みやすく、いろいろな人のままならない人生の一断面を鮮やかに描いていて面白く読んだ。 乾いた空気感で、ほんのりとしたユーモアを感じさせる文章がとても巧み。 楽しめたが、次は長編を読んでみたい。


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