大中寺芋によせて
京野菜に代表される地方色のある伝統野菜が、この頃のグルメブームでたびたび話題にのぼります。ほんの10数年前には、聖護院かぶら、万願寺甘唐、加茂なす、下仁田ねぎなどは、近所のマーケットに並ばなかった野菜ですが、いまでは日常目にすることができるようになりました。誰しも珍しくて美味しい物にひかれますね。しかしその反面、箱根人参や三浦大根のように、現在のライフスタイルに合わず消えていった野菜もあります。家族構成の変化が野菜のサイズまで変えてしまいました。
ところで大中寺芋は、昔から愛鷹山麓で栽培されてきた伝統野菜です。しかし、今まで特に市場には出回らず、味を知る特定の農家によって栽培、消費されてきました。 里芋には、赤芽、白芽、海老芋、京芋、八つ頭など色々な名前がありますが、この大中寺芋ほど見事な姿できめ細やかにして煮崩れしない里芋を、他所で目にしたことがありません。大きく育てると赤ん坊の頭位になります。それでは、なぜこの里芋に「大中寺」と名前がついたのでしょう。このことについて、次のような里芋にまつわる物話があります。 明治26年(1893)、温暖な沼津に御用邸が造られました。そのことにより大正天皇を始めとして御滞在の皇室の方々が、しばしば観梅や竹の子狩りなどのために、大中寺へお成りになりました。100年も前のことです。その折り、お寺では名産の里芋をお出ししたり、お土産としても用いました。今と違って手軽に弁当の用意も出来かねた時代だったのでしょう。警備の人達には大釜でゆでた里芋が振舞われたそうです。よほどお気に召したのか、お寺には御用邸からの里芋の注文書が残されているほどです。 こうして何時の頃からか、皇室の方々によって、大中寺の里芋という意味で「大中寺芋」と呼ばれるようになりました。この里芋は昔、「唐の芋」とも言われたとか。唐は中国の国名ですが、珍しいというほどの意味でついた名前だと思います。 沼津市中沢田の篤農家・井出貞一翁は、大中寺芋の歴史とその味の優れていることに着目し、生涯、種芋を絶やすことなく作り続けてきました。 ほんの少し前まで私たちは結婚式を各家庭で行い、披露の宴の料理も手作りのものでしたが、その当時の若い二人の高砂の席を飾った鶴と亀の細工物は、この芋で作られたと古老から聞いたことがあります。人の情けを心の真中で受け止めた頃の人々の、婚礼への願いが切に偲ばれます。この里芋を眺め祝言の席を目に浮かべてみてはいかがでしょう。 おいしい調理法
調理の時は低い温度でコトコトとやさしく煮てください。決して怒らせてはいけません。不思議なほど、きめ細やかでまったりとした「里芋と八つ頭の中間の味」がします。薄味に煮含め、柚子味噌やカラシを添えてアツアツの内に召し上がれ。刻み柚子を載せるとお似合いです。新聞紙に包んで暗い所におきますと、長く日持ちします。
下 山 光 悦 [里芋のオバケもご覧下さい。] |
||
Copyright © 2002-2008 Daichuji All rights reserved. |