里芋のオバケ
空が澄みわたる爽やかな初秋ともなると、まだ食べるのは勿体ないような、小さなお初の里芋が夕餉の食卓に並んだことを思い出します。畑と人が本当に親しい関係にあった、ほんの少し前の時代の、それはそれは季節の移ろいを身に沁みて感じる至福の夜でもありました。
料理屋さんでの京風の煮方とは違ってお袋が煮てくれたとろ味のついた里芋の味は、大地の滋味あふれるものとして、誰もが忘れられないもののようです。
愛鷹山の裾野に開けた、ここ沼津の金岡地区では、昔からさつま芋と並んで里芋も沢山栽培されてきました。
明治26年〔1893〕には沼津市桃郷に御用邸が設けられましたが、早くも明治30年〔1897〕には、大正天皇〔皇太子〕のお成りがあり翌31年には愛鷹山への遊猟の道すがら、大中寺へ再びお立ち寄りになりました。百十年も前のことです。以後、しばしば大中寺は、皇室のお成りを仰ぐことになりましたが、その都度、名産の里芋をご用意し、またお土産として献上申しあげたようです。警備の警察官に大釜で煮て振舞った、とも伝えられています。
こうして御用邸では大中寺のお芋ということで、いつしか大中寺芋と呼ばれるようになり、余程お気に召したのか、御用邸から大中寺宛の注文書が残っている程です。
この大中寺芋は、中沢田の篤農家・井出貞一翁が、長年にわったって種芋を絶やさずに作り続けてこられ、現在はご子息の栄一氏が栽培されていますが、別名唐の芋ともいわれたとか。その大きさは赤ん坊の頭くらいのオバケ芋で、天与の絶妙な味と共に、他に類を見ない、逸品であるとひそかに自負しています。そこで、ここ20年以上、大中寺では、暮のご挨拶に専らこのお芋を献上していますが「八つ頭と里芋の中間の味」と評されたのは某宮さま。縁あって、数年前には陛下の御膳にのぼった、という嬉しいお知らせをいただいたものです。
いもの葉におく白露のたまらぬはこれや随喜の涙なるらむ
と詠まれたのは夢窓国師。この夢窓国師が開かれた大中寺で、こんなに珍しい里芋が作られ続けてきたことにも、何か不思議な因縁を覚えずにはいられません。
たらちねの母を思えば煮含めし里芋の味のなつかしきかも
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