はじめに
平成十五年の暮れ、一本の電話が入りました。「こちらは明治神宮ですが、大中寺さまですか。」一瞬びっくりしました。しかし、すぐに間違い電話ではないことに気付きました。それというのも、話の中に昭憲皇太后のお名前が出てきたからです。明治天皇のお后であられた昭憲さまは、大正3年(1914)65歳で沼津でなくなられましたが、晩年の5年間に9回も大中寺をお尋ねくださいました。とてもとても大中寺がお気に入っていられたと聞いています。
平成16年は、昭憲さまがなくなられて90年の節目にあたり、神宮では特別にお祭が行われました。そんなご縁で、昨年の5月18日にバス1台45名の明治神宮崇敬婦人会の皆様が、二人の禰宜さんに引率されて大中寺にご来拝になりました。会長さんは明治さまのご子孫であられる川崎里子さま、副会長は宮司の奥様であられる外山マリコさまです。ご存知のように神宮は明治さまと昭憲さまがご祭神としてお祀りされています。
そのようないきさつがあり、今年になって私は神宮より婦人会の会報誌「和可葉」に、「昭憲さまと大中寺」と題して小文を認めるように望まれました。次の文は、字数のつごうで「和可葉」誌に掲載できなかった部分を加筆したものです。お寺としても昭憲さまとのご縁を、広く会報に掲載していただき、大変光栄なことと感じ入りました。私のみならず四代前の玄璋和尚の御霊はいかばかり喜ばれたことでしょう。改めて皆様と余香を拝したくここに活字といたしました。お読み頂ければ幸いです。
平成17年5月
下 山 光 悦
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