茶室建築由来記 茶室の由来
事の始めは法事の席で
私には、今も忘れることの出来ない、法事の席での一つの思い出があります。
時に平成5年3月28日。既に6年以上も前になりますが、私の師・高橋友道和尚の兄弟である静岡県田方郡函南町肥田の香徳寺前住職・筒井秀兆師の十三年忌の砌のことでした。そのお斎の席で隣に座られた熱海・医王寺の高田定信師が、やおら、
「わしの茶室を大中寺へやるよ。大中寺は自分が育ったお寺だし、老漢のお寺だからなあ。」
と切り出されました。
しかし、いきなりそんな事を言われても、茶碗を一つ風呂敷に包んで貰って来るような訳にはいきません。それに、高田定信師が昭和51年に熱海市相の原の別荘に営んだ茶室・放光庵へは、私はこれまで一度も訪れる機会がありませんでした。ですから、ちょっと面喰いはしましたものの、法の上の叔父さん・定信師がその祖山である大中寺に放光庵をやると言われるのです。こんなにありがたい仏縁がいったいどこにあるでしょうか。だとすれば、たとえ前途にどんな困難があっても、きっとお釈迦さまが助けてくださるにちがいありません。そこで、私もさして間をおかずに意を決して、
「それではありがたく頂戴します」
と、お答えしたのでした。
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