駿河梅花文学賞の閉幕に際して
寺 田 博
「駿河梅花文学賞」は当初の予定通りに、10年目に第10回を施行して幕を閉じた。
この文学賞が設けられるとき、大中寺住職、下山光悦師の諮問をうけて、数名の人が都内のホテルに集って、賞の性格からジャンル、審査員、選考規定等の案を起草した。
「梅花文学賞」という名称は、「大中寺」という沼津の名刹を知る者であれば誰もがうなずくものであった。この歴史的な寺の庭に点在する梅林は見事なもので、かつてここを訪れた歌人によって梅林を愛でてうたわれた短歌が幾つか残っていたからだ。
当然のようにこの文学賞は、短詩系文学の諸ジャンル、詩・短歌・俳句を全国規模で公募し、厳正審査の上、それぞれ入選作・佳作を決めて発表するという形式にすることが、概ね決まった。
元編集者である私は、幾つかの文学賞の設定にたずさわったことがあり、現在も二つの自治体で実施する文学賞に関っているが、公募という手段による場合は、あくまでも恣意的な応募は避け、客観中立の立場で実施すること、またできるだけ広範な広報活動をおこなって、自然発生的に応募数が拡大するように図ること、主催者を明示し、この文学賞の個性を打ち出すために、大中寺の存在する沼津の地域性も名称に織り込み、「駿河梅花文学賞」としては如何だろうと、提
言した。
これらの提言は概ね容認され、毎年、各審査員の熱心な審査の結果、多くの顕彰すべき名作が世に送り出されたのである。昨今は、販売促進のためにだけ設立された文学賞も見受けられるが、“駿河”のこの文学賞は地道な結実を見せ、日本の短詩系文学に新風を吹き込んだのである。
(元編集者・文芸評論家)
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