魂の波動
高 橋 順 子 まず「駿河梅花文学賞」という名のゆかしさに心惹かれた。下山光悦師のお話では、お寺の梅園の百周年記念として上記の賞をもうけ、梅の花のような「清新芳醇な魂の表現」としての詩歌作品を募り、顕彰したい、併せて「文学大賞」を創設する、ということだった。 むかしから神前や仏前で行う法楽連歌や連句、歌会などという催しがこの国にあって、詩歌が神仏に奉納されてきたものだった。神さまや仏さまにはお経ばかりでなく、たまには短歌や俳句、新種の現代詩をお供えし、よろこんでいただきたいものである。 光悦師はやがて送られてきた投稿作品を本堂の不動明王に捧げて、礼拝されたという。毎年2月11日の贈賞式にはお寺の紅梅、白梅が満開になり、お庭を明るくする。生徒さんや一般の人たちによって本堂で入選詩歌が朗読されるのは、選考にあずかった者にとっても至福のひとときだった。 詩歌を愛する魂の波動が幾重にもひろがり、それに共振して、人びとの魂もふるえる。とても密度の濃い時間である。盲学校の生徒さんが自作詩を暗唱して、はっきりと大きな声をひびかせてくれたのも忘れがたい。それは彼の明瞭な魂の声だった。あどけない小学生の声、すずやかな女子中学生の声もよかった。 贈賞式の後のパーティーも大中寺ならではのもので、大広間に大きな卓子が置かれ、大中寺芋やお鮨、春野菜の煮物、ワインや葡萄ジュースなどがふるまわれ、とっぷり暮れた中に白梅ばかりが浮いてくる時間まで、つい居残ってしまうのが常だった。 光悦師はこの催しを10年間と決められ、県内の学校をまわって応募をうながしたり、企業やマスコミ関係の協力をあおいだり、事務方や台所方に目を配ったり、全力でお務めになった。ご自身のお寺の興隆ばかりを考えず、檀家の方々以外にも広く児童生徒、一般の人たちに門戸をひらいてくださったことに私は感銘を受けた。「無断立入禁止」の看板を掲げる寺院が目につく現在、ありがたいことである。 今年が10年目、この稀有な催しも最後の年を迎えた。選考という重責を果たせたかどうか、はなはだ心もとないが、一人の人として一編の詩に向かい合い、できるだけ心をまっさらに保って、魂のひびきを聞こうとつとめたつもりである。多くの素敵な出会いをいただいて、光悦師をはじめとする関係者のみなさまに心より感謝申し上げます。 |
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