梅花頌
笠 原 淳
駿河梅花文学賞との縁を得て以来、大中寺の山門をくぐる愉しみの一つは、境内の梅林を逍遥することもむろんだが、この土地の人々との触れ合いにもあったと言っていい。海山のものに恵まれた温暖な土地柄もあろうか、他所者をへだてることもなく、ざっくばらんに仲間として迎え入れてくれる。梅花文学賞を今日まで支えてきたのは、表立つことのないこの方々のおおらかな心映えあってのことだろう。
さて、当の梅花文学賞についてだが、私は選考委員の一人としてそれなりに緊張はするものの、毎回たのしみをもって参加してきた。公募作品のすべてがすぐれたものとは言えないが、しかし、私たち日本人の心を伝えてきた詩歌というものは、こんな風に紡がれてきたのだろうとあらためて感じ入ることがしばしばあった。私たちの祖先が初めて言葉を発したとき、それはすでに“歌”であった。私たちは誰もが心のうちにそのような歌をもっている。〇のかたちに口をすぼめれば、自ずとそれらの歌が湧出してくる。稚拙ではあっても、いや、むしろ上手下手に拘泥しない肉声のまま発せられた方が、本然の心の歌なのではなかろうか。
そういう素純な心を育てるという意味でも、公募作品に大人の部だけでなく児童生徒の部を設けたのは出色の企画であったと思う。むろん、表現としてより一層磨かれるのが望ましいわけだが、まずはそれぞれの心の中に“歌”があることを知ることだ。自分の中に未知の豊かさがたくわえられていることを知れば、自ずと自分の“歌”が紡ぎ出されてくる。
駿河梅花文学賞は第10回をもっていったん幕を閉じるが、ここに芽生えた“歌ごころ”は脈々と次々の代に伝えられていくだろう。それをまぎれのないことと信じ、皆々様に盃を捧げる。
−−神々と酒酌み交す春の夢
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