同じような細く暗い路地を歩き、辿り着いたのは一件の邸宅。外観こそ古めかしく派手さなど微塵もないが、細部まで工夫の凝らされた赴きある建物である。それは中も同様で座敷に通された坂本は周りを見回し感嘆の声を上げた。
「立派な屋敷じゃなァ。あの欄間なんてえらい凝っちょる」
「いいところに目を付けたと言いてぇところだが、頭ン中でソロバン弾いてんじゃねェのかテメーは。クク、まあ座んな」
管理人だという老人が二人の前に手際よく酒の支度をしていく。見た目は痩せ枯れたどこにでもいそうな老人にしか見えないが、高杉に従おうという人間が只者であるわけもない。料理を並べる間も僅かな隙さえ見せず、ごゆっくりと音もなく襖を閉めた。
「乾杯」
チンと澄んだ音とともに杯の酒を飲み干す。
「んーいい酒じゃ!」
「安酒しか飲んでねぇんだろお前」
「なにを言っちょる。酒も良いがおんしと飲んどるっちゅうんが最高に美味いんじゃろ」
「フン、相変わらず口だけは回りやがる」
そう言いながらも悪い気はしないのか、坂本の杯に酒を注ぐ。そして、自分の杯にも注ぐとぐるりと部屋を見回した。
「ここは元々とある大店の旦那の妾宅でな。こんだけの造りだ、相当なお大尽だったんだろうぜ。つってもまあ、とっくにその店は潰れてるんだがな」
「いいのー、わしもこんな屋敷に住んでみたいもんじゃ」
「何言ってやがる。テメェならこれくらいいつでも買えんだろ。話は聞いてるぜ。快援隊つったか。随分と順調みたいじゃねェか。ターミナルに着いたってのがすぐに聞こえてきたぜ」
「おんしに言われると照れるのー。だが、わしなんぞまだまだぜよ。宇宙には海千山千の連中ばっかりでのう。苦労しとるんじゃ」
おどけて肩を竦める坂本を高杉は鼻で笑う。
「よく言うぜ。その海千山千の連中を出し抜いて稼いでる奴が何しれっと言ってやがる。快援隊の坂本辰馬といえば、ちったあ知られた名前だろうが」
「いやいや、おんしには負けるぜよ」
「ああ?」
坂本は意味有りげにニヤリと笑った。
「おんし随分派手にやっちょるようじゃな。攘夷派同士でドンパチやったとか。しかも、春雨まで引っ張り出してきたっちゅう話じゃろ?」
「クク、ヅラか銀時にでも聞いたか」
すると坂本は一瞬きょとんとした後、可笑しそうに笑い出した。
「あっはっは!あれだけのデカイ騒ぎ知らん方がおかしいぜよ。それに、今や江戸は宇宙一の市場じゃき、どこの星でも大ニュースじゃ。ちゅーか、ヅラはともかく銀時まで関わっとるんか」
自分の迂闊さにチッと舌打ちをして、そっぽを向く高杉。そんな様子を見てさらに大笑いする坂本に、空になった徳利を投げつける。
「別に俺が呼んだわけじゃねーがな」
「ほう、そうじゃったか。しかし、わしも銀時やヅラと会うたんはかなり前じゃき会いたいのー」
「ケッ、真っ先に女のところに行ってる奴のセリフじゃねェな」
「あっはっは、そのとおりじゃな」
「俺はお前が帰って来たってのを聞いてすぐに会いにきたっていうのによ」
「おう!そりゃあ最高の殺し文句じゃなァ!」
坂本はさも嬉しそうに笑う。けれど、サングラスの奥からの視線は真っ直ぐに高杉を見据えている。少しずつ部屋の空気が重くなる。高杉は徳利に手を伸ばし、両方の杯を満たしながら言った。
「テメェも分かってるだろうが、今日会いに来たのは別に昔を懐かしんだわけじゃねェ」
「じゃろうな。街中であんな殺気、生きた心地がせんかったぜよ」
「あれで気付かなかったらそのまま帰ろうと思ってたんだがなァ」
顔を上げた高杉の鋭い眼差しと、真っ直ぐな坂本の視線。
「辰馬、俺と手を組まねェか」
その言葉に坂本は驚くでもなく杯に口をつける。それに高杉も驚いたりはしない。かぶき町で坂本が横道に曲がった時から分かっていたことだった。酒を煽りながら話を続ける。
「簡単にいやぁ武器の運び屋になってもらいてェ」
「物騒な仕事じゃな」
「何、俺の知り合いの船を少しばかり行き来してもらうだけさ。まあ、江戸まで運んでくれりゃあ最高だが、そこまで無理をいうつもりはねぇ。本業の片手間にやってくれりゃあ充分だ。勿論、内容に見合っただけの報酬は払うし、話によっちゃあ春雨の流通ルートで捌けるように口利いてやってもいいぜ」
「ほう、随分と気前のいい話じゃ」
「餌をケチって大魚を逃すようなマネはしねェのさ。どうだ、悪い話じゃねェだろ」
確かに春雨は宇宙最大規模のシンジケートだけあって、決してケチではない。実際に動いたとなれば、普通に商売していたのでは得られぬ膨大な金額が坂本の懐に入ることになる。
しかし、坂本は何の躊躇も戸惑いも見せることなく即答した。
「お断りじゃな」
「だろうな」
実に素っ気ない言葉だった。
だが、高杉に落胆した様子はない。むしろ、楽しげにすら見える。
「一応、理由だけ聞いとこうか」
「わしは別に金儲けのためだけに商売をしとるわけではなか。この国ば護るためにやっとるんじゃ」
「護るためねェ」
坂本の答えに、高杉はつまらなさげに杯を傾ける。
「天人の技術は確かに優れちょる。そのお蔭で江戸はあっという間に復興しよったし、これからも益々発展していくじゃろ。そのこと自体は悪いことじゃなか、寧ろ良い事じゃ。じゃが――今のままではこン国は天人に食い潰される。連中が求めてちょるのは領地などではなか、金じゃ。戦ばしたところで、この国は護れん」
「だから宇宙に出たってのか」
「そうじゃ。わしが人間じゃろうが天人じゃろうが金の価値は変わらん。みんな同じ土俵におる。そこで必要以上に争う必要はなか。お互いに利益を享受し、共に栄えていけばいいんじゃ」
――押し寄せる天人、死んでゆく仲間、覆し難い時代の流れ。長きに渡る戦により日に日に衰えていく国の中、誰よりも早く遥か先を見つめた坂本。
「だから――わしはおぬしに協力することはできん」
この国を護ろうとする者。片や、この国を壊そうとする者。
端から意見が合うわけがなかった。
「……高杉、おんしゃこの国ば壊してどうするつもりなんじゃ。おまんにはこの国の先の姿というもんがあるんか」
「さあな、俺はこの世界がただただ許せねぇのさ」
「おんしは子供じゃな」
口調は柔らかながら、坂本はきっぱりと言い放つ。
「許せんのは無力じゃったおんし自身じゃろ。悲しいんも悔しいンもそれはおんしの勝手じゃ。それを世間に押し付けようちゅうんはどうかしとーど。わしにはおんしが誰にも理解されんと拗ねて八つ当たりしてる子供のようにしか見えん」
「……随分、言うじゃねェか」
「だが、そう外れてもいまい」
高杉は静かに杯を置いた。
「話はここまでだ。ここはもう捨てる予定になっててな。テメェが最後の客だ、ゆっくりしてきな」
一方的に話を打ち切った高杉は、もう用は無いとばかりに席を立つ。ここで初めて坂本が声を荒らげ立ち上がった。
「高杉!確かに、わしはおんしに協力する事は出来ん。だが、敵になりとうわけでもなか。わしは今でもおんしのことを仲間だと思っちょる!それではいかんのか!」
その怒声に近い叫びは辺りを震わせる。
「……何が可笑しいんじゃ!」
「いや、この間ヅラにも同じような事を言われてな――本っ当に馬鹿だよなァ、お前ら」
振り返ったその笑みは酷く柔らかで、それまで坂本の心中に渦巻いていた何もかもが、ぱたりと凪のように止んでしまった。
「馬鹿なのはおんしじゃろ」
「ああ?」
「高杉、おんしゃただ、わしに会いたかっただけじゃろ?」
初めから高杉は坂本と手を組めるなどとは思っていなかっただろう。それは、考えるまでも無いこと。それでも、わざわざ高杉自身が姿を現した理由。
「自惚れるんじゃねェよ、バーカ」
それは一瞬我を忘れてしまうほどの、穏やかで鮮やかな笑みだった。
「高杉っ!」
「じゃあな、もう会うこともねぇだろうよ」
パタンと襖が閉じられる。
坂本はどっかりと座り込むと、主のいなくなった杯に並々と注いだ。
「こうなるのは分かっちょった。分かっちょったから、わしはおんしを探さんかったんじゃ。……こんなことなら、まっすぐおりょうちゃんの所に行けば良かったのぉ」
そして、今度は自分の杯を一息で空けると、坂本は座敷を後にした。
腹は括っていた、それでも。
2008.04.25