日も落ちこれからが華の新宿かぶき町。通りには客引きの声や女たちの嬌声がさざめき、昼間とは違う歓楽街の装いを見せ始める。そんな大通りを上機嫌で下駄の音を鳴らしながら、目当ての店へと向かう者が一人。
「おっりょうちゃーん、今行くぜよー!」
久々に地球へと戻ってきた坂本は、有能かつ厳しい部下である陸奥の目を掻い潜り、『スナックすまいる』へと向かうところだった。一見しただけではまずそうとは分からないが、貿易会社の社長である坂本は、無駄に金を使うわけではないがそれでも羽振りが良く、店に行くと大層歓迎される。その度に指名されるのがおりょうなのだが、坂本が帰った後、彼女が同僚のお妙に散々愚痴っている事はもちろん知らない。なんといってもおりょうも夜の女。その辺りの装いは完璧である。
遠目にも店のネオンが見え、あと少しというところで、
「ふむ」
坂本は不意に横道へと入った。傍目にはただ気でも変わったのかとしか思えない何気ない動作だったが、当の坂本は一つの確信を持って歩いていた。
* * *
表の煌びやかさとは反対に、店の裏手にあたるこの道は両側を建物に挟まれて埃っぽく、ネオンの光も通りの喧騒も遠い。その暗さに坂本はさすがにサングラスを外す。それから二、三分歩いたところでぴたりと足を止めた。
「ククク、なまっちゃいねえようだな」
暗い中でも更に濃い影の中から姿を現したのは、かつての仲間、高杉晋助。暗さに目が慣れた坂本にはその派手な着物も、頭に巻かれた包帯も、そして、不遜とも不敵とも取れる表情がはっきりと見えた。だが、頭の包帯以外知識として知ってはいるものの、坂本にとって見るのは初めてだった。
なにしろ居場所を掴みやすい桂と違い、高杉と会う機会は無い。高杉と会うのは坂本が宇宙へ旅立つと告げた日以来のことになる。脳裏に思い出されるのは悪鬼の如く睨みつけてくる高杉の顔。
「久々じゃのう!高杉!元気にしとったか!」
だが、坂本はそんな過去のわだかまりなど何一つ感じさせない、屈託の無い満面の笑みを浮かべた。
「フン、幸か不幸か足は付いてるぜ」
「あっはっはっ、そりゃあ結構なことぜよ!お化けじゃったら、いくら高杉が出てくれても逃げ出しとるき、よかよか!」
「ったく、相変わらずうるせぇな、お前は」
そう言いながらも高杉の口元が微かに緩む。それはいつも通りのシニカルな笑みとも取れたが、胸中は高杉のみぞ知る。しかし、坂本は更に相好を崩した。
「どうじゃ高杉。再会を祝して一杯やらんか?まさか、禁酒してるとは言わんじゃろ?」
「まあ、てめぇとは久し振りだしな、悪かねェ」
その答えに坂本はくるりと踵を返す。
「よし、そうと決まれば行くぜよ!」
「オイ、ちょっと待て」
「どうした、高杉?」
さっさと通りへ向かおうとする坂本を、高杉が呼び止める。
「行くってどこに行くつもりだ、テメェは」
「どこってすまいるに決まっちょる。そこの店にはおりょうちゃんという可愛い子がおってのー。あ、安心せい。他にもたくさん美人はおるき」
「オイ、バカ」
「あ、でもお妙ちゃんと阿音ちゃんだけは止めた方が」
「聞けっつってんだろ、もじゃもじゃ!」
時は経てども、変わらぬ高杉の反応に、坂本は感慨とともに苦笑する。
しかし、実際のところ、攘夷浪士として指名手配され、追われる身の上の高杉をすまいるに連れていくなど論外である。確かにかぶき町の中にはそうした後ろ暗い店もあるにはあるが、それでも高杉晋助と知って入れてくれる店は無いだろう。かといって、快援隊の船へと連れて行くわけにもいかず、坂本はふうむと唸った。
「困ったのー、行く所が無いぜよ」
「だったら、俺ンところで飲みゃあいいじゃねーか」
事も無げに言う高杉に、坂本は目を瞬かせる。
「なんじゃ高杉。だったら早よう言わんか」
「テメーが人の話聞こうとしねェからだろうが」
「まあまあ、男が細かいこと気にしちゃいかんぜよ!で、場所はどこじゃ」
「……お前なァ」
高杉がじろりと睨むが、坂本は一向に怯む様子もなく、にこにことしている。鋭いまなざしがすぐに諦めの表情に変わった。
「……ったく、ついてきな。そう遠くねぇ」
歩き出す高杉の横に坂本が並ぶ。昔では当たり前の姿だったが、今となっては見ることが出来ない風景である。会話は無いが、そこに気まずさは無い。
暫くして、高杉がじっと見てくる坂本の視線に気付いた。
「なんだ、辰馬」
「ん?いや、結局わしの背は抜けんかったと思ってな」
――ゲシッ!
高杉は無言で坂本の向うずねを蹴りつけた。高杉の身長が低いという訳ではないが、四人の中では一番小さいのも事実。かつて「テメーらの背なんてあっという間に追い越してやらァ!」と啖呵を切った事もある。結局、それは適わなかったわけだが。
「行くぞ!」
キレ気味に声を荒げ、早足で歩く高杉の後を涙目の坂本が慌てて追う。
(やっぱり高杉はからかい甲斐があるのー)
と思いながら。