沖田は見知らぬ場所で、独り途方に暮れていた。
確か市中見廻りの途中だった筈なのだが、何故だかだだっ広い野っ原の中にぽつんと一人立っていた。ここはどこなのだろうかと、辺りを見回すと遠くに江戸城の屋根が小さく見えた。どうやら江戸の中心からそう離れてはいないようだが、ふらりと行けるような距離でもない。他に目標になりそうな物は何も無かった。
そして――有り得ないと視線からあえて外していたが、沖田の足元には幾人もの天人の死体が転がっていた。むろん沖田にやった覚えは無い。真選組が天人を斬り殺したとなると、かなりマズイことになるくらい、沖田とて十分に理解していた。夢だ、そう思って頬をつねってみるが、痛いだけだった。
「……とりあえず江戸の方に行ってみるか」
歩いていける距離とも思えなかったが、こんな野っ原に突っ立っていても仕方が無いし、天人殺しと思われても困るため、歩き出した。しかし。
――――ブシュッ!
沖田は振り向きざま斬り付けた。突然襲ってきた天人は呻きながらそのまま崩れ落ちた。どうやら皆死んでいるものと思ったが、まだ生きていたらしい。今度は注意深く確認してみるが、後は完全に死んでいるようだった。
「……一体どーなってんだ、こりゃあ」
もちろん応える者はいない。刀を収め歩き出そうとしたが、突如聞こえて来た雄叫びに沖田は身構える。転がっている天人の仲間なのか、武器を手にした天人たちが大挙してやって来る。いかに剣の腕が立つと雖も多勢に無勢。沖田は一目散に逃げ出した。
しかし、待ち構えていたのか前からも天人が押し寄せる。
「チッ、なんだってんだコノヤロー」
沖田は再び剣を抜いた。天人は力任せに襲い掛かってくるだけで、沖田の剣技の前に次々と倒れていく。けれども、数が多過ぎた。次々と襲ってくる天人に、さすがの沖田にも疲労の色が見え始める。そして、天人の攻撃を弾いた隙を突いて、死角から刃が迫る。
(しまった!)
これまでかと覚悟を決めた沖田だったが、天人の刃は沖田には届かず、そのまま地面へと落ちた。そして、何故か他の天人たちも倒れた天人の方を見たままで動こうとはしない。不審に思った沖田もそちらを見た。
そこにいたのは――。
「万事屋の旦那?!」
そこに立っているのは紛れも無く、万事屋の坂田銀時だった。
しかし、いつもの恰好ではなく、防具を身に付け、手には刀を持っている。今、天人を斬ったのは銀時しか考えられなかった。
「オイ!何ぼうっとしてんだ!逃げるぞ!」
「え、ああ!」
我に返り、慌てて銀時と一緒に走り出した。後ろを振り返ってみるが、天人たちが二人を追ってくる様子はなかった。
* * *
そのまま暫く走り続け、天人の姿が完全に見えなくなると、やっと二人は足を止めた。
「……ここまで来りゃあ大丈夫だろ」
二人は汗だくになって座り込んだ。息がおさまるまでの間、改めて目の前の人物を見たのだが、やはり銀時にしか見えなかった。
「助けて頂いて有難うございやす。……けどアンタ誰なんでさァ」
「俺か?俺は坂田銀時。見ての通り天人と戦ってる侍だ」
銀時は沖田の知る銀時の口調で名を名乗った。
しかし、沖田が聞きたいのはそんなことではなかった。
「そうじゃねェ。さっきアンタが来た途端、天人どもの顔色が変わった。アンタを異常なくらい恐れてた。――アンタ、何者だ」
天人たちの恐れ方は尋常ではなかった。天人たちの方が人数も体格も勝っているというのに、それでも銀時ただ一人を恐れていた。
沖田の問いに銀時は頭をぽりぽりと掻きながら答えた。
「……誰が言い出したかは知らねーがな、俺のことを白夜叉と呼ぶ奴もいる」
「白夜叉?!アンタが?!」
その名前は沖田も知っていた。
攘夷戦争末期、そのあまりの強さゆえに天人のみならず仲間すら恐れたという、あの白夜叉。一説にはあの桂小太郎の仲間だと言われているが、終戦後はその行方も知れず、戦死したものと思われていた。それが他ならぬ銀時だと言うのだ。沖田は呆気に取られた。その様子に銀時はニヤリと笑った。
「どうやら知ってるみてーだな。それなら話が早え。で、俺は今からアジトに戻るんだが、お前はどーすんだ?戻れるか?」
沖田の心は既に決まっていた。
「旦那と一緒に行かせてもらいやすよ。俺も侍でしてね。ここでの借りを返さねぇと気が済まないんでさァ」
その言葉に銀時は今度は声を上げて笑った。
「面白いなあ、お前。いいぜ、仲間に紹介してやるよ」
「正直なとこ行く当てもなかったんで助かりまさァ」
そうして、沖田は銀時と共に攘夷志士のアジトへと向かうことになった。
* * *
山中にひっそりと立つ神社が銀時たちのアジトだった。境内には見張りが数人立っていた。
彼らは沖田の姿を見ると警戒の色を強くした。当たり前である。しかし、銀時は全く気にした様子もなく、その内の一人に声を掛けた。
「茨木、悪いがコイツが着られそうな服持ってきてくんねーか?」
「服……ですか?」
いかにも不審そうに沖田を見る。
洋装というのは開国後に天人が齎したものだ。天人と敵対する彼らからどう思われるのかは想像に難くない。内心焦った沖田だが、銀時がなんでもないという風に続けた。
「おぉ、途中でコイツを拾ったんだけどな、あんまりにも酷ぇカッコだったんでな、天人の服をかっぱらったんだよ。けどまあ、気持ち悪りーしな、早く着替えさせてやろうと思ってよ」
「そういうことでしたか。すぐに持ってきます」
茨木は安堵の表情を浮かべると、社の中に入っていった。
程無くして服を持ってきた茨木に素直に礼を言うと、場所を借りて着替えをした。もちろん腰には刀を差している。
戻ってみると、銀時たちの仲間が戻ってきたのか、先程よりも人数が増えていた。しかし、怪我を負っている者も少なくない。戦とはこういうものだったのかと思った。
銀時の所へ戻ると仲間に紹介してやると言われ、社の奥へと連れて行かれた。
銀時が無遠慮に扉を開けると、そこには沖田も見知った人物がいた。
「ヅラァ、さっき言った奴連れてきたぜ」
「ヅラじゃない、桂だ!お前は何度言えば分かるんだ!」
桂小太郎の姿に沖田はさほど驚かなかった。白夜叉が名を馳せたのは攘夷戦争末期。桂も同時期に活躍している。それと仲間だったという噂と、銀時と知り合うことになった池田屋の件を考えれば、ここに桂がいてもおかしくはない。
沖田の存在を思い出したのか、桂は咳払いを一つすると二人に席を勧めた。
「俺は桂小太郎。一応、ここで指揮官のようなことをしている」
「俺は沖田、沖田総悟でさァ。坂田の旦那には危ない所を助けて頂きまして」
軽く頭を下げながら、この堂々とした様の男が後の世では反乱分子として追われるのかと思うと、少しだけ哀れに思った。もちろん今の桂にその未来を知る由はない。
「それで銀時から話は聞いたが、我々と共に戦いたいというというのか?」
「いけませんかィ?」
桂はちょっと考えるような素振りを見せたが、すぐに口を開いた。
「まあ、自分から望むというならば何も言うまい。人が足りんのも事実だしな」
「もし俺が幕府からのスパイとかだったらどうするんです?」
意外にもあっさりと言う桂に、沖田は少々肩透かしを食らった気分だった。
訝しげに問う沖田に、桂は笑って答えた。
「それはあるまい」
「何で言い切れるんです?」
「ふん。そこのバカはそういうところだけは鼻が利くんだ。銀時が連れて来たということは、お前は我々に害をなす者ではないんだろう」
「へえ」
桂の視線につられ銀時を見ると、退屈そうにあくびをしている。
今の話が聞こえていない訳がないので、照れているのかもしれないと思った。
「旦……」
沖田が銀時に声を掛けようとした時、部屋の扉が開いた。その入ってきた人物に沖田は思わず声を上げそうになった。
一人は黒髪の天然パーマの知らない男だが、もう一人は攘夷志士の中で最も過激で最も危険とされる指名手配犯、高杉晋助であった。沖田にとって高杉の存在は完全に予想外だった。
確かに高杉も同じ頃に名を馳せた。理屈としてはここにいても何らおかしくは無い。しかし、目的は無くとも己の信念を貫く銀時と、ただ目的が有るだけのような高杉とでは、あまりに生き方が違うように思え、仲間である可能性など考えもしなかった。
そうしていると天然パーマの方が沖田に声を掛けてきた。
「わしゃ坂本辰馬っちゅーんじゃ。んで、こっちが高杉晋助。よろしゅうな」
そう言って差し出された手を取り、沖田も自分の名を名乗った。聞きなれぬ土佐弁のせいもあるが、その邪気の無い笑顔に好感を持った。ただし、その握り返された手は力強く、ただ者ではないと沖田に感じさせた。
その様子を興味無さそうに見ていた高杉だが、沖田のそばに寄り顔を覗き込むようにすると、ニヤリとした。
「よお、沖田。こいつらにあんま近付くんじゃねーぞ。バカと天パがうつっちまうからなァ」
その言葉に当然銀時と坂本が抗議の声を上げるが、高杉は全く取り合わない。相変わらずにやにやと笑っているだけである。
「ところでよォ、腰のモンをちっと見せちゃくれねーか」
「え、あ、どうぞ」
沖田は刀を高杉に差し出した。沖田から刀を受け取った高杉は、静かに刀を抜き、光に翳して眺め始めた。
「……ほぉ、いい刀だ。ちっとばか細ぇが刃毀れ一つ無いとはたいしたもんだ。…お前、いい腕してんなァ」
それに答えたのは銀時である。
「おぉ、コイツ相当なもんだぜ。辰馬より強えんじゃねえ?」
「ふうん、なあ沖田。どうだ、俺とやらねえか?」
高杉は沖田の刀を丁寧に返した。沖田はその刀をじっと見つめた。
「……これで、ですかィ?」
沖田の言葉に高杉は一瞬きょとんとした顔をした後、今度は大笑いし始めた。
「あっはっは。んな訳ねーだろ。真に受けんな」
笑う高杉を前に沖田の胸中はなんとも複雑だった。高杉には沖田の想像していたような狂気染みたものはどこにもなく、それどころか晴れやかに笑ってみせた。もちろん沖田はこれから先に起こる鬼兵隊の最期を知っているのだが、それでも目の前の高杉が追われる者になろうとは俄かには信じられない思いだった。
そんな沖田の心中など知る由もない銀時は、そう言えばと声を上げた。
「なんでお前あんなとこいた訳?」
「いや、油断してたら仲間と逸れちまいまして。それで、うろうろしてたらあんな所に出ちまったんでさァ」
それはもっと早く聞くべきだと思ったが、まさか気が付いたらそこにいたとも正直に言うわけにも行かず、とりあえず当たり障りのない答えを返した。
「そりゃ災難だったな。けど、大丈夫なのかよ?お前のこと探してんじゃねえの?」
「大丈夫でさァ。旦那が心配するには及びやせんよ」
銀時は沖田をじっと見てニヤッとした。
「信用してんだな、そいつ等のこと」
「まあ、一応は。けどまあ、俺がいないと駄目な人らですからねィ。本当はゴリラとマヨラーなんてさっさと見捨てちまいたいんですけど、ガキの頃から面倒見てもらった恩もありやすからねィ」
沖田は銀時の言葉に苦笑しながら答えた。もちろん、本心とは程遠い所にある言葉である。沖田にとって近藤と土方は限りなく大事な人間で、たとえ銀時が相手と雖も敵となるならば容赦はしないだろう。
銀時は少しの間、沖田を見ていたが、そうか、と微笑んだ。
「それじゃあお前、死ぬ訳にはいかねーな」
「そうですねィ」
沖田も笑って返した。