2005年9月 徒然日記

2005/09/30 (金)
 阪神タイガースが優勝。中日の優勝は来年に期待しよう。
 今年も「戎橋からのダイブ」が見られなかった。ダイブするのは熱烈な阪神ファンであり、常識のある人間のはずだ。勝手に飛び込ませればいいではないか。怪我をしても自己責任にすれば良いではないか。なぜダイブをさせないために橋の周辺を柵で囲うのだろう。なぜ警察が出てまでダイブさせないようにするのだろう。
 ワールドカップのときのダイブ、一昨年の阪神優勝時のダイブなどは日本全国の人たちに決して悪い印象を与えてはいなかったように思っている。もし、道頓堀の柵がなく、そして警官が警護しなかったら、またまた数千人単位のファンが「ドブ水」の中に飛び込んだことだろう。それでいいではないか。ダイブを馬鹿げた行動と思う人もおるだろう。しかし、冷ややかな目で見ている人は、彼らよりも馬鹿げた行動をしていないのだろうか。

 先日のニュースに、道頓堀の水を調べたらばい菌が多く危険だと言うことが発表された。調査するまでも無い。上から見ただけで「ドブ水」というのは明らかだ。昨年のこの時期と記憶しているが、道頓堀の底さらえをしたら、自転車などが大量に出て来たとあった。これらは、「二重メッセージ」である。即ち、何かあったら・阪神が優勝したら飛び込んで楽しもう・お祝いをしようと計画している人たちに対して、「道頓堀の水質はその程度の悪さ」と言う事を教え、そして「危険物は取り払われたので安全だ」とダイブしてもそれほど危険ではないと言うメッセージを与えながら、もう一方では、ダイブはいけないと言うために/ダイブを阻止するために、センスの無い高い柵を設置している。今回のように、ダイブをさせないための方針を徹底するならば、底ざらえも水質検査もする必要はない。「道頓堀に飛び込むと危険です。大阪市も府も責任は持ちません」と言えばよい。そうすれば税金の無駄使いも大幅に減る。

 大阪府の皆さん、道頓堀界隈の店主の皆さん。街の活性化のために、ダイブが安全に出来るような道頓堀にしようではありませんか。そのためには、戎橋に設置してある、興ざめな高い柵は撤去しましょう。一年に一度あるかないかの行事のため、戎橋を高い柵で囲う必要はありません。道頓堀界隈の第一の名所を隠してしまっています。ダイブ禁止ではなく認めるのです。そのためにはダイブした人が安全に戻れるような「梯子」を設置し、その上には「シャワー設備」を付けようではないですか。長期的には、戎橋をダイブの名所として、ダイブ全国大会が開催できるようにしようではないですか。


2005/09/29 (木)
 ハクビシン、アライグマ、カメ、サソリ、毒グモ、ニシキヘビ、ワニ、ブラックバス、ブルーギル等々、外来の生き物が世間をにぎわしている。 人・物の交流があるため当たり前のことではあろうが、野鳥が運んでくる病気まで入ってくればたまったものではない。加えて、日本古来の熊、猿、狸、蜂が出回り、そして杉は花粉を日本中に振り撒いている。それだけではない。最近は外来の人間による犯罪も増えているようだ。

 その内、北朝鮮や中国から核を搭載したミサイルが入って来たり、太平洋から津波が来たりするかも知れないと心配しているが、外来の生き物などはまだ被害が少ないので取るに足らないことかも知れない。


2005/09/28 (水)
 我が家はIP電話を使っているが、そのメリットを活用していなかったようだ。
 特定のプロバイダー間のIP電話通話料が無料になることは知っていたのでIP電話を使っている人との間ではお互いにIP電話番号で接続していたが、
更に、一般の加入電話から私のIP電話番号に電話した場合、電話元の通話料金が安くなるサービスがあることを知らなかった。後者は勿論電話をかける側に負荷される料金であるが、NTT回線使用場合、全国何処からでも市内電話と同じぐらいの通話料で接続できることがわかった。

 私がネットで別件を調べていたとき、固定電話からIP番号に電話した場合にも料金サービスがあるということを見つけたので、念のためNTT西日本の{116}に電話して確認した。 最初のオペレーターはそのようなサービスはありませんと即座に答えたので、ホームページに書いてあることが間違いかと再度確認すると、オペレーターはわからないので確認してから返事するとのこと。 3分程経過すると返事が来た。ホームページに記載されているのは、INS電話とピンク電話に限ってのサービスだから、固定電話からIP番号へ電話するときの料金についてのサービスはしていないと言う。 その回答が納得できなかったので、NTT西日本のホームページ画面のURLを教え、どちらが間違っているのか調べて返事が欲しいと伝えた。 20分程待ったら返事が来た。 ホームページに記載されていることが正しく、{116}オペレーターの回答が間違っていたと言う。 即ち、
NTTの場合、一般の固定電話からIP電話番号に電話する場合は、全国何処からでも3分11円ほどで電話がかけれることがわかった 

 IP電話間の接続とIP電話から固定電話の接続はプロバイターの範囲、NTT固定電話からIP電話の接続はNTTの範囲となるらしく、何事につけても「○○の問題はプロバイターの範囲、あるいはNTTの範囲」と言い、電話で質問すると回答先のフリー電話番号を教えてくれるだけである。 IP電話を導入するときはプロバイダーのサービスの説明しかないので、私の方から(IP電話の方から)固定電話やIP電話への接続に対するサービスしか知らされていない。 逆の電話、即ち固定電話等から私のIP電話に対して電話する場合のサービスは(NTTのサービス範囲),、初めから無いものと思っていたのが大きな間違いだった。 大阪に出てきて一年、このサービスを知っておればIP電話番号に電話してくれたら電話料金が市内電話並みの料金で済んだのにと思うと、少し口惜しい。自分の無知によってNTTを儲けさせていただけだ。

 この件については、この徒然日記の読者の皆さんの大多数の方はとっくにご存知のことだったことかも知れませんが、私にIP電話番号を教えてくれた方はおりません。、もしそのサービスのメリットをご存じなかった人は、直ちに相手にIP電話番号を知らせましょう。そして今後は自分のIP電話番号に電話して貰いましょう。そうすれば、相手の方は低料金で電話をかけれるようになります。
 


2005/09/27 (火)
 大阪には、「玉出」というチェーンの食品スーパーがある。大阪市内のあちこちにあるようだが、この店は遠くからでも一目でわかる。夜は更にわかりやすい。黄色の壁に大きな赤い文字、そして屋上にはネオンボール、正面の壁にはピカピカするネオンまでついており、店のオーナーのセンスを疑いたくなるほどのけばけばしさだ。私が「玉出」の前を始めて通ったときは「パチンコ屋か:ゲームセンターかと思ったくらいだ。私が転居してきたマンションの近くにも「スーパー玉出」があるので、そして24時間オープンしているので重宝している。
 スーパー玉出の商品は、「日本一の安さ」と言うだけあって、確かに安い。その代わり、商品の産地や品質がわからないものがあったり、決して美味いと感じられないものも多い。やはり値段相応だろう。
 私はコーヒーをお茶代わりに飲む、家で飲むのは、たいていインスタントコーヒーの「Nescafe goldblend」である。このブランド品を長年飲んでいる。玉出で買ったものを飲むと、コップが汚れるのだ。同じコップで二三回コーヒーを飲めば、特にコップの底はコーヒー色に染まり、底が見えなくなってしまう。このようなコーヒーは中国で飲むインスタントコーヒーと同じだ。 おかしいので、他のスーパーで同じラベルのビンを買ってきて試すと、汚れは明らかに少なくなる。 両方のラベルを見比べても違いは無いのに、コーヒーには違いがあるとしか考えられないのだ。
 玉出にも美味いものはある。「一人分の78円のご飯」は、家で炊くご飯よりも美味い。家では5Kg3000円もする新潟産のコシヒカリ米を使って炊いているのに、玉出のご飯の方が甘みがあり、はるかに美味いのだ。これも他の幾つかのスーパーのものと比較してみた。玉出の価格がダントツに安いのに一番美味い。 かみさんが時々家出するので、そのときは自分で飯を炊かないといけなくなるが、その場合は決まって「玉出の78円のご飯」を購入してくることにしている。おかずは少しはなれた別のスーパーで購入して来て、玉出ではご飯だけ購入だから、買い物かごの中身がたった「78円」のご飯一個」だけとなり様にならないが、それに違和感を感じず、そして恥ずかしくなくなってしまった。自分も変わったのだなぁと思っている。

 我が家の電気釜が古いから美味く炊けないのではないかと考え、電気屋さんに行って調べた。電気炊飯器の種類が多いのに驚く。飯を炊く釜は、安いもので6000円高価なもので7万円もするものまである。 7万円の電気釜で、玉出の78円のご飯を炊いたとすれば、900回も飯が炊けると考えながら、ずっと安い、店員の薦めるInductionHeating付き炊飯器を買って来てしまった。前の電気釜よりも少し美味く炊けるようにはなったが、それでも玉出のご飯よりもはるかに不味い。炊飯器の問題ではなく、「新潟産コシヒカリ」の問題のようだ。美味い米は「福井産コシヒカリ」に限るが、最近は福井に行っていないので、正真正銘の福井産コシヒカリは手に入れることが出来ない。


2005/09/26 (月)
 福知山線脱線事故の被害者のための合同慰霊祭が盛大に催された。しかし、被害者と加害者の話し合いはあまりなされていなかったようだ。JR西は、遺族に対して事故原因の調査は事故調査委員会に任せていると言い、JR西はそのため被害者の家族に対しては何も言えないからと、しかも原因を把握するための「物」はすべて押収されているので、原因調査も出来ないと言い張っている。私が直接の被害者だったら、「JRの言い分はわかった。しかし、すべての物が警察と事故調査委員会に押収されていると言うのならば、JR西が先に提出してある事故対策書から見て、すべての管理者と運転手が拘留されていないといけないと思うがいかが」と主張するだろう。 JR西の態度はあまりにもひどい。

 事故の原因は単純で明確だ。即ち、「曲線で規定以上のスピードが出すぎていたので脱線した、スピードが規定通りだったら事故は起きなかった」のだ。原因を時間をかけて調べなくても「運転手がスピードを出しすぎたことは明白」なのだから、スピードを出しすぎた原因を追求すればよい。 対策もしぼられる。、「決まったスピードで運転するための手段を講ずる」こと、即ち、スピードを出し過ぎていなければ脱線しなかったのだから、いかなる原因があっても決められた以上のスピードが出ないようにすれば良いのだ。 線路の状態、車両の状態、運行の状態、管理の状態等々あまりにも余分な要因、例えば脱線が起きるメカニズムにまでさかのぼって原因を追究しようとしているので、肝心の対策がボケてしまっている。木を見て森を見ずだ。そしてあまりにも余分な要因に対して対策仕様としているので対策までもぼやけてしまった。
 勿論、最終的にはいろいろな二次要因が想定されるが、二次的な原因は後から調べ対策を立ててもよい。毎日電車は休みなく動いていても、スピードを出しすぎることが無ければ、今回のような脱線事故は絶対にない。今すぐにやるべきことと先に延ばしても良いことを分けないといけない。

 JR西は独自では事故の原因調査を警察や自己調査委員会に任せているので、原因の把握が出来ていないと言うにもかかわらず、JR西は、先にたてた自分たちの再発防止対策は万全と言っている。 そして、事故調査委員会が二年もかけて事故原因を調査し報告書をまとめると言うのに、JR西は事故調査委員会の調査委員会の報告を待って、更に抜本的な対策をするらしい。 どうしても納得がいかない論旨である。どう考えてもおかしな展開ではないか。
 
 私は、JR西が作った事故再発防止対策事故調査委員会の中間報告はおかしいのではないかと思っている。 なぜならば、事故の直接の原因が明確にされていないのに、ハード面の対策が万全であるかのごとく打ち出されているからである。即ち、電車は自動運転でなくマニュアル運転なのに、「人よりも機械」のほうに力点を置いた対策を立てているようにしか思えない。
 自動車の運転を例に挙げれば、スピードの出しすぎが原因で事故を起こしたのに、自動車のブレーキ性能をあげたり、警報装置を取り付けたり、スピード標識を増やそうとしているだけのように思えてくる。
 中間報告書によれば、運転手がまず「スピード遵守」の自覚を持つ事が第一であり、、居眠りしたり、わき見運転をしないようにする対策はそれに続くものだ。にもかかわらず、スピード違反者に対する再教育が行き過ぎた「懲罰」といわれれば何言ってるのとなってしまう。 また、運転中に病気にならないと言う保証はないのに、その対策は何も無い。人に対する安全対策が弱いので、飲酒運転が起きるのだ。また薬物を飲んでいる運転手はいないのだろうか。

 何度も言うが、JR西の再発防止対策は、原因を絞り込まない机上計画でしかない。そのため、責任逃れの対策だ/責任の所在をぼかしている/もつとも難しいヒューマンエラー防止策は改善されていない等々言い出したらきりがないほどプアーなぼかした対策のように思える。今回の事故対策は、JALのものを参考にして起草されたと聞く。JALの現状を見ると、再度同じような大事故が起きるのではないかと心配している。

 マスコミは、なぜ福知山線の遺族会がJR西の態度にクレームをつけているのかを理解し、そして遺族会が訴えていることを世間に伝え、別の角度からみた意見をまとめようとしないのか。また、JR西が立てている事故の対策がうまく機能しているのかどうかの検証をしないといけない。それがマスコミの仕事ではないか。

 「遺族と被害者」の方々が、JRの対応が悪い、対策がなっていないと怒るのは当然だ。


2005/09/25 (日)
 今年の阪神は強かった。それに対して中日はセ・パ交流戦からおかしくなってしまった。巨人は今年も弱かった。私は、中日が二年連続セリーグ優勝するものと信じていたのに残念だった。とにかく阪神が強すぎたのだ。最近のプロ野球は大味で、一方的な試合になる場合が多い。面白くなくなった。


2005/09/24 (土)
 最近、いろいろなところに「共依存」という言葉が出てきます。親子、夫婦、友人そして社会との関係で、自分と他人との間で適切な距離が取れなくて悩む人たちが増えたと言われ、「共依存」は諸悪の根源のような使われ方をされているようです。 共依存症の治療のための治療方法が数多く紹介されています。 
 その治療プログラムの一つに
ゲシュタルト療法というものがあります。 ゲシュタルト療法とは、クライアントが本来もっている能力を引き出し、体験(ワーク)を通じて、全体(ゲシュタルト)を見つめなおして統合、成長へ導く心理療法です。抑圧された感覚、思考、感情、行動を再体験することにより、自分自身が囚われていることに気づき、その瞬間から固執していたものから開放され視野が広がります。 治療の原点は「ゲシュタルトの祈り」です。 ゲシュタルトの祈りの原文はドイツ語(原文を載せておきます)で、極めてシンプルです。そのため、日本語に翻訳するときに、翻訳者によっていろいろな「訳し方」をされ、それがかえって治療の効果をあげているようにも思います。

 私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。            Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。 Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。   und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
 私は私。あなたはあなた。                               ICH BIN ich und DU BIST du -
 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。          und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schon,
 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。         wenn nicht, dann ist auch das gut so.
 (フレデリック・パールズ)

 もし皆さんが、奥さんと更に仲良くしたいと思われるならば、この祈りを声を出して唱えましょう。 もし奥さんとの間が冷え切っているならば、この祈りを大声で唱えても良し、離縁しても良し。


2005/09/23 (金)
 今回の衆議院選挙は劇場型選挙と言われていた。それなりに面白く観賞させてもらった。ドラマの結幕は自民党の圧勝であったが、その結果として従来では考えられないような「先生」が誕生してしまった。
 実績があるのに、残念ながら落選した人もある。今回のように冷やかしで名前を登録したら比例代表ということで選出されてしまった人もいる。何かおかしいような気もするが、誰が選ばれたとしても、国民の代表者としての責任を果たしてもらいたいものだ。 今何もわからなくても良い。解らないからと言ってその場をごまかしたり・付和雷同することはないが、当選直後のインタービュで、「郵政民有化は何もわからないので今から勉強ます」と答弁した新先生が出たのには驚いた。本人様よりもその議員を公認した政党を疑いたくなる。とは言え、いままでにも芸能界から借りてきた議員も多いから、今始まったことではない。


2005/09/22 (木)
  曇りがちで、そして風があるのに蒸し暑い。
 田舎に帰れば、夜は窓を閉めそして薄い布団を着て寝ないと寒くなっているだろう/初秋の草花は綺麗だろう等々考えていると、大阪での生活に季節感がないことを改めて痛感する。 勿論、淀川沿いの散歩では秋の気配に変わりつつあることを感じ、また散歩途中の庭先で栽培している植木鉢の草花にも秋の花が咲き始めたが、私が住んでいた豊川の秋とはだいぶ雰囲気が違う。


2005/09/21 (水)
 淀川で釣りをしていた時の話である。

 小学校2年の子供が私のそばに寄ってきた。彼は淀川の近くに住んでおり、今日はザリガニを捕まえに淀川に一人で来たらしい。
「おっちゃん、ザリガニはいる?」「ザリガニは見たことないよ」/「おっちゃん何してるの」「魚釣りをしてるんだ」/「釣れるか」「見てたらわかるよ」/「あ・釣れた。魚欲しい」「いいよ、何に入れる?」「このバケツ、水汲んで」「自分でやれよ」/「おっちゃんケチやなぁ」「ケチじゃないぞ、自分のことは自分で出来るだろう」「僕こけそうでこわいんや」。 仕方ないので水をくんでやり、釣ったブルーギルをその中に放した。獲物は小さいが入れ食いなので、二、三匹を彼の目の前で釣り、バケツに放してやった。「おっちゃん僕にもやらして」「いいよ、君は魚釣りやったことあるの」/「ないよ、でも出来るよ、簡単だよ」である。
  竿を貸したが、勿論釣りは初めてであり、手を添えてやらないと、どうしようもない。竿を振って餌が前に飛んだらラッキー、横に飛んでもまだ良い。後ろに飛んだらその都度草に引っかかるので外しに行かないといけない。前に飛んだら、しばらく待てば「浮き」が沈むのでタイミングよく竿をあげればよいだけだが、何度教えても上手いタイミングで竿を上げれない。手を添えて補助しないと上手く出来ないのだ。何匹か釣れると彼の態度が変わってきた。
 「おッ、君は素質があるなぁ、釣りの名人だ」 
と何度もおだてていたら「僕は釣りの名人だぞっ」になった/次第にエスカレートして「もっと大きい魚を釣りたい、違うところに行こう」となり、竿を横にしたまま移動し始めた。勿論針は根かかりや竿は草に引っかかる。「ダメだ、動いちゃいかん。ここが一番釣れる、ほら釣れた」となだめるが聴く耳を持たない。そして遂に「僕が大きな魚が釣れる所を教えてあげる」/「僕は名人だ」/「おっちゃん黙っていて」とどんどん坊主の我儘が出てきた。

 おかげで、根かがかりなどで糸を切ったのは3回、竿に糸がからまり処理しきれず糸を切ったのが2回。 6時になったら「おっちゃん、もう帰る」と、有難うも言わず、帰って行った。くそ坊主の親の顔が見たいと思ってしまった。大阪の子供がすべて同じとは思わないが、いい気分ではない一時だった


2005/09/20 (火)
 世間では三連休が終わった言っていたようだが、私はもう100連休以上もやっている。連休も短ければ楽しいのかも知れないが、長くなってくると楽しみではなく、苦痛と不安の源になる場合がある。
 世の中、私と同じような状況、即ち大型連休に入っている人は多いだろう。 同じような状況といっても、時間を過ごせる場所時間を過ごせるものを持っている人と何も無い人の違いは大きい。残念ながら最近の自分は後者に入ってしまうような生活をしているので、大型連休が苦痛に変わりつつある。
 何かやらないといけない、何か始めたいと思う毎日ではあるが、なかなか第一歩が踏み出せない昨今である。


2005/09/19 (月)
 パソコンの動作が遅くなってしまった。メモリーが少なくなったときの様子に似ているので、余分なものがハードディスクに貯まりすぎたのだろう。整理しないといけないようだ。


2005/09/18 (日)
 高校時代の同級会を開いた。今回のものは、関西地区に住む人たちだけが大阪に集まったもので、43名の同級生の内12人が関西地区に住み、そしてその内7名が参加してくれることになった。

 高校を卒業し45年。関西地区だけの集まりは初めてでもあり、7名中4人には卒業以来会っていない。勝手に設定した集合場所がわかるのだろうか、あるいは集まっても認識できるのだろうかと心配していたが、全員定刻に落ち合うことが出来た。今回は正午前からスタートしたが、積もる話は尽きず、気付いたら夕方になっていた。次回を約束して散会。

 当日の写真を、出席できなかった人にメールで送ったら、「自分のことを棚にあげて失礼だが、やはり還暦済みの顔だな。何れもネ」と返事が返ってきた。一番ふけて見えるのは、棚に上げたというお前さんだと言ってやりたい。


2005/09/16 (金)
今更ながらではあるが、今は「人生60点でいいではないか」の生き方をしないといけないと思っている。下記は、ある書類からの抜粋であるが、同じような表現の文章はいろいろな書類や書物に出ている。
・明日はあしたの風が吹く。
・明日になったら考えよう。
・明日の心配事は明日考えよう。
・なんとかなるさ。今までもなんとかなってきたのだから。
・天は私を見放したりはしない。

・まあイイカ。
・できなかったら、すみませんと言おう。
・できないものは、できない。
・今の私には、これが最善だ。
・なんか文句あっか。
・私は出来る人間、いいひと、やさしい人、思いやりがある人・・・・なんかじゃナイ。
・私を応援する人もいれば、反対する人もいる。・・・・それは社会の当たり前。

 この言葉は無責任や逃避とも考えられるが、実は我々の心理状態を楽にさせる秘訣が隠されているのだと思う。ある期待に対して、自分では期待にこたえられないことが、心理的圧力となり、これが重度になったり、継続するとウツ状態に陥る可能性がある。自分が楽になるには、すべて60点とれれば良しとするのである。50点で可。60点で良。人生60点で万事OKなのである。
 
 私たちは60点が合格であると言うのは、小さいときから知っている。しかし、学生時代も企業時代も60点で良いとは言ってくれる人はおらなかったので、常に100点を要求されていると自分で思い続けていた。そしてそれが人生の目標であり、励みの原点であった。人生60年を経験し終身雇用の国家公務員になってみると、
60点でいいと考えないと耐えれないときがあると感じ始めた。自分のニーズによって60点でよしとしないとやっていけなくなってしまったのだ。
 今からでも遅くは無い。頑張ってレベルダウンしよう/終身雇用の国家公務員なのだから、徹底的に仕事をサボろうと思う毎日である。


2005/09/16 (金)
 インターネットはADSL回線で接続しいているが、スピードが遅くていらいらするようになった。特にボイスチャットの時は相手の声が途切れ途切れになってしまうのだ。現住所でADSLを開設するとき回線のスピードがどれぐらい期待できるのか確認しておけば良かったのに、光回線はもったいないと思ったので、ADSLで最も早いもの、即ち47Mで契約した。
 NTTに確認すると、その後50Mのスピードのものがサービス提供されるようになり、我が家からアクセスポイントまでの距離は2Km以下となるらしい。従来のものに比べて半分近くの距離になるようだからスピードは大幅に改善されるだろう。値段もほとんど同じなので変更することにした。
 回線とプロバイターのサービスは待っていても届けてはくれない。ネットやパンフレットで自分の契約内容を見ると、新しく出たサービスの料金の方が安くなっており、契約変更をすればより上のサービスが受けれることがあるようだ。


2005/09/15 (木)
 今年の二月中旬にタバコをやめて以来、半年で体重が5Kg近くも増えてしまった。今月に入って減量に努めているが一向に減らない。先ず食べる量を減らさないといけないと思うが、なかなか実行に移せない。


2005/09/14 (水)
 この数日、天候がはっきりしない。朝晩は曇り勝ちなのに、日中になると真夏の空になり、そして暑い。大阪で三度目の夏を過ごしているが、とにかく大阪の暑さには閉口している。そして、雨が少なく、そして台風が来ても風は出ないのが不思議だ。私は、大阪のおばちゃん連中が怖いので、台風が近づかなかったり、あるいは近づいても「そっと」通り過ぎてしまうと言っているが、当のおばちゃんたちは、「全くその通りだ」と言う。大阪のおばちゃん連も承知しているらしい。

 雨と風が弱いからか、空気はいつも汚い。空は青くないし、夜空が明るいこともあり星はほとんど見えない。もっと私には驚いたことがある。それは澄んでいない淀川(私にはドブ川のように見える)の下降(河口から12Kmほどの所)で中学生が泳いでいることである。
 私は淀川の流れを心配しているのではなく、透明度が数メートルも無いようなところで泳いでおれば、河童が出て来て足を引張るのではないかと心配する。 淀川で釣りをしていると時々1メートルを超えるほどの魚が飛び跳ねることがある。そのような大きな魚が食いつくかも知れないし、上流から流されてきた土左衛門さんが足を引っぱるかも知れない。などを考えると、底の見えない川でよくもまあ泳げるものだと感心している。

大阪生活が長くなるにも拘わらず、まだしっくり来ない。何事にも慣れが必要なのだろうが、年齢に比例して慣れるのが遅くなって来たようだが、何もせずボケーと寝転ぶ生活には、たった三日で慣れてしまった。


2005/09/13 (火)
 TVを見ていたら、自民党の圧勝についてアメリカの新聞では、「ブッシュ大統領に忠実な小泉首相が。。。。」と伝えているニュースがあった(勿論日本語で)。

 私のプアーな日本語の理解では、「忠実」は飼い犬が主人に忠実であるというような場合に使われるだけだと思い、アメリカの新聞ではどのように表現されているのかを調べた。(Yahoo.comの検索で、KOIZUMIと入力して検索すれば幾つかの小泉首相に関連する新聞記事にヒットしますのでトライしてみてください)

 幾つかの紙面で、関係ありそうな文章を拾うと、新聞によって{close ally of US Peresident BUSH}と言う表現と {staunch ally of President BUSH}が出てきた。
 前者は「親密な協力者・同盟者」だから違和感はないが、後者は「信頼に足る・忠実な協力者・同盟者」だ。二つの表現には明らかに違いがあり、後者は主従の関係で使われるのではないかと思う。

 このようなことを調べたい時は、電子辞書が活躍する。OXFORD現代英英辞典でのstaunchと広辞苑での忠実は同じような使い方がされているようだ。即ち上下関係における忠誠・忠実の意味がある。
 アメリカの二つの新聞で、closeあるいはstaunchという英単語が、なぜ使われたのか、そして日本の解説者がどちらの新聞を読み、なぜstaunch を採用し、そしてstaunchを信頼に足るではなく「忠実な」と訳したのかを問うてみたい。
 

 少なくとも、TVに出てご尤もらしくおっしゃっているような人だったら
小泉さんがブッシュさんの「飼い犬」でもあるような表現をされているのはおかしいと言うべきである。
 あるいは意識的にそのように表現を認めているのだろうか。TVに出てくるような人たちは、知識ある人たちなのだから、自分たちの総理大臣がブッシュの家来のように言われているのだからクレームを付けたらどうなのだ。
 

 そのような番組を流し続けているTV局も、レポーターも、そしてゲストとか言われて浮かれている人は、
日本人としての責任と誇りが無くなってしまったのか。


2005/09/12 (月)
 自民党の圧勝。予測はしていたがこれほど大差が出るとは思っていなかった。
 勝ったのは衆議院選挙。解散のきっかけは参議院での郵政民有化法案の否決があったからであり、衆議院選挙の結果がどうであれ、参議院の議員の賛否が変わらなければ再度否決されるはずだ/参議院議員で反対投票した人を賛成に寝返らすための方策が衆議院の解散であったとすれば、なんと寂しい参議院選挙だったかと思っていたのに、自公で2/3の議席を占めてしまえば、参議院が「法案を審議する機能」はなくなってしまう。

 野党は、なんと恥ずかしい負けっぷりだ。民社党は政権をとれると本当に思っていたのだろうか。もし政権がとれたら「小泉監督兼主役が主役のドラマに変わる、民主党監督の新しいドラマ」を創案し、そしてどのように演出する積りだったのだろうか。他の党も同様に初めから選挙に勝てるとは思っていなかったように思う。世論が変わっているのに、その認識が出来ておらず、「劇場ドラマ」の脚本を書く人がいないことが敗因だ。


 無党派と言われる有権者、また都市部の有権者が、そして浮動票と言われる人たちが政治参加すれば野党に投票するという時代ではなく、また「何でも反対」と言う主張は通用しないと言うことがはっきりした選挙だったのも以外だ。
 今回の選挙は、そのPR方法から見ても、野党は全部、自民党の戦略にはまったのは明白である。


2005/09/11 (日)
 いよいよ審判の日になった。私は今回の選挙では投票率にも関心がある。
 四年前の9月11日は、中国大連市に滞在していた。ニューヨークで起きた同時多発テロはいつも聞いているNHK短波放送で知ったのであるが、テロ発生から1時間程しか経過していないホットニュースだった。テロが起きた後の四年間で、世界も・ 日本も・そして自分自身も大きく変わってしまったように思える。
 私にとって変わったことは、念願の?年俸制の終身雇用の国家公務員になれたが、年俸の少ないことに驚き、そして同時に気力も体力も次第に萎えて行くことを実感する生活になったことだろう。

 日本にとっては、今回のような選挙が実施される時代になった。しかし、隣国から攻められても、そして国連の常任理事国になれなくても、相変わらず何処かの政党は憲法9条の変更は亡国への第一歩と主張している。選挙運動をじっと聞いていても、そしてマニュフェストなる台本を読んでも何もわからなかったが、気にすることも無いのかも知れない。私は、ただ投票率が大幅によくなることを期待する。
 世界は、あまり変わっていない。むしろテロと言う点ではテロの目標が世界の地域に拡大した分、不安な毎日が続くようになった。安全面では次第に後退しつつある。


2005/09/10 (土)
 今回の衆議院選挙は自民党の圧勝が予測されているらしい。小泉さんが演出した「劇場ドラマ」の成果だろうか。アンケートの予測した結果になったとすれば、小泉さんは国民全員をそしてマスコミまで巻き込んだ劇場を演出したことになる。
 昨日夕方頃から、野に出た芸人さんは悲劇の主人公になったのか、半べそで金切り声を絞り出し始めた。ここまでくれば、観衆を馬鹿にするのもいい加減にしてくれと言いたくなる。
 選挙のスタート時の演説では、すべての立候補者は今回の喜劇の主役は自分だと言っていたのに、終盤になって演じていたドラマが悲劇だったとわかり、そして自分が主役になれると思っていたのに端役にもなれそうにないと理解し始めたようだ。
 
 彼らが本当にドラマの主人公になったのか、あるいはそれが演技なのかは、選挙が終わってみないとわからないが、日ごろから「泣き叫ぶ」練習もしておくべきだった。

 選挙結果がどのようになろうとも、舞台で演出された事を劇場の外でも間違いなく実現させて貰いたいものだ。


2005/09/09 (金)
 期日前不在者投票を済ませた。遠く離れた地区の候補者を選挙するのはおかしいような気もするが、それが決まりらしいから仕方がない。


2005/09/08 (木)
 国連開発計画(UNDP)が発表した世界177か国・地域の生活の豊かさを比べた「人間開発報告書」では、日本は前年まで5年連続で9位だったが、11位に後退したらしい。ベスト3はノルウェー、アイスランド、オーストラリア。以下、ルクセンブルク、カナダ、スウェーデン、スイス、アイルランド、ベルギー、米国と続いた。アジアでは香港が22位、シンガポールが25位、韓国が28位に入った。中国は前年の94位から85位になった。(報告書は一人当たり国内総生産(GDP)や平均寿命、識字率などから生活の質を示す「人間開発指数」を割り出して比較) 私が不思議に思うのは、米国が日本よりも上位に位置していることである。
 カトリーナの被害報道でもわかるように、車社会といわれるアメリカでも自動車がない人たちは多い。仕事がない人たち、生活保護を受けている人たちは何処にでもいる。職に就いていても時間幾らの人たちが多い。勿論驚くほどの年収を得ている人たちもいるが、割合で言えばほんのわずかだ。日本の方がアメリカよりも上になっても良いではないか。アメリカの上になれないのは、日本国民の「意識」だけと思っている。

 米国に入れば、1ドル=110円の相場ではなく、1ドル=150円あるいは=200円と考えた方が良いような場合に遭遇する。物価だけではない。彼らが乗っている自動車はガタガタ、着ているものはジーパン、どこに行ってもクールビズとウオームビズだ、履いているのはスニーカー、食べているものはポテトチップス、飲んでいるのはコカコーラ。それでも住み家の広さは日本の倍以上、住み家は50年以上も前に建てられたもの。それがアメリカの住み易さなのかも知れない。日本人は世界一の高級取りになっても、それを自覚していないところに問題がある。問題なのは「住む家の狭さ」だ。その改善のためには、木造住宅の寿命を伸ばし、二世代、三世代も使用できる「耐久財」にしないといけない。


2005/09/07 (水)
 JR西日本の福知山線脱線事故調査委員会の中間報告が提出された。この事故の被害者の方々は中間報告に対して、そしてJR西日本に対しても不満を表現しておられるようだが、私も同感だ。
 新聞記事を読む限り、事故調査委員会の中間報告は、「事故から今日までの事故調査の概要、車両に搭載された記録装置の分析、そして列車防護に関する情報だけしか」記載されておらず、長い時間をかけて調査した結果が、これだけかと言いたくなる。ヒューマンエラーが起きた真の原因、JR西日本の体質的な問題などには何も触れられていない。事故調査委員会の人たちは、小さい事実を追求しすぎて大局を見失ってしまったのだろうか。あるいは最初から方向付けされた調査を行ったのかと疑いたくなる。先のJR西日本の再発防止対策書もおかしいと思っていたが、今回の事故調査委員会の中間報告書は更におかしい。

 また被害者側は、「航空・鉄道事故調査委員会は、法律によって国の機関として設置され、職権の独立性が保証されるとともに、事故調査のための権限が付与されています。つまり鉄道の安全のために鉄道事故原因を究明し、再発防止策を解明することの出来るわが国でただひとつの機関です」にも拘わらず、この中間報告書はプアー過ぎるとクレームをつけている。 私も、新聞記事で中間報告書を読む限り、中間報告としてはあまりにも幼稚なので驚いている。 何人の調査員が関与しているのかはわからないが、今までに十分時間があったのに「これだけか」と思うのである。また何を調査すべきと考えているのか/そのスケジュール計画は/何処まで調査が進んだのかなどが述べられていないので、調査委員会が何をしようとしているのかがわからない。 即ち、事故調査委員会とJR西日本以外の第三者が想定している原因に対しての調査も同時進行しているのかどうかを知りたいのに、報告書には一切述べられていないのだ。にも拘わらず、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は北側一雄国交相に(1)ATSなどの機能向上(2)事故発生時の列車防護の確実な実行3)列車走行状況などを記録する装置の設置と活用(4)速度計などの精度確保の建議(提言)を提出している。これらの建議は今回の脱線事故に対する一次的な対応ではなく、人が起こしたミスをバックアップする対策、即ち第一次ミスが起きたとき、それに気づかなかった場合に機能する二次的対策としての安全装置である。ミスを防止するための方策ではない。
 今回の中間報告書でこのような対策を建議することは、今までの調査では直接原因を追究できなかったが、それでは恥ずかしいので上記4点を挙げておこうとしているとしか考えられない。あるいは今後調査が進むごとに再発防止対策を提案する積りなのか。

 私の言うことが間違いで、事故調査が正しく予定通り行われているのであれば、中間報告書が寸足らずであっただけと我慢が出来るが、二年後に提出されるであろう最終報告書が寸足らずでは取り返しが付かない。永久に事故原因が究明されず、そのため真の対策が打たれないことになる。そして二年以上も継続し調査に要した莫大な費用と時間が無駄になるからである。そのような結果になるならば、私をボランティアで調査委員会のメンバーにしておく方が良いではないか。

 JR西日本もまた、事故調査委員会の調査に委ねたようなことを言い、自分の責任でどれだけ調査してたのかがわからない。悪く考えると、事故調査を途中で打ち切ってしまったのではないかと考えられる。 先に提出されているJR西日本の再発防止対策では「正式には事故調査委員会の報告を待って、見直しもありえる」となっており、再発防止対策書が完全でないということを認めている。真の対策は二年後になると間接的に言っているのだ。JR西日本も国の機関である事故調査委員会も「じっとしておれば、その内、台風は過ぎる/被害も小さくなる」と思っているのか。

 JR西日本の対策が抽象的過ぎると思っていた。事故調査委員会の中間報告の内容はあまりにもプアーで、文章そのものまで理解できないところがある。両者共に、事故の原因を初めから決め、そして今回の建議だけで決着を着けようとしているのではないかと考えてしまう。


2005/09/06 (火)
 私が子供の頃、父親から「日本には210日と220日には台風が来る」と教えられた記憶がある。勿論何日かのズレがあるがたいていその時期には台風が上陸している。今年は210日には数日早いが14号が日本に上陸した。 
 本土上陸しない場合も、毎年、沖縄、大東島や奄美大島を台風が通り過ぎる。知り合った沖縄の人は台風が発生する毎に大きさに応じた「万全な準備」をしているという。東京の住宅街で洪水が発生したがこれは予測外のことだった。同じように海抜0m地域は多く、ニューオーリンズと同じような危険性のある都市は多い。潮岬に住む知り合いは、津波が心配なので高いところに住みたいが、高いところは台風が怖いからと、何処に住んだら良いのかわからないと言っていたが、他所に移る気はないようだ。私は、地震も台風も心配がなく、見晴らしが良く、生活がしやすく、そして少ない年金だけで過ごせる場所を探している。皆さん紹介して下さい。

 地震にしろ、台風にしろ、テロにしろ、我々が予測する大きさはどの程度なのだろうか。私は、東海沖大地震が発生しても我が家は崩壊しないと信じているが、それは、建築に対して素人の自分が設計した家だからと言う理由なので、根拠があるわけでない。スマトラ島沖地震と津波、カトリーナの大きさを楽観的に見ていた住民と同レベルの自己判断かも知れない。テロも戦争も起きるはずがないと信じ込んでいる。


2005/09/05 (月)
 大型ハリケーン・カトリーナーの被害がはっきりして来るにつれて、その被害の甚大さに驚いている。そして同時に、アメリカでの貧富の差、政府の対応の遅さ、そして治安の悪さを改めて再確認した。
 ニューオ−リンズでハリケーンが上陸するからと避難命令が出たとき、多くの人たちが道路を歩いて避難している画像が映し出された。その様は、イラクの人たちが家を爆撃で破壊されたので非難しているものと変わりがなかった。マスコミは、台風が去ったら、自動車がないので徒歩でしか避難できず、そのため被害者が多かったと報道し、そしてイラクへの兵員派遣費の一部でも国内問題に投入すればこのような被害者救援の遅れもなく、また洪水そのものも防げたと強調している。世界にアメリカの恥部をさらけ出したような報道である。
 台風14号のスケールはカトリーナと比べて同等だ。日本に上陸しそうだが被害が最小限になるように祈ろう。そして最悪の場合にも、米国と同じような対応はしたくない。


2005/09/04 (日)
 TV討論会で党首討論を聞いていた。郵政民営化も年金問題もそして税金も、国の収入と支出のバランスが悪いことに起因していると思うのに、それを一切国民には言わないで、各政党が互いに自分の掲げた数字が正しい/そして他党のものがでたらめと言い張っている。
 「日本の借金時計」を見ていると、毎秒毎に私の年金額に相当する分の借金が増えているのに、それを先ずストップさせ、そして減らす事を具体化させないで、立候補者はお互いの足を引張っているように思えてしようがない。


2005/09/03 (土)
 政党のマニュフェストをオンラインで読んでいるが、なかなか理解できない。 自分としてはハードコピーで読んだ方が良いが全部のハードコピーを作っても、膨大な枚数になるので、これまた読む気にはならない。
 一番わからないのは、ごもっともな公約を果すために、例えばその予算のバックアップが検討されているのかどうかである。次に、イラクから自衛隊を撤退させる事には大賛成であるが、本当に出来るのかどうか/消費税アップは必要ないのか/憲法第九条を変えないで、北朝鮮のミサイルを防止出来るのか/日本国の家計の実態はどうかなど(日本の借金時計=当ホームページにリンクさせていますので参照下さい)である。 全部の政党は、マニュフェストの中では言えないのかあるいは意識的に隠しているのかわからないが、肝心なことを言っていないのは明白だ。国民に対して隠し事が多すぎる。

衆議院選挙と言う舞台公演中にヨン様が来日した。世のおば様連中はヨン様の方が興味があるようだ。ヨン様、日本の国会議員に立候補しませんか。俳優仕事の合間に、日本の国会議員業務は務まるらしいですよ。


2005/09/02 (金)
 かみさんの投票所入場券がまだ来ない。昨日市役所の職員と電話で話したとき、調べて返事すると言ってくれたのに、電話でもEmailでも返事は来ていない(正直言って調べる方法は無いだろうが)。不在者投票のための申請書をダウンロードして、必要事項を記入したが、それを今日発送が出来なかった。明日郵送する。せっかく不在者投票しようとしても時間切れで出来ないという事態になりそうだ。

 誓約書を送る前に、投票所入場券の裏の小さい文字の注意書きを苦労して読んだら、「誓約書兼請求書」に現住所を記入して選挙管理委員会に返送すれば、折り返して投票用紙を送ってくれると書いてあるではないか。昨日市役所の職員が教えてくれたような書類はダウンロードする必要はない。即ち、投票用紙を新しい住所に送って貰いたいときは、誓約書を提出しなさい/誓約書の正式な用紙は私が選挙管理委員会に請求すれば郵送する/それに必要事項を記入し返送すれば投票用紙を折り返して送ると言われたのだ、そして選挙日までに時間が無いので悠長なことをしていたら間に合わないと言うと、市のホームページにアクセスしそこから用紙をダウンロード出来るので誓約書のやり取り分の時間が稼げると言われた。
 
 電話で教えてもらった方法は必要なかったではないか、そして指示された「ダウンロードした誓約書」と「投票所入場券の誓約書兼請求書」の内容が違うとクレームを付けたら、市役所の職員は次のように答えるのだろう。選挙管理委員会に言ってくれ、そして書類はずっと前から変えていないので、自分が文句を言われる筋合いは無い。 昨日応対してくれた職員は、ホームページのダウンロード用紙の中身を知らず、また、投票所入場券の記載事項をよく知らないまま、私に不在者投票の場合の手続き方法を教えたとは決して言わないだろう。外国人がいつも使う答弁のようだ。


2005/09/01 (木)
 今回の衆議院総選挙の投票所入場券が送られて来た。その入場券では、8月16日現在の転出届けによると、以前に住んでいた愛知県で投票せよとある。私は6月6日に豊川市から大阪市に住民票を写しており、8月16日現在は間違いなく大阪市の住民であるのに、9月11日の投票所は遠く離れた豊川市にあることになっているらしい。しかし、同時に転居したかみさんの方の入場券は来ていない。私だけに案内状が来たらしい。
 私が豊川市から大阪に転居するための手続きは電話と郵便で行った。そのためトラブルもあり、保険証の失効、保険料と税金の二重請求、そして保険料の二度・三度の訂正など、市役所と区役所サイドのミスが連続し迷惑を被った。今度は衆議院総選挙の投票が出来ないのではないかと心配になってきたので、Eーmailを市役所に送ると共に、電話で確認することにした。 投票所入場券の8月16日現在の云々は間違った表現であると判明したが、結局私は三ヶ月前の住所でしか投票が出来ないということが判明。

 誠に恥ずかしい事であるが、投票は選挙公示日に住んでいる地区で行うのではなくて、三ヶ月前の居住地での選挙となるとはじめて知った。私の場合は約三ヶ月前に大阪に転出し、税金も(これは1月1日に居住していたところに支払うらしい)、異状と思われる高額保健料も大阪で支払っているのに、投票だけは愛知県に戻らないといけないらしい。勿論不在者投票(遠隔地投票)も可能なので、その方法を教えてもらった。市役所のホームページから申請用紙をダウンロードして、申請すれば投票用紙を送ってくれるらしいが、書類の送受領を郵送に頼っていたら投票日までに間に合うのかどうかが心配である。

 地区によって不在者投票の手続きの方法や申請書類が違うのではないかと、幾つかの区・市役所に接続し調べようとしたが、不在者投票の仕方がわかるところに到着するのが難しいホームページが多い。ユーザにとっては、「選挙管理委員会の条例そのもの」を記載しているが、そのようなものが読めるわけが無いので意味は無い。「不在者投票の仕方を要約して教えて欲しい」のだから、例えば不在者投票では、第一ステップとして「宣誓書=この用紙だけでも市町村ごとに異なったフォームになっている」を提出し、投票用紙を請求する/その誓約書は何処に請求する(ネットでもダウンロード可能/URLは。。。が、などが検索できるようになっておればよい。

 ホリエモンさんをはじめ立候補者は、自分の思うままに、そして突然にでも立候補できる地区を決めれるらしいが、私は現在住んでいる地区の政治家を選びたいと考えているのに、三ヶ月も前に住んでいた地区の候補者しか選べないとはおかしな仕組みだ。そして、前の住所で転出書類を貰い新住所に転入届けを出すまでの法的猶予期間は二週間あるが、移転手続きをしている間の幾日かが、この三ヶ月前に入っている人は、前の住所では転出しており新しい住所には登録されていないことになるので選挙が出来ないことになってしまう。このような人たちは選挙権の無い人として扱われるのだろうか。それとも棄権した人として扱われるのであろうか。

政治家さんが改善しないといけないことは、憲法に限らず、身近な所にもいろいろある。そしてお役人のお仕事もどんどん変えないといけない。