2001年度へ | 徒然日記 |
2001/September
01/09/30(Sun.)
9月も終わってしまった。
01/09/29(Sat.)
愛犬のユリが今朝3時ごろ息を引き取った。早起きして、鳳来町に埋葬してきた。
ユリは何度も子供を生んだ。子供たちは中部大会で入賞したり、若犬の部で日本一にまでなったので、有名犬だった。
我が家族として15年もの間生活してきたのでいなくなってしまうと寂しい。
ユリのお陰で、一時、日本犬のブリーダーとしての犬舎号(三河荘)まで登録し、ブリーダーとして楽しんだり、またそれらを日本犬の展示会にまで出したことがあるが、すぐにやめてしまった。
その理由は、自分はペットとして犬を飼うことは出来るが、展示会等に出品したり、それらの犬を売買する世界には入れなかったからである。以来、生れた子供は個人では売買せず、ペットショップ経由で処理して貰うようにしたり、「良さそうな子供」は知人にあげることにした。
素人の飼い主には、ただであげても、血統書代金だけであげてもいけないことが後でわかった。次は血統書代金程度で差し上げた先(養子先)とその隣家の話である。
我が犬社産の子犬は、養子先の隣の柴犬と大差は無いが、成長してくると、さし上げた犬は見目麗しく・また気性も強くなり、凛としてくる。
お隣の柴犬とは月とスッポンほども違うことがあるのである。お隣の犬は云万円も出して買った柴犬で血統書もついている。お隣のご主人は、自分の犬が正真正銘の柴犬と思っているから、養子先の柴犬が見目麗しくなればなるほど、隣の犬がミックスと思うらしい。そして我が家から出した犬は血統書こそ付いているが、ただ同然の金額でもらったのがその証拠だというのである。養子先の主人は隣家の飼い主にごもっともらしく言われるたために、お隣さんの話を信じてしまったのである。
一年ほどたって、養子先の主人がその話をしてくれたので、養子犬を展示会常連のペットショップに見せに行った。「何処から手に入れた?/展示会には?/なぜ出展しない?/売ってくれない?/素人が持てる犬ではない等々」。
その後、養子先のご主人はカギのかかる犬小屋を作り、散歩には長い紐を用いることにしたそうである。
値段が高ければ贋ブランド品でも本物と思う人は多いですよね。
01/09/28(Fri.)
この数日間、柴犬の「ユリ」の調子がおかしい。昭和61年6月24日生れであるから、人間様の年齢に換算すると90歳ぐらいであろう。
ユリは由緒正しい血を引いていたが、その子供の幾つかは展示会で良い賞を獲っている。年を重ねるとますます良い柴犬になり、老衰するまで気品は衰えなかった。そして最後まで医者にはかからなかったのに。今晩は付き添いの看病をしてやろう。
01/09/27(thur.)
パソコン上のH/Pサイトを整理していたとき、操作間違いで9月分の徒然日記を消去してしまった。仕方ないので徒然日記をダウンロードして続けることにした。
従って、9/15から今日までの分は空白。 (苦労しましたが復旧させました)
01/09/14(Fri.)
久しぶりに東京へ行った。東京駅の混雑ぶりは、大連のデパートのそれと余り変わらない。東京駅の方が少し空間が広いので歩きやすいだけである。
帰りの新幹線では、幸いに座席が確保出来たので居眠りをしていたが、二度も起されてしまった。最初は頭に大きなかばんをぶつけられ、二度目はひざに思いきりアルミ製トランクを当てられたからである。新幹線の中は10人程度の立ち席の人がいただけだからそれほど混んではいないし、また私の頭や短い足が通路側に進出していたのでもない。明らかに乗客の荷物が私の確保した空間に侵犯してきたのである。ぶつけた人も悪気があったのではないだろうが、明らかに注意不足であることは明確である。
頭にかばんをぶつけた人は知らん振りして通り過ぎてしまった。肩に担いだかばんが、他人の頭にぶっかったことを本人は知らないのであろう。
アルミ箱の時は、「イタィッ」と声が出たらしい。犯人はちょっと振り返り「ゴメン」と言って、そのまま隣の車両まで急いで行ってしまった。
大連でもよくぶつかる。しかし荷物は手で下げているのでぶつからない。代わりに「人の上半身」がぶつかる。(大連では人がぶつかるのではなく常に「さわりあっている」といった感覚である)
この日記で、中国での電車・バスの乗り降りや、スーパーでのレジにおけるマナーの悪さを記したことがあるが、日本も変わらないではないか。
混雑した山の手線に乗ると、私に席を譲ってくれる人はもちろんいない。それだけではない。私のような不慣れな者が、空席の幅を自分の太さと対比し座れるかどおかを見て、どうしようかと躊躇していると、私よりも明らかに幅広とみえる人が、私を押しのけて座ってしまう。席が狭くて窮屈な場合には、空間の両隣の人は邪魔くさいという顔をするでもなく・知らん顔をして、少し横に席をずらす。その隣の人も少し動く。それでも十分でない場合は、どんどん将棋倒しのように、隣に連鎖させている。割り込まれて?・窮屈だったら広げるくらいならば、はじめから空間を空けるような座り方をすれば良い。陰険ですよ。
そればかりではない。電車の両端の扉付近には「老人とハンディキャップ専用席」と表示がしてあるのに堂々と若い人が占領して、電話ごっこをしているではないか。
中国では、黙っていてもちゃんと「席を広げて」くれますぞ。時には「どうぞおすわり下さい」と言って席を空けてくれるのです。でも、その場合は、自分は歳よりではないと言う「自負から」、不要座 と中国語で断るのにもかかわらず、「請座・請座」と無理やり手を引かれて、座らされてしまうのも、時にはありがた迷惑の様にも思える。
01/09/13(Thur.)
テロによる死者は五千人とも一万人とも言われる。ワールド・トレード・センタービルは観光スポットでもあり、多くの観光客まで被害にあったとすれば特定のしようが無いようにも思える。
ニューヨークとの電話がなかなか通じない。私は事件発生から二時間ほど後に、インターネットメールで、家族の消息を確認する事ができた。
今朝の新聞にも、国際電話が通じなくなったときにはインターネットが有効な手段であると書かれている。
インターネットを24時間常時接続にすれば、いろいろな活用法があるのに、電話代が高すぎて、まだ先の話であろう。
01/09/12(Wed.)
昨夜、NHK短波放送を聞いているとニューヨークのトレードセンタービルに飛行機が衝突したとの臨時ニュースが報じられた。ホテルのロビーの壁にある時計でニューヨーク時間を確認したら、事件発生からまだ1時間ほどしか経過していないことがわかった。
トレードセンター近くに住む息子にEメールを送ると、無事であること・2機目の飛行機がビルに激突するところを見たとすぐに返事が返ってきた。
昔のことであるが、アメリカから日本へのはじめてのTV実況中継が、Jhon.F.Kennedyの暗殺の報道に変わったことを、今でも強烈に覚えている。
技術が進んで、即時と言えるような短い時間の内に全世界?に情報を送ることが出来るようになったが、このテロ事件の首謀者は世界に報道されることを前提に馬鹿げたことをしているのだろう。
9/12夜、自宅に戻りました。しばらく自宅での生活になります。
01/09/09(Sun.)
待望の「金石灘」への釣行の日である。朋友は、時間通り朝7時に迎えに来てくれた。
途中で餌を買った。我がホテルから1kmも離れていない道端に移動式個人商店が集まった「餌市」があるではないか。歩道にビニールを並べただけの市場には15,6軒もの個人商店があり、貝、生餌、さなぎ等々おなじみのものや、見た事もないような餌まで売られている。この商店は朝5時ごろから開かれているとのことであり、早朝釣りに行くときに利用できる。黒魚(黒鯛)が釣れそうな餌を買った人の後を付けていけば、良い釣り場にも行けるかも知れない。
金石灘は、私が良く知っている越前海岸や能登半島のような岩場のある美しい海岸である。ただし粘土質の赤土の壁と巨岩が人が海岸線に降りることを拒否しており、所々しか波打ち際に下りることは出来ない。例え無理して波打ち際に降りたとしても、巨岩が邪魔して良さそうな釣り場までに到達出来ない。ポイントに入るには、干潮時に波打ち際を通っていくらしい。潮が満ちてくるまでのしばらくの間が釣りの時間なのである。
近い将来には、大連駅からこの地まで軽快電車が走るようになる。そうすれば観光地として開発され、人がアクセスできる狭い海岸線は身動きが出来なるほどの人出になるだろう。そうすれば金石灘では釣り(と言っても遠浅なので必ずしも良くはない)は船でしか出来なくなる。
期待していたほどの釣果は無かったが、メバルとアイナメと黒鯛が入れ食いであった。今回もまた当地の釣りキチさんの2倍くらいの魚を釣った。
駐車場で、「化石」の断片を売っているおばさんに取り囲まれた。化石には余り興味がないが、最初の値段の1/4になったので、記念に三個も買ってしまった。
01/09/08(Sat.)
またまた釣りに出かけた。
ある新聞が潮の情報を記載していることがわかった。餌屋さんとは顔なじみになった。幾つかの釣り場もわかった。だんだんこちらでの釣りプロになりつつある。しかし、まだ肝心の良い釣り場がわからない。何処かに良いポイントがあるはずだ。明日は、当地の釣りキチに40Kmほど離れた金石灘という所に連れていってもらうことになっているので楽しみだ。
本日の釣果は、20センチほどのサバ・メバル(最大20センチ・最小5センチ)・アイナメとチンタ(20センチほど)1枚である。合計15匹。釣れた魚は全部、隣で釣りをしているご夫婦に進呈した。本日のご夫婦の釣果は私の釣った魚だけであろう。晩御飯のおかずにしたのだろうか。
お陰で、中国語の勉強が出来たし、蜜柑やお菓子・それにタバコまで頂いてしまった。何時も中国の人達には親切にされる。
日本でも同じであるが、釣り人は他の人が釣れると、場所・釣り方・道具・餌等々気になるものだ。こちらの人達は日本人のそれよりもはるかに強い。加えて釣り人以外の人まで背後に集まってくる。少し大きい魚が釣れると「やんやの喝采である」。それだけならばまだ良い。餌を付けている間に、私の釣っていたテトラが野次馬で占領されてしまう事もある。ふかせ釣りをしているのに竿やリールに触れられたりまでする。振り向くと餌入れや道具入れをまさぐっているではないか。最近になって、誰も悪気があってやっているのではない事がわかった。何事にも興味がありすぎて思わず「手に持って」確認してしまいたくなってしまう人達が多いようだ。釣りに行く度に、近くの釣り人・見物客の視線が集まるのは仕方ないし、主役になったような気分になるので悪い気持ちはしない。当地には製造技術支援のために来ているのに、休日は「釣りの技術支援」までやっていると思えば楽しくなる。いつか、釣り道具屋の親父さんに技術支援のプロポーザルを出そうかとも思う。代償は餌代(5元=75円)で十分だ。
自慢ではないが、よく釣る(釣れるのではないですぞ)のは私だけである。日本から持ちこんだ道具が違う(製造元をよくよく見るとMade
in Chinaかも知れないが)し、釣り方も餌のつけ方まで違う。
当地の人達は、投げ釣り・浮き釣り・サビキ釣りをしているが、根本的に違うことは、仕掛けの大きさである。根掛かりして、仕掛けが切れてしまうことを極端に嫌うために道糸は5号以上と太い。勿論ハリスは細くしているが、サビキ用のものでも2号はあるだろう。50センチの魚でもごぼう抜きが出来そうである。しかも彼らは根掛かりが少ない所、少ない方法で釣りをしているのである。私のふかせ釣りでは、根掛かりは当たり前、糸を切るのは竿の保護のためであり、そのためにリールを使って1.5号を100mも巻いている。時々地球が釣れてしまい、糸を切ってしまう私の姿を見ると、「なんて馬鹿な釣り方」をしているのかと呆れているのかも知れない。地球も釣れるが魚も釣っているぞと言いたい。餌の大きさも違う。彼らは一匹の虫餌をそのまま付ける私の方法とは違い、1/2〜1/3ぐらいに切断して使用する。
考えてみれば、自分は無駄な釣りをしているのかも知れない。日本での釣行でも家に帰るときはたいてい自分が釣った魚はない。中国でもホテルに帰るときは空身である。中国での釣り人の多くも坊主か・小さい魚が数匹であろう。しかし、私だけ仕掛け・餌を取られている。中国人から見ると、馬鹿げた金のかかる釣りのようにも思えるであろう。
釣れても・釣れなくてもきれいな海をみていると気持ちが和む。中国の釣り人は日本の釣り人よりも話しが好きのようだ。言葉がわからないとわかっていても話しかけてくれる。これは日本では考えられない事である。
01/09/06(Fri.)
昨日依頼したメガネを残念ながらキャンセルした。急に帰国することになり、次回の回来が何時になるかわからないから、次回大連に来た時契約すると言うと快く承諾してくれた。例のDoctorおばさんは、またまた老眼鏡越しに大きな目でにらみ付けたが、昨夜のことを覚えていたのか、手をあげて挨拶してくれた。
01/09/06(Thur.)
中国の新装開店の眼鏡屋を冷やかした。やはり愛想がよい。
遠近両用の境目のないメガネを作れる事が判った。ただし、レンズは日本に注文するので、時間がかかり二週間かかるとのことである。
検眼はDoctorと呼ばれる白衣を着た人が行う。検査の内容は日本のものと同じであるが、威張ったDoctorには補助者がついており、補助者にレンズを交換したりメガネを外したりするよう指示する。Doctorは老眼鏡をかけた怖いようなおばさんだったが、30分も付き合っていると私の真似をして「上・下」と日本語を使い出した。Doctorおばさんも遠近両用のメガネを使えばメガネ越しににらまなくても良くなると思い、私のメガネを試に掛けさせたら顔を上下させて「見えない」と言ったようだ。
メガネとフレームを購入することにした。デポジットが1/2以上と言われたが、そのような大金の持ち合わせが無い。何時も持ち歩くのはせいぜい100元(1500円)程度なので、明日持ってくるので、そのとき契約することにした。
01/09/05(Wed.)
私が関係している部門に多数の新入社員が配属されてきた。男性・女性同じ程の比率である。
日本では、新入社員は同じようなスーツを着てまじめそうに縮こまっているが、この地ではまったく異なる。それぞれの衣類・靴・髪型等々個性がある。堂々としている。しかも彼らは生き生きと輝いているのである。
鉄道学院を卒業し、製造現場に配属された新入社員三人と1時間ほど雑談することができた。彼らから、日本の新幹線について質問攻めにあった。さすがに良く知っている。また彼らの学習意欲も旺盛である。先輩諸氏が回りにおることなど気にせずの立ち振る舞いである。
同じ職場に働く彼らの1年先輩は、もう一人立ちして組織の一員としての任務を果しているが、今回の新人三人も私の関与するプロジェクトが終了する頃には立派な技術者になってしまうのであろう。日本での新卒者に比べて、配属された新人が受持つ範囲が小さいからか、一人で業務遂行が出来るようになるまでの時間が短いことには驚かされた。学校で実務的な勉強をしたきたからか?
次世代を担う・意欲のある人達に、一つでも多くの技術を伝えることが出来れば良いと思う。
01/09/04(Tues.)
秋空がきれいになった。新聞では最高気温が26度、最低気温が20度とある。湿度が下がってきたので気持ちよいはずなのにまだ暑いように感じられる。
通りにできる移動式小型商店には、生きた海老・蟹・貝・シャコが売られている。またとうもろこしに代わってイカを焼く店が増えてきた。
先の日曜日には、焼きイカを食べてみた。一本1.5元=20円である。日本のものに比べて同じ醤油味ではあるが塩辛く、からしガまぶしてあるので辛いが結構美味い。 この地方の食事の味付けには「砂糖」を使わないので、当たり前の味であろうが、サツマイモの唐揚は砂糖がまぶしてあるし、西瓜にまで塩の代わりに砂糖がついて来る位だから、醤油と砂糖とみりんをベースしたタレを作り、唐辛子をまぶすと更に美味くなるように思う。
日本式の甘味のある味付けをしたら客が増えるのだろうか?
01/09/03(Mon.)
当地には眼鏡屋が多くある。店の雰囲気は日本のものと似ている。メガネ店は他の多くの店に比べても特異なほどきれいであり、宝石売り場と同程度である。即ち、明るくて/ショウウインドウはガラスばりで/鏡があって/店の奥には検眼室があり/店員も愛想がよい。いかにも高級品を扱っているように見える。
時々冷かしにそれらの店に入ることがある。陳列してあるチタン製フレームは最も高いものでも500元(7500円)、日本の有名メーカー製のコーティングをした最高グレードのレンズでも400元しない。日本で作る価格の半額以下でメガネが作れることになる。しかも店によって更に20〜30%の割引をしてくれるのでかなり安価である。しかし、私のメガネのように、遠近両用で乱視補整が入ったものが作れるのかどうかはわからないし、その価格もわからない。
日本の百円市で買った100円メガネでも十分使えることを考えると、日本のフレームメーカー・レンズメーカー・眼鏡屋さんは、訳もわからないことをお客に説明しながら商品価値があるように見せかけて値段をつりあげているのではないだろうか。なぜ、日本のガラス玉(プラスティック玉)が、中国では1/3以下の価格で売られているの?
アメリカで「Shoeが$○○」という店があった。安いと思って入ったら「Shoesならばその倍の価格」である。日本にはメガネの複数形は無いのにもかかわらず価格だけは複数形即ち倍の値段で売られているように思う。
01/09/02(Sun.)
大連市ではタクシーが安価なのでよく利用している。
すべてのタクシーに、メーターが付いているので安心して乗れると思っていたが、必ずしも安心できないことが最近わかった。
私が中国語が解らない・大連市に不慣れであることをよいことに、迂回して距離を稼がれることが二度もあった。
最初は、一週間前のことであるが、空港からホテルに向かうときである。ホテルの名前を言い・念のためにホテルの名刺を示して「わかったか」と聞くと「わかった」と返事をされた。しかし、途中道路が渋滞しており、迂回路を取ったのはよいが、市の中心部まで案内するほどの遠回りをされてしまい、しかも違うホテルの前まで連れて行かれてしまったのである。私のホテルは違うと言うにもかかわらず名刺で教えたホテルがここだと言っているようだ。大声で文句を言うとしぶしぶ私のホテルまで連れて行ってくれた。
今日はホテルから空港に行くときである。先日の間違いを繰り返さないようにホテルの守衛に行き先を伝えてもらったのにもかかわらず、ホテルを出て最初の交差点を反対側に曲がってしまった。運転手の肩を叩いて「飛行場」と何度も言うと、彼は泳ぐ真似をして「海水浴場?」と言っているようだ。何とかわかってくれ居り返して飛行場に向かうが、またまた途中で違う道に行く。再度方向変換である。こちとらは、飛行場までの道路とタクシー代は熟知しているのだぞ。
いつもは18元前後でくるのに今回は21元とメーターが示している。3元(45円)も遠回りした事になる。タクシーを降りるときには、今回は18元しか払わず、しかも領収証を要求した。勿論お互いに何を言っているのかわからない。タクシー代は納得したが、領収証は発行してくれない。領収証発行の要求は筆談である。言い合いになるが旨く言葉が通じないので結局領収証を貰う事は諦めた。二度共に、非常に若い運転手であった。
01/09/01(Sat..)
大連市では、8/31の夜には市内のサイレンが一斉に長時間鳴り始め、戦闘機が低空を飛び始めたので何事が起きたのか驚いたが、防災訓練の開始の合図であったらしい。そう言えば、市内のあちこちで消防訓練をしているのを見かける。大きなビルを消防車が取り囲み、消防士が走りまわっているし野次馬も多い。
東京の雀荘で火事があり、40人以上の人が死んだと夕方のNHK短波放送で聞いた。防災訓練を模型でなく生きているビルを使って/ダミー人形の代わりに人間を使って/防災訓練をしたのではないかと疑った。日本中には迫力のある実況放送をしたのであろう。
中国での消防訓練の宣伝材料に使われたのかも知れないが、夜になると当地のTVで、日本で発生した雑居ビルの火災のニュースが流れてきた。夕食を終えると、当ホテルの従業員が「麻雀荘の火事」があったと伝えてきた。「日本では生きた人間を使って消防訓練をしているぞ」と言ったかどうかは中国語がわからないので不明である。