2001年度へ 徒然日記

2001年 1月
01/01/30
 面白い話を聞いた。昭和前半に生れた人達は、子供のころ有害物質を食していないために現代っ子よりも体質的に強いと言う話である。今は、ほとんどの食物に添加物が入っている。それだけではなく遺伝子組替えがされた食物まで口にしている可能性すらある。それが起因して現代の人達は、精神的にも肉体的にも弱くなっていると言う。

 確かに、牛乳やミンチの肉でもおかしいものがある。安いものを買ってきて我が家の「お犬様」に提供すると一口も食べない時がある。四頭共に食べないので好みや空腹の問題ではない。何か人間には感知できないものが混入しているのであろう。恐ろしいことである。何も芸が出来ない「我が家のお犬様」に「毒見の仕事」をお願いすると良いのかも知れない。

 以前に、「期限切れ」と「骨董価値」を記したが、昭和前期生れの人間の身体に骨董価値が見出せるのではないかと考えた次第である。負け惜しみか?


01/01/28
 時々CQを出しているが、最近は空振りが多いし、また交信件数も少ない。そう言う自分も「声」を出す回数と時間が減っているので、他の無線家もそう思っていることであろう。430mhz・FMで一時間に57局/SSBでは三十分に28局のパイルは遠い昔の話になってしまった。

 携帯電話とインターネットが盛んになったために「アマチュア無線」が寂れたのであろうが、アマチュア無線には他の物には無い楽しみがあるのは事実であり、大切に維持しなれればならない趣味と考えている。
 CQを出す事によって、不特定の人との交信が出来る。それが最初で最後の交信になる事も有り、長く付き合う人となる場合もある。時にはずっと後になつて仕事の上で近い関係の人と判った人もある。無線は、時/場所/タイミングで「意外」なめぐり合わせに出会う事が多い。

 無線のおかげでいろいろな人とめぐり合った。90歳になった事を記念してパソコンを買った人などは特異中の一人であるが、長く繋がっていないがお元気しているだろうか。繋がるたびに「毎日が日曜日、無線が仕事」と言う人・知らない土地で夜中に釣り場まで誘導してくれた人・山の上で声を出すと決まって山の上から声をかけてくれた人・パソコントラブルの処理のためにわざわざ遠くからきてくれた人等々書き出したら限りなくなる。一人一人が私にとっては大切な思いでの人である。財産である。
 昔、北海道に出張に行った時に札幌のホテルでCQを出したことがある。私のCQには誰も応答してくれなかったが、メインでCQが出ていたので応答した。CQは藤枝市の知人のものである。お互いにPortable/8で交信したが、お互いに「まさか」の驚きであった。しかもお互いのホテルは30mも離れていなかったが、夜半を過ぎていたのでアイポールは出来なかったのは残念。このような事は携帯電話やインターネットでは考えられない。

01/01/26
 久しぶりの連続的な雨。
 英会話教室に通っている。10時間コースであるが「駅前何とかの学校」でないので時間当たりの費用は極めて安い。そのためではないが、終了しても、心臓だけが益々強くなるだろうが、聞き取りと話す事は強くならないであろうことが保証できそうである。それは、予習・復習が少ないに加えて記憶力のなさには自信があるからである。参考に、英会話教室の一人3分程度のスピーチを記載しておく。

 私の英語は『2度しゃべると少し理解できる」と言われている。最初は、知っている数少ない英単語を日本語式に並べて言ってしまう。すなわち(Today is fine is'nt it?)である。言いながら自分でおかしい事がわかるので(It is fine 。。。)と言いなおす。そうすれば何とか相手はわかってくれる。しかもNobemberも Novenberも区別はない。一度口にしてから、自分の耳で聞いてから訂正するから始末が悪い。このような状態にもかかわらず、一人で海外旅行もするし、米国では慣れない土地でレンタカーを借りて乗っていた。電話もかけている。しかし十分に自信を持つて会話をしていたわけではない。自分勝手に聞き取り・自分勝手に言っていただけであり、わからない事は「聞かなかった事・言わなかった事」にしていただけである。よくもまあここまで心臓が出来たと自分なりに感心している。
 まだ遅くはない(自分ではそう思っている)ので、今のうちに少しでも英語力をつけようと頑張っている。米国等の友人と「文通すなわちE−mailのやりとり」をしているのも、英語力の維持にはなる。

 日本の大病院の院長さんは、オーストラリア人の英語を聞くとどう感じるのだろう。
 I came to hospital today. が I came to hospital to die.と聞けるから、院長は「こいつ、医療ミスを心配して嫌味を言っているな」と理解するのではないだろうか。一度試してみたいものだ。


01/01/23
 3週間ほど鳳来町に滞在していた二代目・三代目の柴犬が豊川に戻り、久しぶりに4頭が豊川の自宅に揃った。戻ってきた2頭は、見違えるほどに太り、また活気に満ちている。
 鳳来町では、寒さに耐えるために2倍ほどの食事を食べ、しかも野山を自由に駆けていたので、豊川での「町の生活」をしていた者とは差が出るのは当たり前であろう。
 人間も同じだ。ヒドンピットエーテルを存分に吸い、自然の中で好きなことをしておれば、身体は健康になり、精神的にも落ちつく。


01/01/22
 だいぶ日が長くなってきた。1日の長さで見ればたった20分程度であろうが、ずいぶん長くなったように思える。
 今年は、どうしたのかメジロがあまり来ない。あと2週間もすれば、雲雀のさえずりが聞けるかも知れない。

01/01/20
 TV番組「舞の海先生のヒマラヤがちんこ教室」を見た。ブータン国の小学生と次第に親密になっていく過程である。面白かった。子供達を見ていると、今、日本で失われてしまったものを改めて考えさせる番組だった。そして、特に第二次終戦後に挙国一致して築いてきた物質文化以外にも必要な事があると教えている番組だった。
 ブータンの子供達の顔は日本人と同じである。カザフ人もモンゴル人も同じモンゴロイドである。幾世代もさかのぼれば近所付き合いをしていた人なのである。国が違っても根本の文化は同じであっても不思議ではない。

 今のTV番組では、ドキュメンタリーに見せながら「やらせ」が多い。たとえば、なぜ前人未踏の場所に入るタレントの映像が全面から撮られているの/なぜ未開の人種がTV撮影されるの/ケニアのマサイ族は昔ながらの文化と近代文化が同居しているよ/等々疑問を持ちながら「ストーリ」を読むと、事実が解らなくなってしまう。視聴者は、ドキュメンタリー番組だから正しい事実が正しく放映されていると信じているにも拘らず、それがなされていないわけであるから、視聴者はだまされたことになる。即ち、TV局は視聴率を稼ぐために視聴者をだましていることになる。
 多くのドキュメンタリーやニュースに「この番組には事実と異なるところがあります/事実とは異なったことも追加してあります」との注記が必要ではないか。そうすれば視聴者はその気になってTVが見れるようになる。


01/01/18
 北陸地方は大雪とのこと。私が金沢にいた時(昭和38年)、雪が1週間ほど降り続き、215センチほども積もった事がある。屋根から雪降ろしした雪が路地にたまり、街灯が足元で点灯していた。もちろん交通機関はマヒし、バスあるいは路面電車で通学も出来なかった期間が1ヶ月も続いた。私が住む豊川市での豪雪は25センチぐらいの経験があるが、この地方での25センチは大変な事である。交通はもちろん会社での構内輸送も麻痺してしまったが、おかげで近くの公園でスキーを楽しむ事が出来た。今では豊川に住んで一度だけ経験した楽しい思い出ともなっている。
 私の山小屋は、雪が降らない事を前提に、テラスと風呂場の屋根を作った。即ち、たった1/10の勾配で屋根を作り、ビニール波板と農業用ビニールシートで覆ってあるので、ベタ雪が20センチも積もれば、屋根は破れてしまうであろう。この点でも、雪の降らない所のメリットはある。


01/01/17
 神戸に住むいとこの家が震災で崩壊したので避難所に見舞に行ったのは二月の始めだったと思う。
芦屋まで鉄道が通じていた。バスで兵庫駅まで行き、あとは鷹取まで歩いた。神戸から鷹取までは、道路に崩壊した建物が倒れており、まともに歩けなかった。鷹取では、殆どの建物が焼失し、しかも黒く炭化したところがないほど完全燃焼していたのには驚いた。カメラを持参したが、なぜか二三枚の写真しか撮ることが出来なかった。

 避難所では、おばあさんが、「これで2度も嫌な事があった。1度目は第二次大戦・2度目は今回の地震。私がなぜ生き残ったの。即死の娘に代わりたかった」と言われた。今でもおばあさんの顔が思い出される。

 私も、第二次大戦のときは兵庫駅の近くに住んでいた。そして米国による空爆で家を焼かれた。父親の故郷の福井県に疎開してそのまま福井県に住みついたのであるが、就職する時に、神戸のある会社に勤めようとした事がある。そのとき神戸のいとこは「その会社は良くないよ」と言ってくれたので、願書は今勤めている会社に出してしまった。

 もし、神戸に住んでいたならば、私も2度も家が焼けていたかも知れない。しかもいとこの奥さんのように、倒れた柱の下敷きになつて、即死していたかも知れない。何が幸いで・何が不幸かわからない。 


01/01/15
 今朝は、今冬一番の寒さだった。
 例年は12月に太陽熱温水器の何処かが凍り、お湯が落ちて来ないようになったが、今年は1月15日になって始めて凍結した。だいぶ暖冬だったようだ。
 
 太陽熱温水器を設置してからもう20年も経過している。途中一度修理しただけである。設置する時には、7〜8年間使えれば償却できると計算した記憶があり、既に初期投資は回収できているはずだ。風呂場の改装時に、ガス屋さんに衛生上から反対されたが、温水器からガス湯沸器を経由して
台所と洗面およびバスタブへの導湯も今のところは衛生面で不具合はないようだ。
  
 屋根上に温水器を設置することに対して、家の強度・台風等の被害・衛生面での不安等が指摘され、賛否両論があるが、少なくとも我が家では何も問題となっておらず、省エネに貢献していることは間違い無い。

 ソーラ発電も結構だが、ソーラー発電温水器は無いのだろうか。高価な蓄電器や温水器用の配管も不用である。ソーラ発電機から引いた線の先にヒーターを、水の入った蓄熱漕に挿しておくだけで良い。 近いうちに、太陽から来る光エネルギーと熱エネルギーの大きさ比較をしたい。

01/01/14
 今日は粗大ゴミを捨てる日なので、日ごろから貯まっていたものをワゴン車に積んで捨てに行った。広場にはTV・洗濯機・ストーブ等を始めとして机・ベッド・家具など、まだまだ使えそうなものが捨てられている。中には、我が家の家具よりもはるかに綺麗な物まで捨ててある。粗大ゴミの中を物色していたら、ゴルフクラブがあったのでウッドを三本拾って来た。
 
 おかげでまた自己流・山中/ゴルフレッスンが出来るようになった。昔、キャディをしていた知人からスーパーの買い物篭に二杯ものゴルフボールとクラブをもらい、山小屋でゴルフを楽しんでいた事があつた。その時もらったクラブはチタン製ではなかったが、地球を耕しヘッドが割れてしまったので、それ以来、ゴルフレッスンはやっていない。
 山中とは文字通り山中である。対面のヒノキ林の斜面に向かって思いきりスイングをする。うまく150ヤード以上飛べばヒノキ林の中にボールは落ちる。それ以下では、途中の畑に落ちるか、手前の小川に落ちてしまう。ボールがなくなっても良い。何しろボールは一度に打ち切れないほどもあった。土手に落ちたものは草刈時に拾えば良い。畑に落ちたものは耕運機で耕すときに出てくるだろう。山の中で不明になったものはイノシシの玩具として進呈しよう。栗拾いの時にボールも拾えば良い。去るものは追わずだ。籠が空になると、その辺りを一周しボールを集めて来てくる。おかげでストレス解消と運動不足解消が出来た。

 ゴルフは三十年も前にやめ/誰にも師事したことの無い滅茶苦茶な打ち方なのでボールは何処に飛ぶかはわからず、勝って気ままにボールは飛んで行った。しかし、今の時期になるとロストボールは捜しやすくなり、大部分のボールが買い物篭に戻って来る。以外にロストボールは少ない。

01/01/12
 日にちの感覚がなくなくなつてしまったようだ。これはボケの始まりである。また、背骨にまでガタが来た。
腰が少しおかしいので、整形外科に診察してもらった。レントゲンを三枚も取り、背骨を調べると背骨のつなぎ目に「へたり」が出始めているとのこと。そのへたりが悪さして、姿勢を変えようとする時に腰痛がおきると言われた。今のように机にしばらく座っていてたちあがるときに鈍痛を感じるのであるが、これは歳のせいでもあるらしい。腰痛は他の理由から来ていないようなので気分的には楽にはなった。

 若いトレーナーに腰痛防止体操を教えてもらった。そのとき、お世辞ではあろうが「まだ若いですね」と言われ、その時は非常に気を良くした。彼が若いと言ったのは、「年齢」なのか「年齢に比較して患者の体の柔軟さ」があるだったのか確認すべきであったと帰宅して気づいた。他の患者に比べて、自分の年齢は間違いなく若かった。彼が、他の患者に比べて「年齢的に若い」と言ったとすれば、同時に「若いのに腰痛とは大変ですね」とも言いたかったはずである。言葉は良く聞かないととんでもない事になる。

 彼には毎日リハビリに通うように指導されたが、残念ながら私の保険証の「勤務先」は自宅ではなく、れっきとした企業名が記入されており、毎日通わなくてはならないのは会社であり、医者に毎日通えるような身分ではない。また医療費も不当と思われるほど高額である。他の患者のほとんどは「自宅が勤務先即ち在宅勤務」であり、通院が「日課」の様でもあるように見える。しかも治療費は私が払うよりも大分少ない。電気治療を受けているベッドでいびきをかいている人達までいる。うらやましい限りである。
 
 その仲間に入れて頂けるような身分になるのも、そう遠くは無い。仲間に入れてもらいリハビリで1日が暮れるのも悪くは無いように思えた。待合室でコーヒーサービスがあればもつともつと毎日が楽しくなるのに。

01/01/10
 Emailは、手書きの手紙に変わるものとして非常に便利なものである。しかも一瞬のうちに地球の彼方にまで配送される。しかし手紙の中身を改ざんして転送する事も可能であり、便利な反面、凶器にもなる。友人や自分のEmailが、凶器として使われた事例を、またまた、思い出してしまった。

 Emailは内容にも依ろうが、差出人の許可無しで転送することは絶対にあってはならない。それは常識である。ホームページに書かれた文章とEmail文章を同じレベルで考え、処理している人に出会うと悲しくなってしまう。Emaiは一般のmailとは送り方が違うが親書であることには変わりが無い。Emailという手段を使って個人に送った「親書」を、勝手に、第三者に転送したり・コピーして配るような人は何を考えているのだろう。ましてや、それが差出人にとって不利なことになった場合は、どのように差出人に申し開きをするのであろうか。

 電子情報は「修正して使える」ことにメリットがある。それをすばやく出来る人が「パソコンを使える人・能率の上がる人・優秀な人」などともてはやされることがある。しかし「著作権」はどうなるのだろう。手書きの文章時代は悪筆の特徴から著作者を判断する事が出来たが、電子データの再利用では著作権侵害をしていることを第三者は知る事が出来なくなった。

 電子情報化された他人の書類を勝手に改ざん・修正をして使う場合は、せめて間違った文字・言葉を訂正して使って欲しいものだ。それぐらいの「礼儀」と「貞操観念」は欲しい。

01/01/09
 昨晩、今朝の月はすごくきれいだった。

01/01/07
 我が家には四頭の柴犬がいる。長老の「ユリ」は昭和61年生れだから15年生きた事になる。人間で言うと100歳くらいだろう。

 この犬の祖先には名犬が多く、由緒正しい犬であると共に、彼女等の子供達が全国一や地方大会で良い成績をとったものも多い。血統書、コンテスト出品の記録、専門紙等を探ると、前後で20世代ほどの家系を探ることが出来るほどの犬である。我が家の他の3頭は「ユリ」の子供と孫達であるがあらゆる点で「ユリ」にはなれない。
 昨年秋になってユリが突然立てなくなり、1週間ほど何も食べない状態が続いたが、見事回復し、今では、少し動作はおかしいが庭を走り回る事ができるようになった。しかし、昔のような威厳・気力・美しさは無くなってしまい、物忘れが激しい・汚い老犬として、自分の子供・孫にまで疎まれ、隅に追いやせれるような存在になってしまった。かわいそうな状態である。食べても食べてもまだ空腹らしく、と言うよりも先ほど食べたことを忘れる様だが、ガツガツ食べ、そのスピードは他の犬の3倍くらいにまで早くなった。自分のものを食べ終わると他のものを取ろうとする。それで余計に他の犬達に邪魔者扱いされるようになってしまった。そんな状態にもかかわらず、体が濡れた子供や孫たちに対しては、ペロペロなめて水分を取ってやっているのには感心する。自分の体が動かなくなっても・邪険にされても親としての気持ちは持ちつづけており、子供を労わることは、以前と変わりない。排便は決して犬小屋の中ではしないで、歩けないような状態の時でもちゃんと外に出て庭の隅にしている。そのために、必ず1度か2度は夜中に小屋からおき出しているようだ。

 我が家の「犬」には教えられる事が多い。

01/01/06
 毎日、我が家庭風呂で温泉気分を味わっている。日替わりで、草津の湯・霧島の湯・別府の湯等々日本国中の温泉に行った気分になれる。

 しかし、「温泉の元」の成分はどの「袋」を読んでも同じであり、効能も疲労回復・神経痛・リユウマチ・肩こり・冷え性と同じである。だが、薬用入浴材を入れた湯につかり、「袋」の絵を眺めていると、不思議にその温泉に入ったような気分になり、効能もある様に思えるから面白い。いとも容易にかつ安価に全国の温泉めぐりをしている気分になってしまうので楽しくなる。幸か不幸か自分の良く知っている「近場温泉」の薬用入浴材は見た事がない。

 インタネットでも、あっと言う間に、世界に飛び出し、その地方に行つたような気分になる。しかし、これはバーチャルの世界であり、温泉気分とは大きく異なる。正月のTV番組で、その改善のために、たとえば匂いの出る仕組みを開発しているとあったが、バラの香りならば良い。森林のヒドンピットエーテルが流れるのは更に良い。食べ物の匂いは不用である。なぜならば、焼き鳥や蒲焼の匂いは空腹が満たされないだけでなく空腹感の増大になるから、食事制限の必要な者にとっては、逆に罪作りとなってしまう。霞を食べるのは糖尿病になりかけの者にとっては悪くないが、ますます本物が食べたくなってしまい、逆効果になるからである。食べなくても食べたような気分にさせる仕組みも同時開発して欲しい。

01/01/05
 1月5日中日新聞から     企業トップ年頭訓示集  見出しは「
発展 自ら創造せよ」である。

 新聞記事からキーワードを抽出し、自己流に整理した。
    ★時代の変化/環境/社会/グローバゼーション
    ★企業の存続/合併/事業戦略/企業の方向性/長期債務/経営体質
    ★創業の年/起業家精神/創造/チャレンジ/努力/気概/脱皮
    ★システム/IT革命/技術革新
    ★販売力/成長/安さ/品質
    ★心のふれあい/楽しさ演出
 整理したキーワード群の中から、自分なりにキーワードを抽出あるいは新しいキーワードを作り、再度整理すると、
    ▲急速なグローバル化
    ▲企業存続のための戦略と方向付け
    ▲創造
    ▲技術革新
    ▲差別化
    ▲働き甲斐
 となるのではないでしょうか。皆さんはどのように整理しますか?また短文を作るとどうなりますか?

 今日の日記は、技術屋の性からか、「管理技法」を使った展開になってしまいました。  

01/01/03
 観音山に登った。西方面は所々青空が広がっているが、山頂は強風と時折雪が舞うような気象であった。山頂で1時間余りで22局と無線交信したが、寒くなり下山した。
 自転車では、家から40分で財賀寺に到着する。財賀寺まではほとんどが登り道なので、あえぎながら懸命に自転車をこぐ自分を見て、通り過ぎる自動車の人は怪訝な顔をして通りすぎる。 この寒いのに、厚着と手袋をしたいい歳したじいさんが、荷籠に荷物を積んで、しかも杖らしきものを自転車に縛って。。。仁王様に自転車を預けて山道を歩くと40分で山頂に到着する。上り口の標識には山頂まで20分と書いてあるが、どのルートをたどっても走らない限り20分では無理であろう。

 子供が小さい頃、途中の道路沿いの小川には魚釣りによく来た。梅雨明け時には蛍が乱舞していた。子供と親の格好の遊び場だったが、今は小川が整備され・コンクリートで固められてしまった。魚が釣れるような感じがしない。蛍の乱舞についてはわからない。
 観音山に至る登り道も整備されたが、山頂近辺は落葉樹が伐採され、その代わりヒノキの植えられた。あと数年もすると、ヒノキが伸びて山頂からの三河湾・豊川・豊橋の展望は無くなってしまう。さらに十年もすると山頂には森が出来てしまうであろう。私のアンテナを固定する西方面に抜群であったロケーションがヒノキの成長と共にダメになつてしまった。手入れをする人もいない時代に、なぜヒノキを山の全面に植林してしまったのだろう。

 上流の自然破壊の結果であろうが、我が家の近くの小川は、雨が降れば直ちに増水し、雨が少なくなると小川が干上がりそうになる。これでは生態系が変わってしまっても仕方が無い。誰にクレームをつけたら良いのだろうか。

01/01/02
 財賀寺に初詣に行った。そのあと観音山に登ろうと、ハイキングの出来る支度をして出かけたが、途中で雨が降り出したので急遽取り止めた。天候のせいかどうかはわからないが、参詣にくる人は昨年よりも少ないようだ。財賀寺は学問の神様 菅原道真が祭ってあり、入学祈願のための参詣者が多く、いつもは祈願の幟が参道に並ぶが、これも少ない。少子化の影響だろうか?


01/01/01
 初詣は近くの伊知多神社へ。空がきれいだった。北斗七星・オリオン・スバルなど多くの星がきらめいていた。初日の出を迎えるために、「もも」を連れて赤塚山に登った。
 今年は良い年になりそうである。
 今年も、正月に年賀状を書く事になってしまった。

豊川市市田町赤塚山からの初日の出


2001年元旦の抱負
 新世紀が始まった。とは言え、自分が動かなければ、自分も・世界も変わらない。変えるためには、言葉だけではだめだ。行動が必要だ。
 何でも良いではないか。行動すればすべてが始まる。1歩づつでも良い。前進しよう。