2000年12月 00/12/31
いよいよ20世紀が終わり、21世紀が始まろうとしている。
私にとっては世紀が変わる事はどれほど意味があるのかわからないが、いずれにしろ新しい年代が始まろうとしており、同時に自分も変わらねばならない時期になっているのは事実。
今年はいろいろあった。それほど良くも無く/悪くも無く、普通の年であったように思えるが、短く感じられる1年であった。
残念だが、年末宝くじは当たらなかった。世の中にはそう旨い話はないと言う事だ。
来年は、新規一転、新しい事をはじめたい/はじめれる年にしたいと思う。
皆さん、今年は大変お世話になりありがとうございました。
00/12/30
徒然日記をフレームページを使って整理できるようにした。
しかも、当日のトピックス等の記録を残せればと細工をしたが、これも自己満足の域をでない様にも思える。削除するのは簡単だからしばらく様子を見る事にする。
あとは、CGIが残っているが、どうしてもわからない。来年になったら再挑戦することとする。
00/12/29
不規則な生活をしていると、今日が何日か/何曜日なのかわからなくなってしまう。
今朝は、愛妻に「骨董品ならば価値が出るものもある」といわれた。私は日ごろ「賞味期限」と言う言葉をよく使っているが、賞味期限が切れたものでも、大切にしておくと骨董的価値が上がるものは何かと考えたが、なかなか思いつかない。勿論自分は、骨董品になればなるほど価値は下がる。
今から年末にかけて大掃除。何処の家庭も日ごろ出来なかった部分の整理と大掃除が行われるのであろうが、要らなくなったものを捨てるのか/残すのか/再活用するのかは思案のしどころとなろう。
更に愛妻は追加した。「最近は粗大ゴミを処理するにも有料になった」と。こうなると愚妻と言いたくなる。
年に数回ある「粗大ゴミの日」には、捨てる人あれば拾う人もある。ずっと前の事であるが、粗大ゴミとして捨てた子供の自転車が、その数年後に、他の市で放置されていると警察から連絡があった。防犯登録から持ち主を探したら我が家にたどり着いたらしい。捨てたときには修理しないと乗れない状態であったので、誰かが修理してそれまで使っていたのだろう。ありがたい話である。
00/12/28
北陸からこちらに出て来て、もう、36年になろうとしている。昔の北陸地方では、冬になると雪が降り積もるのが当たり前だった。子供のころ、雪の日は長靴を履きマントをかぶって通学した記憶や、父に作ってもらった竹スキーで遊んだり、ウサギのわなを仕掛けに行った記憶がある。冬季には乾燥したグラウンドは無く、そこは雪で覆われていた。ビショビショになって遊んだ記憶ばかりだ。
冬場の気象が嫌で表日本に出てきたのだが、まず表日本で驚いた事は、冬になっても雪が降らず・しかもグラウンドが使えることである。中京商業は野球が強いはずだ。冬でもグラウンドが使えるのだから。また、傘が要らないことにも驚いた。入社して数年は自分の傘を持たなかった。
私の故郷の福井県では「弁当忘れても傘忘れるな」ということわざがあるという事を表日本に出てから教えられた。冬季の長靴と傘は当たり前で意識することではない。習慣として自然に身についており、ことわざではない。表日本で生活するようになって、同じ日本なのに、天候まで不公平だと思った次第である。
多くの人は北陸地方の民家は必ずしも南面に窓を大きく設けているわけではないことを知っていると思う。知らない道を歩いていて瞬間的に方向を当てることが出来る人もいるのに、私の南北感覚は極めて悪い。太陽を見て、そして考えないと南北が判断できない。私の方向感覚が悪いのは、北陸の天候と関係あるのではないかと思う。今の時期になると、快晴の空がたった10分間で真っ暗な空に変わるのであるから、太陽の位置など気にはしておられないし、太陽そのものまで気にならない。その地方で生活をした者でないと、北陸の天候は何も語れないであろう。
毎年正月が来る度に、帰省しようどうしようかと思案する。昔は、雪に閉じ込められると大変だからと行かない理由に出来たが、最近は降雪がないので、それが行かない理由にならなくなってしまった。理由は、家から離れるのが億劫になってしまったことにある。今度の正月も表日本で正月をすごす事となりそうである。
毎年正月に年賀状を書く事にしているので、正月は家を離れる事が出来ませんと正直に言っておこう。
00/12/27
朝の通勤電車はガラガラ。いつもこのような状態ならば、陣取り合戦のために神経は使わず、また国府から座れるので疲れない。(しかし名古屋駅ホームはいつもと同じ程混雑していたようだ)
00/12/26
宝くじの一等が当たることを確信して、前借りして、スキャナーを買ってきた。クレジットカードは便利だ。
付属のドライバソフトを我がP/Cにインストールしようとするために、取り説を読んだ。取り説には私が知っている(通常やっている)手順とは違うことが書いてあるので、取り説通りの手順でインストールし始めたら「○○がインストールしてありませんので、このままではスキャナーが使えません」とメッセージが出てしまった。
何度やっても同じメッセージが出るので困り果てて、購入したパソコンショップにスキャナーとP/Cを持ちこんだ。その店の技術者は親切に対応してくれ無事インストールできた。我がP/Cには、他社のものには付いていないプロテクト回路があり、私の知らないうちにそれが自動的にかかっていたとのことである。恐らく12/03にPCをハードリセットした時におかしくなつたのだろう。プロテクトをはずす方法については何処に書いてあるの?。P/Cメーカーの顧客サーピスの積もりが逆に出た事例である。
いざというとき(もちろん夜逃げもそのうちの一つ)に移動できることが出来るのは「ノート形」に限りますね。
00/12/25
今年の年末宝くじ券を十枚買ったのを思い出した。しかし、券の入った袋をどこにしまったのか忘れてしまった。連番なので一等だけでなく、その前後賞まで間違い無く貰えるものと信じているので、目つきを変えて真剣に探した。
我が愛妻いわく、「お父さん、久しぶりに真剣な目つきになったね。当たらない宝くじよりも、他に探すものあるでしょう」です。
頭に来た賞味期限切れ近くの本人は「そりゃそうだ。独身時代に、これほど真剣に探しておれば、もっと良い嫁さんに・・」です。
出てきた宝くじが、一等賞に当たったら、まずCD/RWを買おう。良いスキャナーを買おう。パソコンとカメラは持っている。そうだ/電話回線をISDNに変え、インターネットも24時間契約しよう。そうすれば文句は言われない。我が家はかろうじて無借金経営だから、まだまだ浪費は出来そうだ。
いっそのこと、仕事は辞めてしまおうか。でも世間体が悪いので、その場合は在宅勤務といっておこう。
00/12/24
我が家の庭木の神米木にノバトが巣を作り住みついている。少し前に、そのノバトの片割れが家の猟犬につかまり死んでしまった。ノバトはしばらくチョンガー生活をしていたようだが、すぐに新しい伴侶を見つけてきたようで、小さな巣に二羽がくっついて休んでいる。ノバトの社会でも片割れが死んだら新しい伴侶を見つけることが出来る仕組みがあるようだ。今はやりのインタネットがある訳でもないのに、どのようにして相手を見つけるのだろう。しゃべれるのだろうか。
'00/12/23
私がパソコンなるものをはじめて購入したときは40歳の時であったので、ずいぶん前の話である。昨今のアップルのデスクトップが買えるほどの価格であった。1台目では、簡単なゲームのプログラムを入力した(もちろん本のコピーであるが所々自作もできた)。
2台目がPC8800で、これを使って日本語入力の練習をした。そのとき購入のワープロソフトは五万円近かったと記憶がある。すぐに嫌になり、今度はエプソンの286を買った。このパソコンを使ってアマチュア無線でのパケット通信が出来るようになった。通信ソフトは、パソコンマニュアルをひも解いて苦労して自作した。その後インターネット用通信ソフト(マイトーク)を入手し、インターネットでは使わずパケット通信用ソフトとして使った。今もなおパケット用として、無線専用に使っているパソコンには入れている。
最近のソフトは、たとえばエクセルソフトを使えばグラフは簡単に出来てしまうので、昔覚えたことは使う必要が無くなり完全に忘れてしまったが、今はホームページが自作出来るようになった。しかしながら自分のパソコンについてのレベルが昔に比べ上がっているのかどうかはわからない。しかもどのような状態になることがレベルアップと言うのかもわからない。
今はっきり言えることは、ハードとソフトの変わり行くスピードについて行けないということであり、いろいろコンピューター知識のある人が社会的に(異常と思えるほど)優遇されていることである。
以来、何台もパソコンを買っているが、そのたびに、徹底的にVEされていることに感心する。同時に、プリ・インストールされている使いもしない/いらないようなソフトも増大しているのにはあきれる。
私の机上ではDos機も使っている。このDos機は今では無線関係の専用機としての活用であるが、カバーを開くと数秒で立ち上げることが出来るし、交信記録をとるスピードも早い。それに比べてPentiumV500mhzの立ち上げと動きの遅いこと。ウサギとナメクジの差である。これでは私のニーズには合わない。遅いのは要らないソフトのせいであろう。
プリインストールされているソフトを無くし、ハードだけで売り出せば、PCの本体価格は約40%位下がるのではないか。十万円のパソコンが六万円で、二十万円のものが12,3万円で入手出来る。たしか米国ではそれ位で買えたような記憶がある。ウインドウズ95、エクセル、ワードソフト、画像処理ソフト等々は、「先のパソコン」の物を使えば良い。必要ならばバージョンアップの処理をすれば良い。 I/Eはフリーソフトである。私にはゲームソフトはいらない。なぜ接続もしない他のプロバイダー情報が入れてある?。プリインストールされている翻訳ソフトは使おうとしても使えないほどレベルが低いことをメーカーは知らないのだろうか。これは私のホームページが恥ずかしいレベルにあるにもかかわらず、公開しながら順次グーレードアップしようと言うこととよりも質が悪い。なぜならば私のホームページは「誰からもお金をもらっていない」から、だれも損をする人はいないはずである。
それにつけても内閣総理大臣はすごい。つい先日TVで「パソコン練習」をはじめたといい始めたと思ったら、今は、次のステップのコマーシャルに出ている。
この調子で進むと、二、三年後には、先進国である?日本国のサラリーマンは「IT革命」に成功して、在宅勤務で仕事が出来るように思えてきた。
実は自宅待機の年金生活であったりして・・・・・。 両者共に自宅勤務よりも在宅勤務とした方が聞こえがよい。
'00/12/22
今日は金曜日。朝の通勤電車の乗客の顔ぶれがいつもと違う。岡崎や新安城で下車する人がいつもの場所に一人もいない。今日は国府から新名古屋まで立ちんぼうとあきらめていた。
このような時には岡崎で降りそうな人の横に立つのだが、今日は勘が当たり、彼は幸いにも岡崎で下車してくれたので上手く座れた。国府駅と電車の中で行ういつもの紳士面した人達との間の熾烈な「陣取り合戦」に勝つことが出来た。ばかげたことであるが、毎日の運勢のように思えるので、単調な通勤電車の中の楽しみの一つとしている。しかし、本日は相反して、それほど良い日ではなかった。
'00/12/21
所かまわず地べたに座っている人を「地べたりあん」というらしいが、最近では地べたりあんが、朝の通勤電車の中にも目立つ様になった。しかも、ルーズソックスとミニスカートを身に着けたかわいい高校生である。加えて彼女達は、あぐらをかいて懸命にお化粧をしている。あまりにもお化粧に気をとられ、冷たいことを感じないようだ。
アメリカにも「地べたりあん」はいる。しかし決まって彼ら(彼女ら)はジーパンをはいており、通路あるいは電車の出入り口には座っているわけではない。たいてい絨毯・芝生・車止め・側溝などの上である。また普通の人達は普段お化粧はしていない場合が多い。ましてや公衆の面前で堂々と「ぺたぺた」しているのを見たことも無い。
日本の若者が今のような季節に(冷たい)地べたにお尻をつけている姿をみると、病気で座り込んでしまったのではないかと疑ってしまう。名古屋駅構内には、どちらかというと中年以上の・何ヶ月も入浴しいなで黒くお化粧した・破れた靴下をはいて・新聞をしいて寝ている人は昔ほど見れなくなったが、その代わり、若いひとで・毎朝シャンプーをして髪を茶に染め・ゴムの切れた靴下をはいて・地べたに直接座っている人が増えた。
不思議な時代になったと感じるのは、私だけだろうか?
’00/12/19
誰かの真似をして日記なるFILEを作り、下手な文章を公開し始めて、すでに一ヶ月近くになった。
今はどんどん追加していけば良いのだろうが、月毎・年毎に整理しておく必要がありそうである。どこかで、フレームを三つに分けた「日記」をつけている人がいた。上手い整理方法の一つである。
生産現場では「5S」という言葉がある。整理・整頓・清掃・清潔・躾のトップレターのSを取ったものだが整理の基本は「捨てること」とも言われている。このような日記の捨てる基準は何にしたら良いのだろう。
出来れば公のニュースなどとリンクできればベストだろう。そうすれば、今年の十大ニュースなどを選ぶにも便利が良い。さらにこの十年間の重大ニュースを選ぶことも出来る。しかし益々「捨てること」が出来なくなってしまう。
'00/12/16
久しぶりに山の中を歩いた。私の言う山の中とは、それこそ道の無い山の中である。
今年はイノシシが山中・田んぼ等を走り回っているだけでなく、いたるところを掘り返している。
この時期になると、大半の紅葉した葉が落ちた代わりに木の実が目立つので山歩きも楽しい。実が色づくずっと前には間違い無く美しい花が咲いており観察したはずであるが、残念ながら、にわか仕込みの山野草愛好者の私には、花と葉っぱと実が一致する植物はほとんど無い。春あるいは夏に、どんな花が咲き、途中の実の色がどう推移したのかを思い出せないのである。
来年からは、「花」と「葉っぱ」と「実」を記録しようと思う。この山を一周するとアルバムはあっと言う間にいっぱいになってしまいそうである。
'00/12/15
掲示板あるいは伝言板なるものを組み込もうとするが、その方法がわからない。無料掲示サイトがあるとのことで、おのおの接続して確認するが、接続時間と回数だけが増加するだけ。頑張れば頑張るほど電話会社とプロバイダーおよびコンピューター関連図書メーカーを儲けさせることになる。
パソコンとインターネットを難しくしている一番の問題は、ハード・ソフトのメーカーによって、同じ内容を違う言葉で表現することがあることと、それに加えてプロバイダー毎の言い方がしてあると言うことではないかと思う。
数式としては (ハード)×{(ソフト)+(バージョン)}×(プロバイダー)となる。答えは天文学的な数字となる。わからないのは当たり前。
たとえばインターネット接続設定をするに当たり、ハード/ソフト/プロバイダーによって、ある特定のことを言うのにどのような単語(言葉)が使われているのか整理して一覧表にすると面白い。パスワード・アカウント・アドレス・ユーザー名・URL・認証番号・認証IDなどどうなっているのかわかりません。
「パスワード」と「メールパスワード」は同じ単語/それとも違う単語/あるいは使い分けする単語?
どんどんはまって行って、さらに上のレベルになるか、あきらめてコンピューターアレルギーの人になるかの違いは、タイムリーに聞けるか聞けないかではないのだろうか。
私には、今まで救急隊がいたから幸せだった。しかもいやな顔をせずに、懇切丁寧に、私が理解出来るまで教えてくれた。今でもわからないことがあれば、迷惑を掛けることを承知しながら、多忙な昔の救急隊員に聞いている。
'00/12/13
この数日間は、特に夜の空が澄んでいる。
お月様は満月を過ぎたばかりなので空全体が明るく見える星は少ないが、夜半は怖いほど冴えている。通勤途中で小学生が水溜りの氷を割って遊んでいるのをみた。冷たいはずだ。もうこのような時期になってしまった。
’00/12/12
平成12年12月12日は番号が並ぶので記念する日とのこと。私にとっては、パチンコ屋で「七が三個」並ぶ方がはるかに良い。
トップ画面の写真をマレーシャの知人から送られたメールから借用してみた。マレーシャに滞在する私の先輩は、すべての点で私の先生である。先輩がインターネットをはじめたときは、ずっと前のことである。その後、無線家でかつ無銭家でもある私は、パケット通信なるものをはじめたが、パソコン上でも、先輩にはいろいろお世話になった。
マレーシャからの「マレー新報」は今回が130号であるから、よくもまあ続けられたものと感心する。同時に、よくもまあ「暇を作ったものだ」と言っていることをお許しください。将来、先輩のホームページに「マレー新報」を載せられたときには、リンクさせて頂くことを今からお願いしておきます。
'00/12/11
行く先々で、「パソコンが使えますか」と聞かれることが多い。
先日、訪問先で質問があったので、私のホームページを伝え、その事務所で我が「途中段階」のホームページにアクセスしてもらった。おかげで長居をすることが出来た。
その後、内容的にも、リンクの仕方についても全面的に見直ししていてるが、再度アクセスして貰ったかどうかはわからない。次回訪問したときに確認したいものだ。
ホームページ作成の先輩諸氏は「よくもまあ恥を知らずに」と思っているだろう。
'00/12/09
ホームページ作りは、また途中段階だが、これで一時中止することとする。
何日か前に書いたが、ホームページ作成は久しぶりに楽しい仕事だった。おかげでこの一ヶ月は運動不足だ。体力作りをしないと、動くのがえらくなってきた。
しかも、ワード・エクセル2000のウエブ上での新しい使い方までわかったぞ。
'00/12/08
数年前に行ったカザフスタン国の青空市場を思い出した。
そこの青空市場では、日本製のものも多く、電気品や電池・ライターだけでなく、缶ビールまでも入手できる。電池・ライターはたったの十円、缶ビールは80円だった。ところがどっこい、贋作のライター以外は、すべてのものはいわゆる「賞味期限」が切れている。電池は空っぽ、日本製とマークの入ったライターは二日使えれば良い方である。80円ビールを探し、久しぶりに日本製ビールを満喫した日本人の何人かは、その晩は個室へ通勤するためにほとんど寝れなかったそうだ。
カザフ人いわく。 「電池ならば店員のラジオから抜け・ハサミならば店員の使っているを買え・ウオッカならば店員の飲みかけのもの(たいてい引出しの中にもっている)ものを貰え」が、良いものを買う秘訣とのこと。
日本においては、閉店間際のスーパーはもちろんあらゆる所で、賞味期限がくる前の「年寄り商品」は安売りされている。最近は期限切れ製品を「切れたことを前提に」売っている店もある。
日本製品・国内流通という前提で考えれば、商品履歴がまだ保証できるから問題は無いだろう。したがって、今後このような販売はますます拡大するであろう。
これを、人間そのものに置き換えてみると、面白い。「私は賞味期限が切れ掛かっている人間です。しかし、まだまだ価値はあります」と表示するのです。 悲しい話すね。賞味期限は自分で決めたものではない/保証書は普通自作する/食べる人は・・・
’00/12/06
毎日インターネットであるものを検索している。
そして関係ありそうなものには、片っ端から登録している。インターネットで登録すると二、三日後には、書類が郵送されてくる。インターネットで登録したことを忘れてしまっており、書類が郵送されて来ても登録したことを思い出せず、なぜこのような書類が送られてきたのか考えてしまうことすらある。便利な世の中になったものだが、あまりにも簡単なので忘れてしまうことも事実である。
わがホームページのアクセスカウンターの数字が150を超えた。自分が稼いでいる分もあるが、多くの人がアクセスしてくれる人もあるのでありがたい。中には、写真を送れと言ってくれる人もあるので、がんばらなくてはと思う。
立ち上げ時に比べて、自分なりのホームページのイメージが変わってきた。近い将来には何処と何処にリンクをするようにしてとか、自分のホームページのポイントを何にするとか頭の体操をしている。また、リンク先の了解をとるための作戦を考えている。
’00/12/05
久しぶりに、東京に行った。
東京駅構内は名古屋駅構内よりも、人が多いが、歩きやすいように感じる。自分は特別にせっかちではないが、名古屋駅ではみんなの移動スピードが遅く、いらいらすることがある。名古屋駅周辺では建物・道路・改札口などの「人の流れが出来ていない」せいもあうが、歩道の真中にとまる人・急に進路を変える人・進路を邪魔する団体等が多いのも事実である。また流れのスピードが遅い。エスカレーターの上を歩いて登ったり、ホームの階段をかけるなどということは名古駅構内では珍しい行動である。
'00/12/04
二千円札の売れ行きが悪いとのこと。
資本主義社会では、需要と供給のバランスによって、ものの価格が決まる。二千円札は使いやすさとしての価値が低いということなので、来年からは一枚1500円位で売りに出されることを期待する。
今日、年末宝くじを買った。毎年豊川市で買うが当たったことがないので、今年は名鉄名古屋駅の宝くじ売り場で買った。今年は間違いなく、一等とその前後賞があたることは間違いないだろう。
もし当たれば、日銀を喜ばすために全部価値の無い二千円札にして現金で受け取ろうと思うが、家に運ぶのに我が家のおんぼろハイエースで大丈夫だろうか。タイヤだけは今のうちに新品に変えておこう。もし、一等が当たったら、1500枚の二千円札を持って新車を買う積もりなので、今投資するとタイヤの投資はムダになるかも知れないが、タイヤだけを残しておけば良い。思い切ってスノータイヤにしておくのも一案だ。
’00/12/03
なぜか昨夜から家の新しい方のパソコンが暴走するようになった。昨夜は時々独りでにインターネット接続するかというメッセージが出ていたが、今朝からは、アドバンスモードという画面で立ち上がってきた。しかもコントロールパネルをクリックするとその状態で止まってしまう。どうしても正常にならないので、電気店の開店を待って持って行った。しかし復元できないので、結局は再インストールすることにした。おかげで今日一日をロスしてしまった。
今年は、これで前のPCを含めて、6回も再インストールしたことになる。勤務時間中にこのような状態になれば、強引に電話一本で助けを求めて、呼びつけていたのに、本日は良い経験をした。 今まで「ごめんね」です。
’00/12/02
今週は4連休。
11月はホームページの月だった。おかげで作り方の基本は殆んど理解できた。
また、自分がもつと以前に、「ホームページ作成」が出来る力が身についておれば、業務上の書類の整理や展開に今までとは違うアプローチが出来たであろうということも分かった。
これは、先月たち上げたホームページとは別に得た収穫でもある。すなわち、自分の日ごろ言っている 「IT」 に対して、更に新しい方向のアイデアが浮かんできた。例えば、イントラネットを使いこなす為に、あるいは組織を活性化するために、まず「ホームページ作成教育」からはじめよである。そして、ウエプで流し、評価してもらえである。
他の人のホームーページへアクセスするたびに感じることは、他のホームページは素晴らしい/時間をかけている。それに対して、自分のものがみすぼらしい/自分の独り善がりな作品である。
自分のものにはCS精神が何も無い。自己満足そのものである。
センスとキャリァの違いだろう。センスは天性だが、キャリァは経験と時間と努力が解決する。先ず立ち上げることに成功したので、すこしづつグレードアップすれば良いとは思うが、いまさら後には引けない。
’00/12/01
今100円店で買った100円のメガネを使っている。レンズだけで二万円のメガネよりもよく見える。
40歳半ばまで、メガネなるものは不要であったのに、今では、遠近両用/中近用/近用三個の合計五個ものメガネをつかう様になってしまった。前の二種類は仕事で使うが、近用は、家専用で、あちこちに置いてある。近用はモノレンズなので、読書などには使いやすい。しかも机に座ったときと寝転んだときには、活字との距離が違うので、度数のあったレンズを使う方が疲れないし良く見える。近用のものはすべて100円店で買ったものだ。
たった100円だが、レンズはガラス、しっかりした金枠も付いている。使っている遠近両用のメガネは金枠が細く半分しかないのに、東京往復の交通費よりもはるかに高価だった。今度眼鏡屋でメガネを作るときには100円市で買った金枠を持っていけばだいぶメガネ代が安くなる。どこの国でどのようにして作ったのか分からないが、100円とは安い。というよりも日本のメガネは、機能以外に見栄え+買主のプライド+売り手の作戦等 不要な価値がつきすぎているのか。なぜ宝石店がメガネ販売をしているのか。100円ショップでメガネ屋を経営して欲しいものだ。
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