旅行記

1994年05月01日

思い出のスペイン旅行!
さぁ、いよいよ11年前にタイムスリップです。
(だいぶ記憶が消えかかってますが・・・)
成田発マドッリド行きの飛行機で約14時間、かなり疲れましたね〜
生まれてはじめての海外、不安と期待の11日間。
午前の便で発ち、途中モスクワで燃料補給真夜中にマドリッドに無事到着!!
そこから直ぐに乗り換えてバルセロナへ・・・12時を回りへとへと・・・
時差ぼけで眠れず、しかもゴミ回収車が。
この写真はランブラス通りのホテルの窓から朝一のワンショット。
さぁ、これからバルセロナの町を見に行きましょう!!!
まずは、バルセロナといえば、サクラダファミリア。

1994年05月01日

ガウディの世界へ
ホテルからバスに乗る。

そうそう、スペインのエレベーターは(他の国は知らないが)階数を表すのに1階は0である。
5階は4で表すのです。
迷子にならないように・・・

写真は、サクラダファミリアに行く途中バスから撮ったのだが、ガウディの作品のひとつ、パトリョ邸です。
壁にガラスがはめてあり朝日にキラキラしていた。

時間があれば、近くで見たかった〜

1994年05月01日

サクラダファミリア

いよいよ、バルセロナのシンボル的存在の建築物。
近くで見ると高層ビルのようにそびえ立っている。あと100年とも200年とも言われる教会だ。
本当に完成するのだろうか?ある人が、継続していく事に意義があるんだそうだ。
確かに営利目的ならこんなばかげた事はしないだろう。周りにもまだ家がたっているし。
あれからどのくらい進んだのだろうか?
下の写真は入り口のひとつである。細かい彫刻で飾られている。
私(169センチ)から想像してください。
いかに巨大な建物か・・・・完成が楽しみだ。

1994年05月01日

サクラダファミリア中から見ると・・・?


一歩中に入ると、天に昇る塔と壁に圧倒される。
塔の中には、螺旋階段になっており上まで昇れるようになっている。
・・・が、狭いのです。かろうじてすれ違うがかなりきつい・・・

目を下に向けると、これがサクラダファミリア?と思う。
ほとんど工事現場。午前に入ったのだが誰も作業をしている様子は無い。
たまたまだったのだろうか?それとも午後から始まる?

そうそう、もうサマータイムに入っていてスペインの夏は長いのです。
日が落ちるのは、9時頃だったかな〜?夕飯は8時頃だったのですが窓から外を見ると、真昼である。
日本では想像がつかない。シェスタ(昼寝)があるのも納得いった。昼間が14〜15時間では身がもたない。

話が脱線してしまった。
まぁ、多分午後から観光客が居なくなってから始めるのであろう。〜これも進まない原因??〜

最後に、どこの国、どこの場所でも “落書き” には困ったものだ。
人間の本能?習性?
200年後の人間が見て何と言うだろうか?
200年後も変わっていないだろうが・・・なかなか変わらないのも人間の・・・・・・・・・?

まだ写真はあるのだが、テレビや写真集の方が良いので。

次は、公園で一休み・・・

1994年05月01日

グエル公園にて

グエル公園。

有名なトカゲ?の噴水がある公園です。
私たちは、裏?からはいりました。

せっかく来たのにベンチが工事中で、座る事も出来ず愛を語る事も出来ず休憩の出来ない公園でした・・・
スペインでは工事、休館日、ストetcありますので、事前に調べた方がBESTで〜す。

二つの柱を並べてみました。
公園外の柱、公園中下の柱。
外の柱は、石積みで松の木だかパインの木をモチーフにした物らしい。
手で触れば取れそうな感じである。・・・ブロック崩し・・・??
実際には、斜めになっていて支えているのです。

もう一枚は、公園の下で天井を写しています。
細かい割れタイルのモザイク模様で出来ている。
上で、雨が降れば、柱を通して下に雨水を溜めるのだとか。
さすが、雨が降らない国の知恵である。

物作りに対して何らかの意味を持って作るという考えなのであろうか?
ただ作れば良いと言うどこかとは次元が違う話のようだ・・・・・

それにしても、ベンチに座れなかったのが残念だ。
しかも、ビニールシートが掛けてあった・・・・・

1994年05月01日

VIVA!!  オリンピック!

十数年前を思い起こして下さい。
中学生の女子が金メダルを取ったことを・・・
モンジュックの丘を上がったところにオリンピックメイン会場がある。
さすがに中には入れなかったが整然として美しい競技場であった。

競技場をあとにバスは一路シュチェスと言うリゾート地へ向かった。
途中のバスの中からのワンショット!
かの有名なコロンブスの塔です。
スペインではありとあらゆる所がベストショットである。
気が緩めない、無論居眠りなぞ、もってのほかだ・・・・

1994年05月02日

オ・レィ!!! 闘牛場にて


シュチェスと言う海岸線のリゾート地で、スペイン産の“カバ”と言うシャンパンを飲みながらのお昼を取り、
高速道路でバルセロナへ・・・午後からは自由行動。

僕は、闘牛を見に行くことにした。
5時から(7時だったかも?)始まり、相撲のように若手から始まりメインのヒーローで終わる。
大体5〜6人だった(つまり、牛5〜6頭・・・)ひとり10〜15分と言うところであろうか。
闘牛の方法は嫌がる人もいるのでカットしますが、好きになればかなり興奮は覚える・・・・

オ・レィ!!

ここでも、ビール片手に興奮していた。
席はプラスチックで出来ていて、雨が降ったのであろうか?・・・
それとも・・・??ところどころ濡れている。
さすが、しっかり座布団貸し屋がいるのである。・・・借りはしなかったが。

写真で影になっている客席があるが、日なたより値段が高いのです。
スペインの日差しはかなり強い。旅行中平均33〜34℃、でも日本と違い湿度がない。
初めての経験だ。日なかは熱いが日陰に入れば涼しく、長袖でも問題ない。

ジーパンが一晩で乾く、ありえな〜い!!

1994年05月02日

ハカランダ〜セビリアへ!!
バルセロナを後に国内線にてセビリアへ(セビージァとも言う)
まだ見ていないものがあり、悔やむ・・・

カテドラルの多い街である。見渡す限り被写体だらけだ・・・・
写真は、紫の花が綺麗なハカランダと言う樹です。
ギターを弾く人ならピ〜ンとくるだろう?
高級ギターに使われる木材で、輸入が難しい材料である。

1994年05月02日

セビージァに心残し・・・・・

スペインは狭い路地が多い。
まるで迷路である。戦争のため、敵を迷わすためであろう・・・
個人で歩いていたら、絶対迷うであろう。

写真の有名なカテドラル(名前が思い出せないが)は、
添乗員の案内に従い右に左にグルグル回り・・・“では後ろを向いて”と振り返ったところで現れたしだい。
セビージァはカテドラルなど建物が多かった。

町全体が被写体に・・・

僕が期待していたひとつに、ギタリストのジョン・ウィリアムスがビデオにした、
アルカーサル宮殿を見たかったのだが、
残念な事に定休日だそうだ・・・・
また絶対に来てやる・・・・

夜には、サングリア(スペイン独特の飲み物)を片手に、フラメンコを楽しんだ。
明日はヘレスだ・・・

1994年05月03日

ヘレス〜カディリス〜プエルト・デ・サンタマリア〜
一日強行の旅 PARTT



セビージァを出発して、
ヘレス〜カディス〜プエルト・デ・サンタマルタ〜ロンダ〜マルベーヤ〜ミハス〜グラナダ
まで、一日で回ると言うバス乗りっぱなしである。
ヘレスと言うところは、日本でシェリー酒の産地です。
シェリーに限らず他の酒蔵でも貯蔵庫に入れば香りに圧倒されるものだ。
後は、のんべぇの世界である。

ヘレスで楽しんだ後、港町カディスから船でプエルト・デ・サンタマルタ
カディスと言えば、ギター曲(ピアノ曲)・・・・
スペインでは、都市の名前がついた曲が多い。
作曲家は凄い想像力だ、風景だけでひとつの作品が出来上がる・・・どういう頭の構造であろう??
僕には逆立ちしても出ては来ない・・・

話がそれたが、すっかり出来上がった状態で船に乗り2〜30分船酔いである。
プエルト・デサンタマルタで昼食。
観光で見るようなところは無い。
ここで食べた、ガスパチョ(トマトの冷製スープ)は最高でした。
・・・帰ってからも自分で作ったくらい・・・
食事についてまた新ためて書きたい。
酔っていたせいか、パエリアは口には合わなかったな〜?
かなり塩辛い、日本であるスペイン料理店でのパエリアを食べてみたい・・・
(まだ、食べてはいないのだが・・・・)

1994年05月03日

〜ロンダ〜マルベーヤ〜ミハス〜グラナダ
一日強行の旅 PARTU


バスに乗り、後半戦。

崖の上にある街、ロンダ。
写真では想像が難しいが・・・日本では崖と言うより峡谷に近いかも・・・?
峡谷を後に山から一気に海へ・・・

無茶苦茶なルートだ。

スペインではコスタル・デ・ソルが有名だが、マルベーヤも負けてはいない。
大小様々なクルーザーがところ狭しと並んでいる。
世界中の金持ちが避暑に来ているのだろう・・・
うらやましい・・・
ハリウッドスターがいたかも・・・・・・??

バスはまたまた山に向かって発車。
山の中腹あたりにミハスはある。
これと言って何があるかと言えば正直ない・・・

ミハスを出てグラナダへ。
グラナダへ着いたのは、確か0時近かった。
街は、お祭り騒ぎ。
4〜5歳くらいの女の子がフラメンコの衣装着て両親に手を引かれて歩いていた。

おいおい、何時だと?

長い一日はやっと終わった〜〜

1994年05月04日

グラナダ・・・アランブラ宮殿!! PartT


いよいよ、夢に見ていたアランブラ宮殿(ここではあえてスペイン語で)
ギター曲で有名な場所、ギタリストには聖地?(言い過ぎ?)

ここでは、建物は写真集にお任せして、
現地で感じた事を思い出しながら書かせていただきます。

バスにて小高い山に登り、入り口へ。
入り口は、決まっているのであろう数台のバスが狭い駐車場でいっぱいだ。
ここも、入場制限があるらしい、個人で行くと入れないおそれが・・・

写真は入り口の注意事項である。

珍しいのは写真はOKだがストロボはだめ。
乳母車はダメ、犬はダメ、猫はOK等少し面白い。
と、いう話で真ん中の黒猫。

映画に出てきそうな猫である。
この猫が入ったときから道案内する様に我々について来た。
いなくなったと思ったら、どこからともなく・・・なかなか頭が良いようだ・・・

ライオンのパテオ。
昔は中まで入れた様だが今は柵が・・・残念
日差しが強いのがお分かりになるだろうか・・・・?

1994年05月04日

グラナダ〜アランブラ宮殿 PartU



アランブラ宮殿と言えば、
石造りの冷たい印象があると思う。

しかし、一歩中へ入って行くと以外や緑が多い。

宮殿中ほどのちょっとした広場に、
目にも鮮やかなピンク色した“アカシア”の樹がド〜ンと構えている。
この色のアカシアは日本には無いそうだ・・・(現在はわからないが)

宮殿内を気を付けて見ればあちこちに緑はある。
この乾燥した地で水をふんだんに使い、
緑をこれでもかと飾した権力は恐ろしいものだ。

そうそう、思い出した。
杉の樹も多く、あちこちで綿のようなものが飛んでいた。
大きさはピンポン玉ぐらいはあったろう・・・?
杉花粉だと言っていたが、本当かどうか・・・・??

宮殿内には、言葉では説明出来ないものが。
是非行ってみて下さい。
あと、個人で行くのは難しいと思います。
ここも、入場制限があるようだ・・・

宮殿を後にモザイク工房に寄った。
写真は箱根細工にも似た作りかけの作品です。
こういうところにもギターが栄えた要因があるようだ。

午後はコルドバに移動だ・・・
スペインツアー、半分ぐらいかな〜?

1994年05月04日

カテドラルと花とおじさん〜コルドバ

スペインは歴史的建造物が多い。
日本のように地震が多い国では無いからなのであろう。
コルドバも目もくらむ様な建物ばかりである。
中でも、メスキータ(イスラム寺院)は有名である。
これまで宗教の力は凄いものであろうか・・・?
中は時代と共に三つの様式で建てられている。
詳しいことは忘れたが

1994年05月05日

ラ・マンチャの・・・

ラ・マンチャの男で有名な場所。

名前はあまり知られてはいないが、
風車の村“コンスエグラ”という名前の村である。

この時は一番暑く感じられた。

なにせ、写真のとうり周りは何も無い荒涼とした大地で、
そこに太陽に一番近い丘に風車があるのだから・・・・

・・・話は反れるが、
気付いた人もいると思うが、私の着ているTシャツは現地で買ったものである。
現地調達出来る物があればその方が荷物は楽である・・・

〜と、言っても初海外旅行者だが・・・・

残念ながら、風車は回っておらずしっかり固定されていた。

1994年05月05日

古都 トレド

赤茶けた建物が密集し要塞のように見える街、トレド。
小高い丘から写したものです。
いつも思うのですが写真では、大きさや遠近感がいまいち・・・

添乗員含め18人のツアー。
夫婦、家族、友人、一人と様々である。
写っている人がもし自分であればここに載せた事を許可頂きたい。
(勝手に使いごめんなさい、お元気であれば連絡下さい。)

ここのホテルでは(他もだが・・・)シャワーが調子が悪い。
泥水のような赤錆が最初に出る。
乾燥しているせいか、バスルームは使わないようだ。
日本の旅館感覚ではいかんいかん。その時間があれば他に有効に使えそうだ。

出発前に調べておけば良かったが、美術館やグレコの家など行きそびれた・・・・

さあ〜、いよいよ最後に近づいた。
スペインの首都、マドリー(スペイン語で表記)。
さすが首都、いろいろ危ない目にも・・・

1994年05月06日

首都マドリー PARTT

いよいよ、最終目的地マドリー(スペイン語で)

日本で言うと東京である。
しかも、新宿と言った感じがした。
今までと違い、人は多いし、田舎から大都市に出て来たようだ。

路面に描かれているのは、スペインに中心を表わした0メートル地点。
スペインはここから始まる印である。
気をつけていないと見過ごすので注意が必要である。

後日、この辺りをうろうろすることになるのだが、
後ろから、チノ、チノ、(中国人)と言われた・・・
無視したが、さすがに怖かった。

この近くには、熊の像があったり、
女性には夢のようなブランド街がある。
・・・が、一番危険な場所でもあるから要注意。

美女に囲まれた、スペイン広場では、5〜10分しか許可が下りず、
写真を撮るのが精一杯であった。
添乗員もピリピリしていたのが今でも思い浮かぶ・・・


1994年05月06日

首都マドリー PART2


トレドを出てマドリーに着き、バスでの観光。
そして、午後からプラド美術館へ・・・

上の写真の右真ん中(見えにくいかも?)
黄色で33℃と出ているのがわかるでしょうか?
5月です、行ったのは・・・

真ん中はギターショップだと思います。
バスの中から写したので判らないのですが、
一度くらい寄ってみたかった・・・
まぁ、買うだけのお金は持ち合わせていなかったんですが。

午後からは、プラド美術館へ。
ゴヤやベラスケスの作品を・・・(作品は他のところで見て下さい。)
本物を見るということは実に良いことだ。
何よりも大きさがわかる。
ラス・メニーナスや翌日に見たゲルニカなど大きい事に驚いた。
ゲルニカなどは防弾ガラスの奥に展示してあり、
間近では見る事が出来なかった・・・
たった一枚の絵が政治を動かす、
確かにそれだけの迫力が。

ダリ美術館に行きたかったのだがコースには無く、
次回・・・があれば絶対行きたいものだ。

さぁ、明日はマドリー最終日。
フリーでアランフェスへ行きたかったのだが、
多数決によりセゴビアへ・・・

いろいろあった長い一日である。

1994年05月07日

最終日・セゴビア!!

いよいよ、スペイン最終日。

朝、オプションでそれぞれバラバラに・・・
僕は3〜4人でセゴビアへ、バスに乗りガイドは外国人。
非常に心細い。

途中のカテドラルでは結婚式をパイプオルガン付きで拝見し、
目的地へ。

紀元前1〜2世紀とも言われる水道橋、
石積みでてっぺんを水が流れるようだ。
最後に行ったのはアルカサル。

感の良い人は見た事がある城である。
ディズニーがモデルにしたお城なのです。
さすがにカッコが良い・・・洗練されたデザイン!!

ここでの昼食は、セゴビア名物、子豚の丸焼き。
非常に美味しかったぁ〜・・・

帰りはプエルタ・デル・ソルの近くで下ろされ、
さぁ大変!
ホテルに戻ると思い、
地図も無くお金もあまり持ってこなかった。
感だけを頼りにうろうろ。
地下鉄やタクシーを使いやっとの思いでホテルへ。
スリルに満ちた一日であった。

思えば朝から雨だった・・・雨が降ると今までの暑さがどこかへ。
非常に寒かった。夏から冬へと。

まぁ、少しは怖い目にもあったが、
無事に帰国出来た。
書ききれないのだが、
とても素晴らしい時間であった。
出来ればもう一度行きたいものだ。
まだ行っていない所もあるし・・・

今度は隣に・・・・・

  完



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