◆ひきだし ほん◆


 

ほーむ



 ■まどさん

 詩人のまどみちおさん、大好きな人の一人です。
 「ぞうさん」の詩で誰もが知ってる人だと思いますが
 その まどさんが抽象画を描かれている事を知って
 いつか個展をされないかな〜と思っていた。(もうなさったのかな?
 近々あるのかな?ご存知ある方、教えて下さい!)

 昨日書店で詩画集を見つけました。
 その書店にはフカフカの椅子まであるので ゆったりとした気分で
 読ませていただきました。(購入するにはお小遣いが足りず・・・)
 その本のあとがきに、なぜ 抽象画なのか?がありました。
 物や言葉に捕らわれないで 自由な世界を描けるから・・・というようなことが
 (本があればちゃんとした言葉でお伝えできるんだけど)
 ありました。そして、描く時は ほとんど何を描こうとは考えずに
 筆の赴くまま描かれるそうです。
 昔は抽象画って 難しくて つまらなかったけど、大人になって
 見る方も 感じるままに感じればいいので とても楽しいものに思えています。
 私も 赴くままに描いていたことも あります。
 それがとっても 気持ちよく楽しいものだったので まどさんに賛成!!って
 思いました。詩の世界と 抽象画って すごく合ってるなって思います。
 まどさんの 詩画集を見て 赴くままの絵にうずうずして来ました。
 

 

これは詩集ですが 装丁画をまどさんが手がけています。
 
 *11月19日*(金)(2004年)



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 ■オキーフ

 お父さんが、今度オキーフ、テレビでやるよと教えてくれました。
 時間とかチャンネルとかあやふやだったので、調べたら
 22日(金)NHK教育 午後10:00〜10:25。
 そこで、私の宝物の一つを引っ張り出してきました。
お父さんが写真を始めたころに、あげるねって譲渡したような気もするけど・・・
 (お父さんの写真集の棚に入っていたし)
 これは、10年近く前に東京、神田の古本屋街で手に入れたもの。

 

 真っ白な布張りの表紙は しみが多くなってます。
 黒地のカバーも布張りです。

 

ジョージア・オキーフの住んでいた、ニューメキシコの風景や
 簡素で、彼女の絵そのものの家や部屋の中が 写された写真です。
 題材となったものがそのまま 写されていて とても美しいです。



 彼女の夫は有名な写真家のステーグリッツですが、この写真集はTOOD WEBB
 という人のものです。(その方がほかにどんな写真を撮られているのか知らないのですが)
 この他に、画集も手に入れたのですが それはあまりいい画集ではなかったので
 もっぱらこちらの方に心が吸い込まれます。
今夜は録画をちゃんとしなくては!
 

 *10月22日(金)*(2004年)



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■「ていねいな暮らし」

 

   

病院の待合所にある本棚からお借りしてきた「ていねいな暮らし」[柳沢 小実(著)神泉社]
20代後半の多才な女性の書いた本でした。中には4人の著名人のインタビューや
ココロゆたかに暮らしたい と題する生活の様子がうかがえるエッセイなどで
興味を持って読みました。なかでも、印象に残ったのは、オーストリアの建築家でもあり芸術家でもある
 フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏の紹介でした。

 

表紙のとなりは 大阪の舞州にあるごみ焼却工場。これは、その中。
 
 舞州工場のデザインに対するフンデルトヴァッサー氏のメッセージの抜粋。

  建築物における悲惨とも言える非人間的な不快さは、直線と画一性、無感情な冷たさ、
 攻撃的で無感動かつ心の通わぬ残酷さ、芸術性のなさ、砂漠のような均一性、殺人的
 不毛性と想像力の欠如というもので表現されています。
 絶対的な合理主義の時代は終わろうとしています。これからの新しい価値観は、より高度な生活
 水準を求めるよりも、ロマンチシズムへの憧れ、個性化、創造性の重視、自然との調和された
 生活などの普及がより重要になってきます。
 −−−(略)−−−
 自然と調和して生きよう。
 私たちが自然の調和を乱してまで所有したものを自然にかえそう。
 そして私たち人間として伸びやかに生きる夢を取り戻そう。
 命あるものが、調和できない偽りの美しい世界を切望することなく。(舞州工場資料より)
 
 というメッセージが心をシャンとさせてくれます。
 だからと言ってすぐに何が出来るのかわかりませんが、覚えておきたい。と強く感じました。
 

 *8月29日(日)*(2004年)



 

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■夏の終わりに・・・

 暦の上ではもう秋ですね。夏休みの終わりは夏の終わり。
 また秋からの新しい季節との出会いが始まります。

この夏休みは短いようで長いものとなりました。後半がけっこうハードな日々だったからです。
 1年のうちで 一番子供と二人だけで居る時間が多いので 子育て親育てについては考えざるを得なくなります。
 子供は親の鏡といいますが、自分が子供に浴びせる、発する、言葉はそのまま自分の事だったり、
 子供が変わるには自分が変わらなくてはと思う 毎日でした。
 感情をこれだけぶつける相手が未だかつていたでしょうか?
 自分は別の人格なのに 自分の思うように動いてくれないと 歯がゆかったり。
 苛立ちが怒りとなったり、やっぱり支配しているつもりなのでしょうね。
 
 この(自分との)戦いの中から 少し得たものがありました。
今まで、これだけの事をやってる、がんばってるのに!と思っていました。
 でも、それは自分の都合の上でのがんばりだったので、子供にとっての事ではないと気づきました。(やっと!)
 では 何をすればいいのか?
と、考えを変えるきっかけが出来ました。(理屈を行動にうつす事が難しいのですが・・・)

 

 そんな時、また出会った本。「いつか森で会う日まで」[田口ランディ(文)山下大明(写真)]
 屋久島に移り住んだ写真家の写真と、屋久島に魅せられて心のリセットに行く作家の文章のコラボレーションです。

 田口ランディさんの文章が好きですがこの本はまだでした。
 ネットでのコラムマガジンも楽しみに読んでいました。(2004.3.06 最終回を迎え残念でしたが。)
 
 屋久島の写真にも文にも、今の私に共鳴することが多く
 自然と感情が込み上げて来る所が何箇所もありました。
 中でも特に反芻している言葉が「あるがまま・・」
 私の解釈ですが、植物や動物は、自分の置かれた立場をあるがまま受け入れて 自然と一体となっている、
 あるがままが受け入れられない人間はそこに苦しみを生み出している。
 どうにもならない事に苦しい!嫌だ!逃げたい!と抗って心の均衡を失い、
 身体まで故障してしまうのが人間なんだな。と。
 
 この辺は畑が多いのでお百姓さん達の作業を見かけることがあります。
 みなさん、強風も雨の日も寒い日も日照りの日も、畑と一体となって黙々と作業されています。
 ありがたくて拝みたくなることがしばしあります。
 明らかに違う時間を生きていらっしゃるように思えます。「ここに畑があるから耕す」
 
  若い頃、北海道の牧場でアルバイトをさせて頂いたことがあります。
   過酷な自然の中生き抜いてきた人たちの 大きな心がありました。
 私からしたら、大変なことだ!と思う事件が発生しても、「な〜んもだぁ」との返事。
 大変なことだらけの私からしたら、どうしてそんなにゆったりと受け入れられるのだろう?
 と、北海道の人は心も広大なんだと関心していました。
 一生のうち、本当に大変なことなんて、そんなにめったにあるもんじゃない。
 といった受け止め方なんだと思います。
 
 「な〜んもだぁ」を心の支えにしていた時期を思い出しました。
 「あるがままに」「な〜んもだぁ」を夏の終わりの宝物にします。

 


*8月31日(火)*(2004年)