アンコールワット5日間の旅
・アンコールワットは一度訪れてみたい場所の一つであった。東洋の魅力、エキゾチックな魅力、日本仏教の原点の様な場所と感じていた。今回、その願いが叶い訪問できた事は私にとって非常にうれしい事であった。
・政治情勢が不安定な国という事で、出発前は夜は一人では歩けないのではないか等と心配していたが、観光で生きている場所として不安も感じず、一人で参加している人も多く楽しい旅ができた。一歩郊外に出ると地雷による被害があると聞いている。遺跡を破壊したり、地雷の埋まっている場所があったりする人々の不安をあおるような政治情勢から脱却し、みんなが安心して暮らせる世の中になる事を期待する。皆さんが一生懸命生きているのを改めて感じた。
・カンボジアの学校は午前の部と午後の部の2部制。朝7時から授業が始まる。一月から新学期が始まる。633制を採用しているとの事、我々が訪問した3月の日の出は6時15分位なのに、7時から授業が始まるのは大変だ。でも午後の暑い時間に授業を受けるよりは良いかもしれない。ホテルの裏に塾みたいなものがある。
カンボジア滞在最後の日という事で、早朝、張り切って散歩に行く。今日はホテルのすぐ上流の橋(ワットボー橋)を渡り、西に向かって歩いてみる。
(平成21年3月8日〜12日・5日間)
・女性のガイドにサラリーを聴くと忙しいときで3000$、少ないときで1500$ 一般の人は700$位。彼女は大学の学生で、授業をサボってアルバイトしているとのこと。彼氏はいるのかとの問いに、カンボジアでは結婚は両親が決めた人とするとの事。
・女性は犬、ワニ、蛇を食べる事は、はしたない行為とされているとの事。きっと美味しいから男達が女性に食べさせないために造った迷信かもしれない。
・カンボジアとベトナムは仲が悪いと思っていたけれども、これだけべトナム商品が入り込んでいるとは思わなかった。空港の売店で、カンボジア製のチョコレートはあるのかと係員に問うと、チョコレートは作っていない、すべて海外からの輸入とのことだ。
・シェムリアップの周りには、もっと多くの遺跡群がある。他の遺跡もゆっくり見たかったような気がするし、見てもアンコールトム、アンコールワットと同様な遺跡があるだけの様な気がする。あと1日滞在したかった。私は冬より夏の方が好きなのだが、旅行中に脱水症状が出るなど、暑い旅だった。
明るくなった道路を車が走る。日本のような交通渋滞はないようだ。トラックが私の前に止まり、20リットルの大きな瓶をレストランに運んでいる。何を運んでいるのかと覗いてみると、ラベルにDrinking Waterと書いてある。レストランで使う飲料水を運んでいるようだ。面白い幾つかの風景を写真に納めた。
真っ暗の中、橋を渡りしばらく歩くと左手に赤ちゃんの泣き声が聞こえる。それも1人ではない。人が忙しそうに働いているのがわかる。小児病院のようだ。病気は待ってくれないから大変な仕事だ。
小型トウキビ搾汁機その場で絞って飲ませてくれる
8時10分に迎えのバスが来る。午前中は、タ・ブロムとアンコールトムを見学し、午後はアンコールワットを見学。
のどが渇いたらココナッツジュース ハンドバッグの原料それとも食用?
川エビは美味 水上レストラン兼売店
千体仏
森本右近太夫の書いたとされる落書き
カンボジアは常夏の国。半袖の下着にTシャツ。その上に長袖のシャツを着て、更にジャンパーを着、夏用のズボンをはいて準備OK!
ホテルに戻り、6時過ぎにバスが迎えに来る。空港までの所要時間は20分位。6時半頃到着。ガイドと別れる。9番カウンター、ヴェトナム航空に行く。ハノイで2時間ほど待ってセントレアにむかう。2時間時計を戻し朝6時半に無事到着。機内のモニターによると飛行航路はハノイ→香港上空→上海上空→セントレアであった。
8時40分バスが迎えに来る。トンレサップ湖クルージングに出発。雨季と乾季で水量が大きく変化する湖。俗に伸縮する湖と云われている。乾季で3,000ku、水深1〜2m、雨季になると10,000ku、水深10m以上にもなり、 四国の半分位の大きさになる。道路や農地までも飲み込む。300種類以上の淡水魚が生息し、漁業が盛んで恵みの多い湖である。文字通り、船の上で生活やすいように、湖の変化(雨季・乾季)によって家を移動させ、周りにはレストラン、商店、学校まである。シェムリアップ人口・17万人の内1万人が水上生活並びにそれに関連した生活をしている。
<この寺院は、今日ではタ・ブロムすなわち<ブラーフマ翁>という名称で知られていますが、創建当初はラジャヴィハラ、すなわち<王家の僧院>と名付けられました。1186年、ジャヤヴァルマン7世は寺院建造に際して、いくつかの仏像をここに奉献しました。その中で重要な尊造が、「智慧の完成」を体現する女尊、王が実母になぞらえたブラジュニャーバーラミター(般若波羅密陀)の像と言われています。王はそのわずか数年後、自らの宗教理念をさらに明確に顕現させようと、実父になぞらえたロケーシュヴァラ(観世音菩薩)を祀る別の寺院、ブレア・カンを建立した。王の宗教観は広義としては明らかに大乗仏教の範疇ですが、より厳密にいうと、ジャヴァルマン7世の代に特異なクメール仏教の理念であり、解釈には慎重を期すべき処です。たとえばヴィハラ(僧院)という言葉ですが、当時の用語を近代のテーラヴァーダ(上座部仏教,小乗仏教の1宗教)の理念で解釈すべきではありません。けれども一方で、この四周を石壁に囲繞(イジョウ)された1km×700mの広大な境内は,近世以降の僧院であるヴァット(上座部仏教寺院)に近い性格をもつと解することもできます。つまりこの外周壁の内奥では、様々な位階に分かれた僧侶など夥しい人々が集い、一つの教団を形成していたはずだからです。なお通常この寺院を見学する際には、西側(現在地)から入って伽藍の中央へと向かいますが、正規の入り口は東側だということを忘れないでください。>
と書かれている。
18時15分ハノイを出発。平飛行に移ると直ぐ、パン、サラダ、ハム、ウインナーの入った軽食がでる。20時30分(約2時間のフライト)シェムリアップ空港に到着。外にでると現地ガイドのサリーさんが迎えにきた。ホテルへ向かう車中で、カンボジア滞在における注意事項を受ける。@水道の水は飲めないのでミネラルウォーター飲むこと。価格は1$程度である。A気温は非常に高い。今日も日中37℃まで上がった。日焼け止めクリームを塗るなどの対応が必要である。B滞在中は毎日ホテルに1本、バスの中に2本確保しているが、必要ならばミネラル水を買うなどして脱水症状を起こさないよう、まめに水分補給に努めてほしい。Cお金は基本的にはどこでもドルでOK、但し1ドル以下は現地のお金リエル(1$=4000リエル)で支払われる。金額は交渉次第である。市内にはデパートはない。D交通事故が多い。特にバイクが多いので注意してほしい。バイクは免許が入らないし、定員はない。市内に信号が5カ所しかない。E車は右側通行なので気を付けて横断すること。
6時過ぎにホテルに戻り、バイキング形式の朝食を頂く。
バイヨン:中央の塔群のあるバイヨンに向かう。東塔門から入る。
セントレアで今回の旅の友、S氏、M氏、K氏さんと会う。ベトナム航空カウンタに行き、e-チケットを見せバッグを預け、航空券を受け取り、出国手続きをし、202番ゲートに向かう。バスで移動するゲートだ。9時30分頃アナウンスがありバスに乗る。バス一台で飛行機までいく。乗客全員搭乗したのか予定より早く滑走路に移動し、Takeoff。
11時半にホテルに戻る。昼食は隣のポパ・アンコールホテルのレストランで済ませる。
川の畔に戻ってきた。母親が子供を抱いている母子像のモニュメントがある。
9時少し前にロビーへ降りていく。伝統工芸の学校に行く。名前は記憶にないがたぶんNPOが経営するアーティザン・ダンコールという伝統工芸の学校だとおもう。
アプサラ舞踊
第一回廊を回りレリーフを見る(東西160m、南北140m)。
レリーフの前には綱が張ってある。遺跡保存のため手を触れるべからず!!
なぜか日本語で書いてあるメニュー カンボジアで食べたカボチャプリン
再びバスに乗る。しばらくするとバスに検査員が乗ってきて一人一人のカードをチェックする。アンコールワットの堀を回りタ・ブロム寺院に向かう
プノン・バケンは国家鎮護寺院として造られた丘上式寺院で、当時はここを中心に一辺4kmの大都があった。その広大な敷地は、アンコール・ワットやアンコール・トムとも重なっており、現在は地中に埋もれていると言われている。高さ75mの丘の上になるので夕日の美しいスポットとして知られている。 4時45分プノン・バケンの麓に着く。日がかげると足下がおぼつかなくなるので6時に集合することになった。S氏、M氏、K氏は象に乗って登るという。私は歩いて行く事にする。山道を歩く事20分、山の頂上に着く。そこには石で造った寺院があった。登らなければきれいな景色は見られない。階段が急で幅も狭い。横の壁に掴まりながらやっと登る。頂近くで降り口は何処だというと若い女の子がこの階段を下りるしかないよと言う。え!ここを降りるの?また、壁に掴まりながら降りるのかと思うとうんざりする。確かに日が落ちたら足を滑らせ怪我をしそうだ。早めに降りよう!
アンコールワットは世界遺産の中で世界最大級の石像建築物の大伽藍。クメール建築の最高傑作とされる。東西1.5km、南北1.3km、幅200mのお濠で囲まれている。お濠の水は枯れることはない。その昔、敵の攻撃から身を守るため、濠にはワニを放していた。アンコールワットは、王様の墓、参拝所、お城の3つの役割を果たしている。王朝滅亡後は、仏像が持ち込まれ、800年を経た現在も上座部仏教の寺院として生き続けている。
遺跡の塔はかつて12塔あったが、内戦やベトナム戦争等により破壊された。現在は5本だけ残っている。形はツクシに似ている。第三回廊は階段が急のため現在は昇ることができない。西側から入り塔の間から見る日の出が幻想的で良いとのことであった。1632年(寛永9年)日本から加藤清正の家来・森本右近太夫一房が両親のために仏像を創った。目的は祇園精舎に持って行くことであった。彼はアンコールワットを参拝した際に祇園精舎と間違え、アンコールワットの塔の下に仏像を安置した。壁面に残した墨書には、「御堂を志し数千里の海上を渡り、ここに仏四体を奉るものなり」とある。当時日本人村があり、日本にもこの仏教寺院は知られていたことが伺える。仏像は木造だったため、シロアリにやられ、現在は無い。(出典:インターネット)
途中で遺跡3日間入場券を購入する。一人ずつ受付の前に行きパソコン搭載カメラで写真を撮り、その場で写真入り入場カードを発行してくれる。このカードがあれば何処の遺跡でも入りできるとのことである。3日間で40$。但しカンボジア人は無料とのこと。
この町にはガソリンスタンドが少ない。バイクのためにボトルに入れたガソリンがあちこちで売っている。この熱いのにガソリン露天に晒して良いのだろうか心配になる。
午後は空港へ出発するまで自由時間。オールドマーケットの近くにあるブックセンターに行く。途中美味しそうなパン屋さんやスーパーに寄る。緑茶のペットボトルもあった。日本語で書いた飲料もあった。砂糖入りかどうかラベルを見たが砂糖は入っていないようだ。
本日最後の見学地は国道6号線沿いにある、カンボジアン・カルチャー・ヴィレッジ(カンボジア文化村)である。
(11$/人)
午後、ワット・プリア・プロム・ロートという寺院に行く。最近できた寺院との事。
ここは日本人の森本喜久夫氏がカンボジア絹絣に魅せられ、この伝統工芸を守るため立ち上げた工房である。自然の素材を利用した染色技術、自然の絹の風合いをそのまま生かした素朴な製品を作っている。
朝5時30分起床。カメラ片手に街を散歩する。今日は川の上流(ワットボーから国道6号線まで)を散策。川縁の木に豆球(LED)を掛けた、イルミネーションが水面に映えきれいだ。一晩中ライトアップしているのかな?電気代は何処で負担しているのだろうか。暗い中を散歩していると、地元の人、外国人が散歩したり、ジョギングしている。何処の観光地でも見られる光景だ。
通路にデヴァターがある。乳房のところがツルツルになっている。乳房を撫でると幸せになるとの神話を信じ観光客が撫でていくためだという。私も当然・・・・
第三回廊から中央棟を見上げる。今は危険のため昇ることはできない。 急な階段は勾配が65度、37段あるという。中央棟にはお釈迦様4体が納めてあるとのことである。
(第一回廊・南面)ここの天井は木造だったので壊れたが修復した。天井の模様は蓮の花である。天国と地獄を表現したレリーフがある。下側は地獄、閻魔様の判決が決まり、刑が執行されている模様である。カンボジアの地獄の刑には、舌抜きの刑、火炙りの刑、張付けの刑、五右衛門風呂、水攻めの刑など32の刑があるとのことである。上部は天国を表し皆楽しそうである。
東西1km、南北600mの広大な敷地の中に当時、1万2640人が暮らしたといわれる。巨大なガジュマルの木の根が絡まった、発見当時のままの姿で保存されている。
この寺院も幾多の内戦、ポルポトによる戦争などで破壊されたようである。更に寺院の内部に多くのガジュマルの木が生えており、遺跡を発見したとき既にガジュマルの木で覆われていた。カンボジア政府とユネスコが、木の切断の可否について検討したが、木を切らなければ、ガジュマルの木の根により遺跡は持ち上げられ潰される。しかし、木を切っても根が遺跡に絡まっており、また地中に深く入り込んでいるので地面が変形し遺跡が壊れる。更にガジュマルに覆われた遺跡としての観光スポットではなくなるという事で、現在は様子を見ているとの事。何十年、何百年か後には遺跡が無くなることになるかもしれない。
内戦で破壊され、自然の樹木に破壊され、切ない気持ちになる遺跡だ。
少し、意味不明な文章であるが、ジャヤヴァルマン7世が王位について最初に建設した寺院で、母の菩提を弔うために建立しが、後世になってヒンズドゥー教寺院に造り替えられたとの事である。
途中、レストランで食事。機内で軽食を食べたので少ししか食べられなかった。S氏、M氏は椰子ドリンクを注文すると、椰子の実にストローを刺したものが出てきた。料理は味は唐辛子さえ気をつければどちらかと言えば甘めで、まあまあの味である。
カンボジア人民党の前にあった国王の写真 川面に映るイルミネーション
象に乗って!往路20$、復路15$ 頂上に建つプノンバケン寺院
西参道から見たアンコールワット 水面に映るアンコールワット
天国と地獄(左側に張付けの刑) 下が地獄(裁判)、上が天国
第一回廊に向かう。アンコールトムの第一回廊は内戦のため屋根が破壊されていたが、この回廊は屋根がある。
気がつくと2時10分、慌ててホテルに戻り、涼んでから午後の観光に出発。
午後2時半定刻に迎えのバスが来る。午後の予定はアンコールワットの見学とプノンバケンからの夕日鑑賞である。30分位でアンコールワットに到着。
レリーフの色は制作当初は灰色であったが、酸性雨等の影響で黒く汚れてきたとのこと。
民族舞踊衣裳を纏った人達 中央塔に安置されたお釈迦様
室内は、日本のビジネスホテルより、ゆったりした落ち着いて感じである。11時就寝
ホテルにチェックイン。フロントの横には仏像があり、廊下にはモニュメントが飾ってあり、改めて仏教の国にきたことを実感する。
出発時間が30分遅れるとのこと。4時間の休憩。ロビー内をうろつくと、2階にノイバイ・インターナショナルレストランがありうどん、ラーメン、天丼、カツ丼、うな丼などがあった。また、売店には瓶の中にコブラの入った酒があった。口が狭い瓶の中でとぐろを巻き、カマを持ち上げたコブラ。どうやって入れたのだろう。
空港ロビーには入ると直ぐにカウンターがありパスポート提示が求められる。我々は入国するわけではないのでSiem Reap 行きの矢印に従って進むと税関にぶつかり、再度荷物チェックを受ける。
15時50分(時差2時間:現地時間13時50分)にハノイに到着。比較的静かに着陸。腕時計を2時間戻し、機を降りる。
胸をたたくと響く祠堂 柱に掘られた仏像 塔の上部に彫られた彫刻
11時に昼食が出る。ジャンパーを脱ぎリュックに入れる。食事をすると直ぐに回収し。11時半には窓のブラインドを下ろされ、機内を暗する。強制的にお休み〜〜
裏道に入る。舗装されていないでこぼこ道だ。所々に屋台があり、竈に火を入れ、開店の準備をしている。声を掛けてくる人もいる。JICAの施設もあるようだ。(後で地図を見るとシェムリアップ病院の脇を歩いていたようだ。)
バイヨンには、49の巨大な観世音菩薩の四面仏塔が世界の四方を見渡しており、神秘的だ。49という数は当時のカンボジアの県(行政区画)の数を表したといわれる。
アンコールトム(アンコールは町、トムは大きな=大きな町)
千体仏の場所に森本右近太夫が安置したとされている。幾つかの仏が安置されているが首から上がないモノがある。盗まれたとの事。森本右近太夫の落書きです。黒い墨の字、赤い字などが見えるがどれが落書きか私には解らない。「御堂を志し数千里の海上を渡り、ここに仏四体を奉るものなり」と書かれているとのこと。
回廊を進むと、乳海攪拌がある。阿修羅と神様がヘビの胴体を引っ張り合っているレリーフで、天地創造の図と云われている。カンボジアの物語には無く、ヒンズー教の影響を受けている。その昔、神様と阿修羅が長い間戦っていた。あるとき戦いが早く終わるようにヴィシュヌ神というヒンズー教の神様が現れ、海の中に不老不死の薬がある事を教えた。阿修羅も神様も喜び、戦いをやめ協力して海を撹拌した。海は広いので海の真ん中で、マンダラ山を撹拌棒に、山の周りに大蛇(ヴァースキ)の胴体を巻き付け、尻尾の部分を神様が担当し、頭部を阿修羅が担当して引っ張った。両方が協力して引っ張ると山がくるくる回り海が撹拌できた。マンダラ山が海に沈みそうになったため、ヴィシュヌ神の1番目の化身大亀(クルーマ)が山を支えた。1000年間続いた撹拌の結果、海にいる魚やワニが撹拌の影響でバラバラになり、色々なものが誕生した。先ず海の泡からアプサラス(天女)が誕生した(レリーフの上部に描かれている)。その他、ヴィシュヌ神の妻のクラシュミーが生まれ、馬、象等も誕生した。最後の不老不死の妙薬(ムリタ)を見付け出した。神様の方が強かったので神様だけが薬を飲み不老不死になった。阿修羅と神様の撹拌のお陰で人間の世界が生まれたと言われている。
1960年、寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオの紹介により欧米に広く知られるようになった。西門の参道の石組みの修復は日本人の石工が指導しており、その様子はNHKプロジェクトXで紹介されたことは記憶に新しい事である。
アンコールワット(アンコールは街、ワットは寺院=寺院の街)
レリーフに描かれているものは、ほとんどがカンボジアの歴史である。生活風景や戦いの風景が表現されている。生活風景では、豚を鍋に入れたり、バーベキューしたり、米を炊いたり、酒(カンボジアのお酒は主に焼酎で、お米の焼酎以外に椰子で造った酒もある)を飲んだりしている風景が描かれている。
バプオン:内戦が多く起こった時代に王位に就いたウダヤディティヤヴァルマン2世が国家鎮護寺院として造ったもの。中央祠堂は3層の基壇からなるピラミッド型の寺院である。現在フランスの援助で修復中のため拝観できず。
世が造った広大な城壁都市。12世紀末〜13世紀始めにかけて建立された。中にはバイヨン寺院(大乗仏教)やバプオン寺院(ヒンズー教)などがある。喜怒哀楽を表している巨大な四面仏塔が林立するバイヨンを中心とし、一辺が3km四方の環濠と8mの城壁に囲まれ、南大門、北大門、西大門と東側の2つの門(王宮に通じる勝利の門と死者の門)がある。戦いに勝ったときの通るが勝利の門、負けたときに通るのが死者の門といわれている。宗教争いを防ぐためヒンズー教の思想を残しつつ、中心のバイヨン寺院は仏教寺院である点が興味深い。我々は東門から入り一番有名な南大門に抜けるコースを通った。
バスがやっと通過できるくらいの幅の勝利の門から入る。各門の上には喜怒哀楽を表す4つの顔がある。王様の顔という説と観音様の顔という説がある。入場券を首にかけ、バスを降り象のテラスに向かう。アンコールトムの中に元々王宮があったが、木造であったため腐ったりシロアリにやられて今はその面影もないとのこと。また、王宮の周りにはお堀があったが今は跡しか残っておらず、雨期になっても水は溜まらない。王宮前の広場には高さ6mのテラスがある。一角にはライ病(ハンセン病)に罹った王といわれているライ王の像がある。
カンボジア名物ロモーに乗って、市内見物。出発時間9時10分
6時15分過ぎ、アンコール・モンディアル・レストランへ行く。アプサラダンス・ディナーショーに参加した。遺跡のレリーフでお馴染みのアプサラダンスは天女の舞とも言われ、インドの古典舞踊から派生したものである。8世紀後半から9世紀生まれた宮廷舞踊で、神への祈りとして踊られた。壮麗な音楽とともに舞う天女達の姿は、息を飲むほど美しく、微妙な指のねじれや足の運びなどの優雅な動きと華麗な衣裳から「クメール文化の華」と云われている。
昼食はクメール料理。辛くなく、食べやすかった。
ガイドさんの薦めもあり、3日目はフリータイムなので、トンレサップ湖のクルーズ(午前中)を申し込む(35$/人)。1時過ぎにホテルに戻り、2時半まで昼休み休憩。
既に外気温は38℃位ありそうだ。折角カンボジアに来たのだから、何処か見るところがないかと地図を広げる。ホテルから10分程度でオールドマーケットに行けそうだ。カメラとペットボトルを首に掛けオールドマーケットに出発。
バスはマダムサチコが経営する土産物店に寄る。アンコールワットクッキーが有名とのことで、おみやげに30枚入(15$)2箱と20枚入(10$)1箱買う。露店でマンゴアイスクリームを売っていたので食べていた。甘めでおいしかった。
5時20分起床、外は真っ暗。本日の日の出は朝6時17分、日の入は18時14分。6時過ぎに食堂に行く。モンキーバナナ、パイナップル、スイカ、マンゴなどの果物がある。食後、ホテルの前の川辺を散歩する。仏教の町らしく袈裟を着たお坊さんの姿が目に付く。ホテルに戻る途中、隣のホテルから銅鑼を鳴らしながら出てきた一団に遭遇した。
川の畔にある公園にも象さん 橋にも欄干はナーガ(蛇神)
戦いのレリーフには、耳たぶの大きいカンボジア人と帽子をかぶっているチャンパ人(かつてベトナム中南部の栄えた王国)が互いに船に乗って戦っている様子が描かれている。チャンパ人がメコン川をさかのぼり、カンボジア最大の湖トンレサップ湖で戦ったといわれ、湖の中には魚やワニがおり、ワニが魚を咥えている状況も描かれている。
12世紀前半に30年余りの歳月をかけて建設された。スールヤヴァルマン2世がヒンズー教の神ヴィシュヌに捧げた寺院である。「死」を意味する西向きに建てられていることから、国王の墳墓としての役割を備えているためというのが定説となっている。当時のヒンズー教からの影響を受けた宇宙観、いわゆる都市計画を基礎に建築されたと言われている。中央祠堂はヒンズー教神話の中で宇宙世界の基軸とされる須弥山(メール山)を意味し、それを取り囲む回廊はヒマラヤの山々、環濠は海を意味している。この宇宙観はアンコール王朝が最初に都城を築いてから300年、試行錯誤の上、クメール芸術の集大成として完成されたものだ。人々はこの地に君臨する神々に、魂の救済を求めて集まった。(出典:るるぶ)
背中まで汗びっしょりで川縁を歩く。できるだけ木陰を探しながら歩くが汗が止まらない。観光客向けのスパやマッサージの店が結構ある。10分足らずでオールドマーケットに着く。マーケットの中に入ると時間を忘れそうなので、店を覗く程度にした。
南大門の高さは23mあり、上部に蓮の王冠を頂いた観世音菩薩の四面仏塔が東南西北を見据えている。また環濠に架かる橋は乳海撹拌をモチーフにしたもので、城門に向かって右側に阿修羅の像が、左側に神々の像がそれぞれナーガ(コブラ?)を抱えて各54体ずつ並んでいる。
宗教はヒンズー教の寺院でシバ神、ブラフマー、ヴィシュヌの三大神を祀ってある。遺跡の形は広島の原爆ドームに似ているといわれている。パプオンに至る橋を支えている柱は円柱形で美しい形をしている。両側は池になっており、参拝時の沐浴の場所となっている。現在は乾期のため水がないが、雨期には半分位の高さまで水が来る。橋は参道として造られた。
象のテラスは王宮前の広場に面した340mのテラス。ジャヤヴァルマン7世が王宮を整備する際、最初に造ったとされる。高さ3.5〜4mの壁いっぱいに象やガルーダの彫刻が施されており、式典や儀式に使われた。
かつて、象はアンコールトムの建立のための石の運搬に利用したり、戦争や猟などにも利用したことから、その鎮魂の意味もあったようだ。象使いの乗った象の姿も見られる。
ひろばの先に12個の塔が見える。十二支を示しているという説と綱渡りのための塔という説がある。病気になった時自分の干支の塔に入り、祈祷し病気を治したという話がある。
更に、闘犬、武道大会、闘鶏等、カンボジアの伝統的遊びやカンボジア人と中国人(ひげを生やしている)との共同生活、網で魚を捕ったり、狩猟の描かれたレリーフもあった。