愛染観音物語
良助ときくは、お寺の山で逢えるのが、何よりも楽しいひと時でした。二人は小さいときより仲の良い友達で、お寺によく遊びに行きました。良助の家は、大百姓であり、そこの一人息子でしたが、きくの家は、貧しい小作者なので、生活も楽ではなかったようでした。でも、お父さんが働き者なので、地主さんに大変好かれ、地主さんの家で、娘のように、可愛がられておりましたので、時々地主さんの用で、お寺にお使いに行きました。二人が親しくなったのは、花祭りの日に、先生である、和尚さんが、この二人を一緒の劇に出したことより、はじまったのでした。それ以来二人は仲良く遊びました。それから、十年経ち二人は、立派な若者になりましたが、相変わらず仲良しでした。近所の人達は、それを見て、『あの若い二人は随分仲がいいけど、良助はきくを嫁っこに貰うのかな・・・・・・・。』やがて、そのことは、村中の評判になりました。『良助ときくはできているだってなあ、身分が違うのに、良助のおやじさんは、よく二人を許したもんだ。』と口々に言いふらされるようになってしまいました。これを耳にした良助の親は、かんかんになって、『ばかにするな、あんな貧乏の娘なんか、おらあ家に貰うもんか。良助をうんと叱って、これからは絶対に、きくに逢わないようにさせてやる。良助が、あんな馬鹿だとは、思わなかった。』と、怒ってしまいました。また、人を頼んで、きくの家にも、怒って言ったので、きくの親も『きく、もう決して良助さんなんかに逢うんじゃないぞ。』と強く叱りました。しかし、二人にとっては、そんなことで別れることは出来ません。前々から良く知っている、お寺の山にある洞、如意輪観音様と、聖観音様が祀ってある場所に行き、逢う瀬を楽しみにしているのでした。でも、やがてそれも終わりに近づいてきました。きくの父親が勝手に決めた三分一の源次との話が進み、明後日は「足入れ」の式と決まってしまったからです。『きくちゃん、おれたちは、しょせん一緒になれないんだ。おれたち死んで、あの世とやらで夫婦になろうよ。どうだね、おれと一緒に死んでくれ。』と良助が言い、二人はしっかりと抱き合ったのでした。松の間より、漏れてくる十三夜の月光にきくの眼が美しく輝いていました。その翌朝、一晩帰ってこなかった二人を捜していた両家の親たちは、観音様の洞の前で、出逢いました。そこには観音様の洞の前でいかにも嬉しそうに、笑顔を浮かべて抱き合ったまま。死んでいる二人の姿がありました。二人を引き裂いたことを悔やんだ両家では、二人をいっしょに葬り、盛大な供養をしてその後、長い間親戚付き合いをしたと言われています。今でも、山の上の石洞には、二体の観音様が祭られており誰言うともなく「あいぜんさん」と、呼ばれていたと言い伝えられています。十三夜の月の美しい夜、観音様の石洞の前に行くと、二人の語らいの声が、松風の音と共に、ほそぼそと聞こえてくると言われています。