藍家の嫁取り大作戦
「あー、居たぁ!絳攸さん!!」
唐突に声を掛けられた絳攸は振り返り、ぎょっとなった。こちらに向かって駆けて来るのは藍家の十三番目の姫、楸瑛の異母妹の十三姫であった。
「お前!何してるんだ、ここで!?」
「何してるんだって、絳攸さんを探してたんじゃない。絳攸さんこそここで何してるのよ?」
十三姫が言う『ここ』とはつまり後宮である。十三姫は王の后候補として後宮に入っていたので、その際に警備が甘い箇所や抜け道などを知り尽くしていた。まさか文官の絳攸にこんなところで遭遇するとは思わなかったが、これは運がいい。
「う、煩い!仕事だ!!」
女嫌いな絳攸だが、十三姫の容姿はよく見慣れた少女のものと似ていた為、免疫があった。ふとその隣に見知らぬ女性が居ることに漸く気付く。
「…そちらの、女性は?」
自分のことを言われて、玉華は「初めまして」と笑った。
「何とも元気なお穣さんね」
義姉の天然発言に十三姫は思わず噴出すところだった。
しかし「元気なお嬢さん」と称された李絳攸(男)はそれどころではない。
「お!?」
お嬢さん!?俺を見て「お嬢さん」と言ったのか!?この女は。
初対面の女性に行き成り怒鳴るほど絳攸も人間出来ていない訳ではない。れっきとした大人だ。しかしあっさり聞き流せるほど大人でもなかった。
何だ?馬鹿にしてるのか?いや、しかしそういう表情でもない。ということは本気で言ってるのか?いや、しかし俺がどうしたら女に見えるというのだ?
絳攸がぐるぐると考えていると、十三姫が玉華を紹介した。
「兄様のお嫁さん」
十三姫は敢えてそう紹介した。間違ってはいない。間違ってはいない…が。
「兄様…!?まさか楸瑛の…」
絳攸の頭は咄嗟に『十三姫の兄=腐れ縁の常春男』の図式を叩き出した。
「ええ。楸瑛兄様の(兄様のお嫁さん)」
言葉って難しいわねぇ、と思いながら十三姫は敢えて省略して返事をした。それに玉華が追い討ちをかける。こちらは悪気無く。
「楸瑛がいつもお世話になっております」
絳攸はその呼び方だけで、この女性が楸瑛の特別な存在なのだと悟った。今まで楸瑛ことを呼び捨てにする女に会ったことは無い。
あの男は腐っても名門藍家の直系男子だ。家の都合で嫁くらい取る。政略結婚だってする。
けれどもこの女性からはそんな雰囲気は感じ取れなかった。あるのは本当に身内に寄せる情の様な、優しい温かいものだ。家や一族の為だけでは無いのだろう。屹度あの男自身の意思でこの女性を選んだ…そういうことだ。
ふと視線を落とすと、持っていた宮城の見取り図がいつの間にかぐしゃぐしゃになっていることに気付いた。そっとそれを持つ手の力を緩める。やけに手の先が冷たいような気がした。
…言えるだろうか、自分は。あの男に「おめでとう」と。
急に静かになった絳攸の様子に不思議に思いつつも、玉華は話し掛けた。
「絳攸さん、でよろしいのですよね?私、貴女にどうしてもお会いしたくて藍州から来てしまいましたの」
「藍州から!?」
意味が解らない。何故自分に会う為に楸瑛の嫁がわざわざ藍州から来なければならないのだ。しかしそんな疑問など、続く玉華の言葉で吹っ飛ばされることになる。
「ええ、それなのに楸瑛ったら意地悪ですのよ?お腹の子に障るから早く帰ってくれ、だなんて」
その時の絳攸の顔を見て、十三姫はやり過ぎたかもと僅かに後悔した。しかし次の瞬間には、まぁ面白そうだからいいか、と考え直した。…十三姫も紛う方無き藍家の人間だった。
「……こ、子供が…」
「絳攸さん?」
虚ろに呟く絳攸に玉華が声を掛けたその時。
「絳攸っ!」
慌ててこちらに駆け寄ってくる影があった。
「楸瑛兄様!」
「あら、楸瑛なの?」
義姉と異母妹の前まで来た楸瑛はがっくりと肩を落とした。
「二人ともこんなところにいたのか…。あれほど大人しくしていて下さいと言ったのに」
と言いつつも、何もしない訳はないと踏んで家人に見張りを頼んでおいて良かった。
「さ、軒を用意させますからお帰り下さい。十三姫も、ほら。送って差し上げて」
そこで、何故か元気の無い絳攸に顔を向けた。
「絳攸?ごめんね、二人が迷惑をかけたかな」
「……帰すのか?藍州に」
「え?ああ、うん」
何故絳攸がそんなことを問うのか分からなかったが、とりあえず頷く。
「…俺が…こんなこと口を挿むことじゃないが、やはり…家族は同じところにいるべきだと思う」
その言葉には楸瑛だけでなく、十三姫と玉華も「え?」という顔になった。
「貴陽に呼べばいいだろ?やはり家族は…いや、夫婦は同じ釜の飯を食ってだな、」
「ええと、絳攸?」
「いや、違う!…そんなことが言いたいんじゃなくて……」
何か色々と衝撃を受けすぎて、頭が上手く回らない。
本当は「何故黙っていた!?」と怒って問い詰めたいと思った。けれどそんなことで怒る方がどうかしているのかもしれない。別に楸瑛が自分に報告する義務なんてない。
でも、それでも。
こんな風に知らされるとは思わなかった。
「知らなかったんだ…。子供が出来たなんて…俺、」
「え?」
絳攸の言葉に楸瑛は数度、目を瞬かせた。
ええと、子供?絳攸は「子供が出来た」って言ったの?誰に??
というか、何故絳攸はこんなにも思い詰めた顔をしているの?
…え?…まさか、絳攸に!?そんなまさか!?あの絳攸に限って!?一体いつの間に目覚めたんだ!?男女が枕を並べて寝るだけで子が出来ると思っていた初心な絳攸が!?
いや、しかし絳攸とてれっきとした成人男性。酒の勢いとか、媚薬を盛られたとかそういうことだってあるのかもしれない。屹度、私が傍に居なくて寂しかったに違いない。
しかも知らなかったってことは、やはり酔った勢いというやつか。
くそう!私だってまだなのに、なんて羨ま…いやいや。
こんなことになるなら、実家になんて帰るんじゃなかった!まさか、想い人が知らぬ間に父親になっていただなんて…!
…ここでまた一つ誤解が生まれたことに、本人達だけが気付いていなかった。
「そんな泣きそうな顔しないでよ…」
楸瑛はそっと絳攸の俯いた頬に手を添えた。絳攸は「そんな顔していない」と小さく呟くだけだった。女嫌いを公言してきた絳攸に、この事実は衝撃が強かったのだろう。
けれども。
泣きたいのは私の方だ、と楸瑛は心中で呟いた。
「…結婚、するんだ…」
楸瑛の言葉に絳攸の肩がビクリと揺れる。
責任感の強い絳攸のことだ、その娘と結婚するんだろう。だから夫婦は云々と先程言っていた訳か。
こんな形で長年の想いに終止符を打たれるとは思わなかった。
…嗚呼、でも。それでも。
「…それでも、君への私の気持ちは変わらないよ」
楸瑛はぎこちなく見えないように精一杯の顔で笑った。
「え?」
思わぬ言葉に絳攸は顔を上げた。
「大丈夫、三人で結婚しよう」
「………………………………………は?」
こいつは今なんて言ったんだ?結婚?三人で??三人って楸瑛と楸瑛の嫁と…俺?嗚呼、そういう手も………あるかぁぁぁ―――――っっっ!!!
「重婚は犯罪だっ」
「法なんて愛の前では無いも等しいよ」
「無い訳ないだろ!この万年常春発情期男っっ!!!」
「そんなこと言って、君だって私を差し置いてやることやってるじゃないかっ」
「はぁ?」
「黎深様にはもう言ったのかい?」
「何故そんなことを黎深様に報告しなければいけないんだ!?この恥知らずめっ」
「そんなことじゃないだろ、大事なことだよっ。相手は?一体どこの娘なんだい!?女官?妓女?」
「お、おい!どこの娘って、」
「その子供も三人で育てよう!君の子なら大丈夫、ちゃんと愛せるよ!」
「き、貴様は何の話をしているーっ!!!!何が三人で、だ!?俺は貴様の嫁なんぞと暮らしたりしないっ!貴様は勝手に結婚でも子育てでも何でもすればいいだろ!?俺を巻き込むな!俺はもうお前なんか……おい、何て間抜けな面してるんだ」
そこまで一気に捲くし立てた絳攸だったが、楸瑛の顔が余りに変だったので思わず口を止めた。
「えーと…話が見えないのだけど…」
楸瑛は恐る恐る口を開いた。
「だから!結婚するんだろ!?」
「…誰が?」
「お前が!」
「…………子供が出来たってのは?」
「だから!お前に子供が出来たって」
「…………そう聞いたの?十三姫と義姉上から?」
「ああ……って、姉?」
「十三姫と私の兄で藍家の三つ子当主の長兄の奥さん。つまり私の義理の姉なら現在妊娠中だけど?」
「……………………お前の兄の嫁?」
「うん」
「………………………………………」
「……何か、ものすごい誤解があったようだね…」
「…っ!」
その時の絳攸の顔は見事だった。ぼっと火が出たように顔が一瞬で赤くなった。
「ぶっ!」
その様子に楸瑛は堪らず噴出す。けらけらと腹を抱えて笑われ、その状況に耐えられなくなった絳攸は怒鳴る。
「笑うな、このっ禿げ!」
「ちょ、絳攸!私のどこが禿げなんだい!?」
常なら照れから出た言葉なのだと笑っていられるが、その言葉は聞き流せなかった。
「煩い、禿げ(予定)!!」
ここが宮城の中、しかも後宮ということも忘れて朝廷随一の才人の誉れ高い鉄壁の理性・李侍郎は叫ぶ。それに対して、泣かせた花は数知れず貴陽きっての色男、左羽林軍将軍・藍楸瑛も叫び返す。
「何っ!?その(予定)って!!」
「大体!お前だって散々可笑しなこと言い散らしてだろっ!」
「あ〜、それはそうだけど」
「どこをどうして三人で結婚とかいう話になるんだ!…そういえば君の子がどうとか言ってたな、お前!まさか…!!」
「いや〜てっきり君に子供が出来たのかと思ってさ」
「そんな訳あるかっ!」
「嗚呼、そうだよね。君が産むのは私の子だけだものね」
「ちょっと待てっ!誰がお前の子など産むか!というか、産めるか!!!」
「照れない、照れない。君の心も体も私のものだよね」
「ふ、ふ、ふ、ふざけるなっっっ!!!!」
「………玉華義姉様」
「なぁに?」
「帰りましょうか…」
途中までは爆笑しそうになるのを何とか堪えていた十三姫だったが、今は半目になってそう玉華に提案した。
何だ、コレは。絶対あの二人は自分達の存在など忘れているに違いない。
「そうね、あんな楽しそうな楸瑛初めてだわ。これなら心配ないわね」
楽しそうっていうか、必死っていうか。まぁ、兄様らしいということだ。もういっその事何も言わずに去ろうかと、十三姫は思った。が、痴話喧嘩を繰り広げる二人に義姉は構わず声を掛けた。
「楸瑛、絳攸さん、私達帰りますわね」
「へ?」
「あ、はい」
楸瑛の襟を掴んでいた絳攸と、その絳攸の腕を掴んでいた楸瑛はやっとこちらに顔を向けた。十三姫と玉華の存在を思い出した絳攸は慌ててその手を離し、楸瑛から距離を取った。代わりに玉華が数歩、楸瑛に歩み寄った。
「お二人を聞いていたら、私も雪那さんに会いたくなってしまったわ」
出逢った時から変わらぬ笑顔で、義姉は笑った。それに楸瑛も微笑み返す。
「兄上達を頼みますね」
「帰ったら卵焼きを作ってさしあげるつもり」
「甘いやつですか?」
「もちろんよ」
屹度、兄達は「甘い卵焼きなんか邪道だ」なんて文句を言いながらも完食することだろう。この女性が兄の大切な人で本当によかった。兄達のことを頼める女性など、彼女しかいない。
心を温かな想いで満たしていると、玉華はすっと手を伸し楸瑛の頬を撫ぜた。
「あ、あ、あの義姉上!?」
玉華は義弟の顔の形を確かめるように、ぺたぺたと触る。
「楸瑛、やっぱり私の言った通りになったでしょう?」
実に楽しそうに彼女は言った。
「…ええ、本当に。義姉上の言う通りでしたよ」
玉華の言葉に僅かに瞠目した後、楸瑛は思い出した。あれはまだ自分が十八の頃。国試を受ける為に藍州を離れる前、彼女は言った。
『貴方も…見つけるわ。必ず』
あの時は「そんなの、知らない」と突っぱねたことが今となっては懐かしい。楸瑛はゆっくりと瞳を伏せた。
「絳攸でなければ駄目なのです」
「それは思い込みよ?」
「ええ、酷く自分勝手で能天気で幸せな思い込みです」
その答えに玉華は満点をとった子供を褒めるみたいな顔になった。そして義弟から手を離し、夫達から頼まれたもう一つの事柄について当事者に告げた。
「それで、お二人の結婚式の日取りなのですが」
「結婚式!?」
「ええ、早い方がいいだろうって雪那さん達が…」
「楸瑛っ!やはり貴様、結婚するんだろっ!?」
それまで黙っていた絳攸だったが、再び「結婚」の二文字で楸瑛を問い詰める。しかしそれに答えたのは玉華だった。
「あら、もちろん楸瑛と絳攸さんの結婚式ですわよ?」
「はぁ!?…楸瑛っ!!これはどういうことだぁ!説明しろっっ!!」
「それが私にもよく…」
「はいはーい、そこまでね」
また痴話喧嘩が始まりそうになったので、十三姫は無理矢理二人をひっぺがすことにした。
「うん、まぁ結婚云々は置いといて、私達が出るまでもないみたいだからほんともう帰るわね」
「え、ああ。気を付けるんだよ」
じゃあね、と去りかけたところで十三姫は思い出して、兄のところではなく絳攸に向かって言った。
「絳攸さん、私に言ったこと兄様にも言ってやってよ」
それだけ言い残して十三姫は玉華の手を引いて去って行った。十三姫の言葉に絳攸は首を傾げる。
俺、何か言ったか…?
『ね、兄様のこと好き?ちゃんと正直に言って。じゃないと接吻するわよ』
『……好きだ』
「…っ!」
数泊考えた後、絳攸は思い出した。
「え、何?何言ったの?」
青くなったり赤くなったりする絳攸の顔色に楸瑛は問いかけた。
「う、う、煩い!何でもないわっ!」
「あ、何?もしかして私への告白?」
「黙れ!常春!!…大体!お前は姉や妹相手でもベタベタしているのか!恥を知れっ」
話を摩り替えようとしたが、思わぬ言葉が出てしまった。本当は義姉に頬を触られて、面白いくらいに動揺する楸瑛が面白くなかったのだ。しかし言った後に後悔した。楸瑛がにたりと笑う。
「もしかして、妬いてくれたの?」
「なっ!馬鹿か!?そんな訳ないだろ!?」
思いっきり否定しているのに、相手は嬉しそうに笑うだけだった。不愉快だ。
「ところで、絳攸。君が紅尚書の前で舞ったのってさ、『想遥恋』?」
王の執務室に(ようやく)向かいながら、楸瑛は少し後ろに下がって歩く絳攸に話し掛けた。
「は?何だ、突然」
「ん?気になってね。で、どうなの?」
「そんな訳あるか」
「よかった」
「…な、んだ、や、妬いてたの、か?」
「うん」
今日は散々楸瑛に…というか藍一族に振り回されて面白くなかったので、先程の仕返しのつもりで言ったのに。そんなあっさり返されたら、こちらの方が頬が熱くなる。くそっ、不覚だ。
自分で言った癖に赤くなる絳攸を見て、兄達に任せて結婚の話を進めてもらってもいいかな、なんて思ったことは絳攸には内緒にしておこう。絳攸が焼餅を妬いてくれただけでも、兄達には感謝しようかな。
…もっともそう感謝したのは、結婚式の招待状(自分達が主役の結婚式なのに、何故か招待状)が兄達から届くまでの間だったが。
「いや、本当にもう勘弁して下さい。戦争になりますから。現に今!私、命狙われてますから」と楸瑛は涙ながらに兄達に書状を送ることになる。
*************
馬鹿っぷる双花。…可笑しい。ここまでアホ全開になる予定ではなかったのに(汗)ほら、恋は盲目っていうしねっ。原作「白虹は〜」で満たされなかったからかなぁ…。
玉華の設定はしばらくそのままでいきます。双花前提なら十三姫も玉華も全然OK!むしろ書いてて楽しい。
07/9/14