青嵐の後に残るものF(完)
街の診療所で目を覚ますまで、夢を見ていた。血に汚れた手でどこまでも暗闇の中を彷徨っていた。どれ程彷徨ったか、気付くと目の前に眩しい光が在った。その光の中に居たのは薔薇の様に艶やかに微笑む女性だった。
「奥様に会ったんです。そなたが羨ましいとおっしゃいました」
珠翠はぽつりと、邵可に漏らした。
「…後悔はないって言ってたのにね」
「え?」
邵可が苦笑いで言った言葉を珠翠は拾いきれなかった。
「何でもないよ」と言いつつ、思う。あの女性は「それとこれとはまた別じゃ」そう、言うだろう。
不思議そうな顔をする珠翠に邵可は違う話題を振る。
「それより、良かったのかい?」
「何がですか?」
「藍将軍のことだよ。君達は結構、お似合いだと思ったんだけどね」
「止めて下さい!」
心底嫌そうな顔で珠翠は首を振った。誰より邵可にそんなこと言われたくはない。
目の前にある大事なものにも気付かず、不幸ぶった男は嫌いだ。あんな贅沢な男につい御節介を焼きたくなったのはただの気紛れ。
「藍将軍なんて、図体ばかりでかくて可愛くない子供みたいな赤の他人です。弟にするなら主上を弟にします」
邵可は「そうかい」と言って笑った後、口調を改めた。
「リオウ君がね、君の体について言ってたんだ」
真剣な眼差しだった。珠翠の体が僅かに強張る。
リオウは珠翠を気遣って姿を現さなかったが、劉輝や邵可には珠翠の体について話していた。父親と違っていい子だと思う。
「…邵可様、大丈夫です。自分でも何となく、判っていますから」
珠翠は痺れが抜けない己の手先を見詰た。
日常生活はこなせても、こんな体では殺し屋は勿論、今までのような宮廷務めは無理だろう。
「珠翠、うちに来ないかい?」
「え?」
邵可の申し出に珠翠は顔を上げた。
「これは年寄りの戯言だと思ってくれていい。…きっと近いうちに秀麗も静蘭もあの家からは出て行く。…あの邸に一人は広過ぎる」
少し寂しそうに彼は笑った。
「邵可様…」
「もちろん、君さえよければだけど」
断る理由など、何も無かった。
「はい、邵可様。ずっと貴方のお側に」
この心と命が尽きるまで。
貴陽に戻ってみれば、やはり自分はいい笑い者だった。付いた渾名が「出戻り将軍」。はっきり言って笑えない。加えて大将軍二人には頭が上がらない。いや、もともと上がらなかったのだが。でもまぁ彼らのお陰で将軍職に復帰できたのだから感謝しなくては、と思いながら、楸瑛はほとほとと廊下を渡っていた。
絳攸に持って来る様に言われた書物を探す為、府庫を訪れた。
しかし、府庫に居たのは府庫の主ではなく、その弟だった。
「尻尾を巻いて藍州へ逃げ帰ったかと思えば、まだあれの周りをうろついていたか」
…返す言葉もない。
今更回れ右する訳にもいかないが、全身に突き刺さる殺気が痛い。
「何だ、逃げぬのか?」
その冷笑に、心に冷たいものが落ちる。
「見くびらないで頂きたい」
笑う余裕は無かったが、声は通った。
それでも、相手は「はっ」と一笑しただけだった。
「例えお前を殺したとしても、あれは私を責めん」
嫌な例えだな。例えでも事実だろうから、凹む。
「責めん…が、」
相手は不自然に、言葉を切った。
続きを言う気は無いらしく、その口元を扇で覆ってしまった。
「黎深殿」
「覚えておけ。あれに後悔させた時が貴様ら一族の最期だ」
「…肝に銘じます」
上官に対する正式な礼を取って、楸瑛は府庫を後にした。
「黎深、あんまり藍将軍を苛めないように」
邵可は黎深と楸瑛の対峙が終わると、そっと本棚の影から出て弟を嗜めた。
「兄上」
「絳攸殿に親離れ宣言をされて悲しいのは分かるけど…」
黎深は兄に対して珍しく、恨めしい顔を向けた。
「…兄上はあの娘を引き取るそうですね」
一体どこからその情報を仕入れてくるのやら。
「珠翠のことかい?あの子は他に行くところがないんだよ」
「だったら、私も!兄上の御宅に!!」
「何言ってるんだい。君には百合姫っていう素晴らしい奥さんが居るだろう?」
「そんな!…だったら百合も連れて行きます!!」
邵可は大きな溜息を吐いた。
「うん、まぁ取り合えず、今度の休みにでも遊びにおいで。百合姫とね」
今日も今日とて藍州の湖海城の一室ではある会議が開かれていた。同じ顔をした男が三人、ある報告書を囲んで座って居た。
「雪、どうだい?」
一人が問えば、報告書を手にした長兄が顔を上げる。
「首尾は上々…かな」
その言葉に残りの二人は満足そうな笑みを浮かべる。
「やはり司馬迅の存在は効果あった様だね」
「そう、名付けて『楸瑛の親友は俺だ!作戦』」
末っ子が居たら、「その作戦名は風流ではないぞ、愚兄達」と言ったかもしれないが生憎彼は絶賛放浪中だ。
「幼馴染かつ親友の登場に妬かない筈はない」
「十三姫もなかなかいい仕事をしたね」
「縹家も偶には役に立つ」
「さて、次は」
「同性でも結婚できる婚姻制度を取り入れようと思うのだが…」
本人達の知らぬ処で、話は着々と進んでいた。
麗かな日差しが差し込む王宮の執務室で、彩雲国王は団子を食していた。
「美味いのだ〜。秀麗の作る饅頭と張るとは思わぬか?」
劉輝はこの上なく幸せそうに、同じく団子を食する臣下二人を見回した。
「確かに美味いが…零すな」
団子を食べようと言い出した王に流され休憩を与えたものの、優秀な吏部侍郎はしっかりと指摘する。
「主上、食事というのは食べ物そのものの味はもちろんですが、誰と食べるかというのが重要だと思いませんか?」
劉輝はあわあわと落とした滓を拾いながら、出戻り将軍の言葉に頷く。
「うむ、そうだな」
ほのぼのとした空気が流れる。
が、絳攸は先程からずっと気になっていたことを指摘せずにはいれなかった。
「お前な、何で下の団子ばかり食べるんだよ?」
楸瑛は串に三つ付いた団子を何故か、一番下しか食べていなかった。実にもったいない。時々、この男はよく判らない行動をすることがある。先程も頼んだ書物を一冊も借りることなく府庫から帰って来た。「何しに行ったんだ」と言えば「厳しい戦いだった。でも、君の為に頑張ったよ」と訳の判らぬことを抜かしていた。
絳攸の指摘に、楸瑛ではなく劉輝がはっとした顔をした。
「…楸瑛、そなた」
劉輝が何か言う前に、楸瑛は絳攸に対してにっこり笑った。
「知りたい?」
その笑みに何故か悪寒が走る。
「絳攸!気を付けた方がいいぞ!!」
絳攸には劉輝が慌てる意味が判らない。
「何をだ?!判る様に説明しろ!!!」
そう劉輝に言うと、彼は急に大人しくなった。
「いや、それは聞かない方がいいのだ」
益々意味が判らない。困惑する絳攸を余所に、劉輝は自分を落ち着ける為に茶を一口含んだ。
その時、二人のやりとりを大人しく見ていた楸瑛が動いた。
「君こそ、口の横付いてるよ?」
絳攸が「へ?」と思った時には既に遅く、楸瑛の舌が絳攸の口を舐める。
「ぎゃー!!!」
「ぶっー!!!」
絳攸の絶叫と劉輝の茶を噴出す音が重なる。
「楸瑛っ!!」
真っ赤になった絳攸が楸瑛に掴みかかる。楸瑛はそれをへらへら笑って受け止める。
…この二人は。
劉輝は遠い目をした。
以前通りどころか以前以上に仲がよい。何だろう、この新婚家庭にうっかり居候してしまったかのような居心地の悪さは。いちゃいちゃいちゃ…と効果音が聴こえてきそうだ。確かここは、執務室の筈。そして、自分は王である筈。
…でも、まぁ自分の大事な者達の仲がいいのは喜ぶべきことなのだ。うん。
絳攸もまんざらではないように…見えなくも無い。多分。
余も今夜は秀麗に会いに行こう。うん。一緒に団子を食べよう。
劉輝はそう決めて、窓の外を見やった。
いい天気だ。
季節は春。
雅に、春真っ盛り。
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くっつける為に妄想したのに、結局くっつききらない。そんな双花でした。
全ては三兄の計算通り(笑)最後は壊れる出戻り将軍と流される迷子と肩身の狭い王様で(笑)
原作「青嵐に揺れる〜」は双花愛の序章だと信じて…。
07/7/2