もう一つのお見舞い戦線
青椒(ピーマン)と筍、大蒜。生姜はないのでしょうが…いや、仕方ない。これらの野菜は細切りに。
豚肉は青椒の長さに合わせて、まず肉の繊維に対して垂直に切り、その後細切りにする。
如何してこんなことになったのか。
確かこの家の少女が熱を出して寝込んでいると聞きつけて、それではお見舞いに…と。ここまでは自分達の意思だったのだが、何故か今は人様の家で青椒肉絲を作る羽目になっている。これは自分達の意思というよりも、ある人物の思惑が働いている。その人物は「卓の用意をして来る」と言ってこの場にはいない。
楸瑛は隣で黙々と野菜を刻んでいる相方の姿を盗み見た。彼、李絳攸の料理をする姿とはとても貴重である。以前、彼が作った(というか養い親に作らされた)饅頭はやたら独創的な形をしていたのだが、今回はどうだろう。
どれどれと、楸瑛は絳攸の手元を覗き込んだ。
「………何というか…君ってほんと学問以外は不器用だよね」
如何にも「必死です!」という感じで切り揃えられた野菜達を見て、楸瑛は呟いた。まぁ、その必死さというか真面目さが微笑ましいのだけれど。
絳攸はかっと頬を染めて、勢いよく振り返った。包丁を握ったまま。
「ちょ、絳攸。危ないなぁ」
「煩い!勝手に覗くなっ!」
自分が不器用という自覚があるだけに余計腹が立つ。
「お前こそ肉は切れたのか!?」
「ん?まぁね」
楸瑛が切った肉片を見て、絳攸は軽く落ち込んだ。
初めて包丁を握った人間としては上出来なのではないか。少なくとも素人目では。
「―っくそ!」
「そんなに気にしなくていいよ。私は昔からこう…器用な性質でね」
「自分で言うな!」
「それに軍でも強化合宿があって…自分達が食べる物位調達できないと生きていけないから…」
「料理するのか?」
確か包丁も握ったことがないと言っていた筈だがと、意外という顔で絳攸は聞いた。
「料理というか…そんな凝ったことではなくてね……。でも、どんな草が生でも食べれるかとか、熊肉は臭いが手はなかなかの珍味で美味いとか……………詳しくはなったよ」
無理矢理爽やかな笑顔を浮かべたところで、ちっとも効果を表してやいない。
「………そうか。武官も大変だな…」
きっと味付けなどは皆無だな。文官でよかったと、絳攸は心の底から思った。
あまりしゃべっていてもこの邸の家人に睨まれそうなので、絳攸は作業を再開した。
それにしても、王家に次ぐ家の直系が草を食べているというのは…可哀想というか憐れというか情けないというか…ざまぁみろというか………。
途端、指先に軽く痺れる様な痛みが走った。
「――っ!」
考え事をしていたために、手を切ってしまった。
さほど傷口は深くないようだが、みるみる赤い粒が大きくなっていく。
「絳攸、大丈夫かい?」
楸瑛が手首を掬い取る。
大丈夫だ、という言葉は絳攸の口から発せられることはなかった。
ふいに感じた舌のざらついた感触に絳攸は言葉を飲み込む。
「な…!」
続いて絳攸の左人差し指は生暖かい口内に包まれた。
放せ、と手を引こうとしたが力の強い楸瑛の手を振り払うことはできなかった。
寧ろその光景から目を離せなくなってしまった。…不本意だ。
楸瑛的治療が終わり、ようやく絳攸は解放された。
「馬鹿か!!貴様は!!!!」
勢い良く手を引っ込め、キッと楸瑛を睨み付けた。しかし睨み付けられた方はそんなことはいつもの事だった為、しれっとしていた。
「おや?顔が赤いよ、絳攸」
それどころかからかうことも忘れない。
「だ、誰がだっ!!!気色悪いことするなっ!こんなこと貴様は女だけにしていればいいんだ!!!」
舐められた指をもう片方の手で覆い、耳まで赤く染めて怒鳴ってくる相手に楸瑛は更に笑みを深くした。
「そんなに照れなくても…」
ふいに楸瑛は背筋に悪寒を感じて言葉を切った。人の気配に敏感でない絳攸も空気中を只ならぬ気が漂っていることが判った。
この邸の家人の声がした。
「せ、静蘭…これは…」
楸瑛が何か言い訳する前に、ドス黒い空気を漂わせた家人は絳攸に視線を合わせた。
「申し訳ありませんが、絳攸殿は庭の畑から汁物に使う白菜を取ってきていただけませんか?」
言葉遣いは「お願い」なのに、響きは「命令」だった。
「…ああ」
相手は変わらず笑顔なのに恐いと思うのは何故だろう。
絳攸が庖厨を出ていくのを楸瑛はなんとなく見送った。
「藍将軍はお嬢様のお見舞いにみえたのではなく、絳攸殿をからかいに来たのですか?」
静蘭の責めるような質問を受け、僅かに顔がひきつるような気がする。
「そんなつもりもなかったのだけれどね…」
「いい加減止めたらどうです?そんなことばかりしていても何も伝わることなどありませんよ」
静蘭の言葉に楸瑛は瞠目した。いつものように笑って流そうとしたが、出たのは苦笑いだった。
「…気付いていたのかい?」
「ええ」
「どうして本人は気付かないのかな」
「藍将軍の愛情は子供と同じですからね」
「……………言うねぇ君も」
好きな子程苛めたくなる…強ち間違ってもいない。そんなのに好かれても相手も迷惑だなと、客観的に思う。大体、相手に気付いて欲しいかどうかでさえも自分ではわからない。ずっとこのままで居れる筈などないのかもしれない。変わることを望みながら、それでも――――。
「あまりに今の居心地が良過ぎて、変わることが恐い。君だってそうだろ?」
そう、自分は恐いのだ。「藍楸瑛」ともあろう男が。こんなこと誰にも言えないと思っていたが、目の前のこの男には昔からけちょんけちょんに貶されてきたので…今更だ。
元公子様は質問には答えず…代わりに心まで凍り付くような微笑を浮かべてこう仰った。
「藍将軍、手が止まっていますよ?さっさと完成させて下さいね」
「それにしても絳攸殿遅いですね」
「青椒肉絲は青椒の香りが命だから、火を通しすぎるな」だとか「水の量は正確に」だとか家事の玄人に駄目出しをされて幾分か疲れた楸瑛だったが、静蘭のその言葉にくすりと笑った。
「また迷ってるのかもねぇ」
「え?迷うといっても庭までほんの少しかないですよ」
というか、ここから見えるのでは…。
「君には信じられないかもしれないけど、ほんの
楸瑛は実に楽しそうにそう語った。
「では私が…」
探しに行きかけた静蘭の肩を楸瑛は掴んで止めた。
「私が行くよ。絳攸を連れ戻すのは私の役目なのだから」
なんとも嬉しそうに笑う。こんな顔をしていれば年相応に見える…と自称21歳の青年は思った。
「早く戻ってきて下さいね。まだ料理が途中ですので」
「……………………………はい」
―――そう、私だけの役目なのだ。
突き刺さる視線から逃げるように一歩を踏み出した。
―――さぁ、迷子の君を迎えに行こう。
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外伝@での「お見舞い戦線異状あり?」の裏側(?)です。
静蘭によって神経を擦り減らされた楸瑛は、絳攸に癒されに行くのです。しかし、気をつけないとうっかりお養父さんに出くわして更に神経を失うことに…!
2006/12/19