23時のシンデレラ
「お部屋に遊びに行くって言ってたのに、アスランたら寝ちゃっみたいでぇ〜」
フロント係は間近に見るラクス・クラインに、顔を赤らめた。
「そ、そうですか!こちらがお部屋の鍵になりますっ!!」
と、彼女の婚約者が泊まっている部屋の鍵を渡した。完全に声がうわずっている。
「ありがとう」
ラクスは模範的なニッコリスマイルを浮かべる。
自分に向けられるラクスの微笑みにフロント係は沸騰寸前だ。
コンコン
鍵を持っているのだから、今更ノックする必要のないことに気付く。
「アスラン?入るわよぉ…って本当に寝てるしぃ」
ベッドではアスラン・ザラが浅い寝息をたてていた。熟睡中だ。これでは、嘘が本当になってしまう。
「も〜久しぶりに婚約者に会ったってゆーのにぃ」
ガッカリっと効果音を口に出してみる。
「婚約者かぁ…」
自分の言葉が宙に浮いている。
「あたしは…偽者だけどね」
自然と自嘲的な笑みになる。
『本物の彼女が戻って…』
数時間前の議長の言葉が蘇る。
―――きっと、あたしのラクス・クラインももうすぐ終わる―――
予感ではなく、確信だった。
『名前はその存在を示すものだ。ではそれが偽りだったとしたら…?』
「…ん」
部屋の空気がかわったことに気付いたのか、アスランが身じろぎをした。アスランが起きている予定で来たのに、このまま起こしてしまうのはもったいないような気がしてきた。アスランの寝顔をずっと見ていたい。こんなに近くにあの人がいる。
ラクス・クラインというプラントのアイドルを名乗る、ミーア・キャンベルという少女の意識は過去へと戻っていく。
街頭モニターからはプラントのアイドル、ラクス・クラインの歌声が聞こえてきた。ミーアは足を止め、歌姫を食い入るように見つめる。
強くて、綺麗で、優しくて…みんなに愛され、必要とされている少女。自分も大好きな少女。
そして、誰にも必要でない自分。
ミーアがモニターから目をそらし掛けたとき、映像は軍のものへと変わっていた。クルーゼ隊長の横に、アスラン・ザラの姿があった。ミーアは眩しいものを見るように、目を細めた。
アスランとラクスが婚約していることは、プラント中が知っている。もちろんミーアも。2人は同年代の者達には、憧れの恋人像のように語られている。
彼等と自分は明かに住む世界が違う。
吐息とも溜息ともつかぬものを残して、ミーアはその場を離れた。
その後戦争は拡大し、大きな被害をもたらし…終結した。戦争が終わり、平和が訪れたかのようにみえた。しかし、戦争は再び始まってしまった。
前の戦争が終結した後、ラクス・クラインの姿は国民の前から消えた。アスラン・ザラの姿も。
ミーアはラクスの歌を歌った。声が似ているとよく言われた。ラクスの歌を歌うとみんなが、足を止めて聴き入る。
そんな日々を過ごしていると、ある日スーツ姿の2人組がミーアを訪ねてきた。
「ミーア・キャンベル様、議長がお呼びです。どうぞ、こちらへ」
わけもわからず連れていかれた部屋で、ミーアは驚くべき計画を打ち明けられた。
「あたしがラクス様の代わりに?」
ギュランダル議長は口を笑みに形にしたまま、静かに頷いた。
「君の力が必要なんだ」
体に電気が流れたような衝撃があった。
―――必要?あたしが?
ミーアの両親はすでにこの世にいなかった。
もう誰かに必要とされることなど、ないと思っていた。
ミーアはギュランダルの提案を二つ返事で受け入れた。その時からミーア・キャンベルはラクス・クラインになった。…そして初演説の日、アスランに会った。
彼はあたしが偽者だということに気付いた。だから…
『ミーアよ。ミーア・キャンベル』
と、彼だけには名乗った。
あの時のアスランの困惑した顔は思い出すと笑みが零れる。
―――都合のいいあたし
ラクスでいることを望みながら、彼にはあたしを見て欲しいと思っている
目の前では当の本人が無防備にも眠っている。軍での生活はよほど気を張り詰めているだろうことが、窺える。
―――本当はずっとこのままでいれることを願っている
でも…きっとそれは……
だからせめて、今だけは―――
「おやすみなさい、アスラン」
そっと額に口づけをする。ラクス・クラインという彼の婚約者としてではなく、ミーア・キャンベルという彼に恋する者として。
「大好きよ」
魔法が解ける、その時まではあなたの歌姫でいさせてね。