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    立教173年(平成22年)9月18日発行 第257号
    7月月次祭 諸井慶一郎先生祭典講話要旨

7月月次祭 諸井慶一郎先生祭典講話要旨

 静岡大教会創立120周年に向けて取り組んでいる活動目標に、おつとめとおさづけをしっかり勤めさせて頂く事があるが、これについて5月から7月にかけて部内交流巡回を行った。そこで、この度は大教会でも諸井先生にお話頂けることになった。

 自分は、おさづけの理を拝戴した時お話しする、上席の立場にあり、三席目にあたる。そこでは、具体的におさづけの取り次ぎ方や心得について話している。おさづけは、取り次がないと、そのうちに忘れて取り次げなくなるので、戴いて帰ったらすぐに取り次ぐようにしてほしい。誰でもいいからとにかく取り次ぐ事が大切である。もし相手がいなければ、会長さんか奥さんでもいい。そこで間違っていれば教えてもらえるからである。どうか、気軽におさづけを取り次いでほしい。
 さて、自分が大教会長になって、3ヶ月の布教実習所を設立した。そこでは、とにかく毎日出歩いて、神様の話ができなければおさづけを取り次げるように頑張ってほしい。神様のお話ではなくて、雑談して親しくなれたらおさづけを取り次ぎ、その後神様のお話をすれば良いと話してある。これによって、人によっては、3ヶ月で100人〜300人取り次いだ者もいた。

諸井慶一郎先生

 山名では今の大教会長に代わってからも、おさづけの取り次ぎはしっかりさせて頂いている。やはり、証拠信心と言われるように利益を見せて頂かないと、信心が弱くなる。神様へのお願いが軽くなる欠点もあるが、朝夕のおつとめの後や祭典後に気軽に取り次いでいる。結果、皆礼儀正しく、身だしなみもよくなり、行儀もよくなった。また、人を敬う心が養われて、人からも受け入れられるようになった。
 おさづけは必ず日を切ってお願いする。三日三夜以上はしない。短いのは良い。どれだけ見せて頂けるかわからないが、すぐに結果を見せてもらえなければ、心得違いを反省し、もう一度仕切り直してお願いする。おさづけは、軽い身上に対してや、お礼を戴く事が気になると躊躇しやすい。しかし、重い病の時はお諭しも難しいので、おさづけがあると助かる。
 自分自身の体験談であるが、教祖百120年祭に向う3年前の1月11日午前2時頃、今の大教会長がまだ青年会本部の出版部長として夜中にあらきとうりょうの編集をしている時、突然脇腹から背中にかけて激痛があり、5分と仕切っておさづけを取り次いだところ、およそ1分で治まった。翌朝真っ黒な小便が出て、病院でみてもらったところ、石がつまっていたものが流れているとの事であった。心得違いがないか本人に尋ねたが、見当たらないとの事であったので、三年千日に入るから、おさづけをもっと取り次ぐようにとの思召しであったと悟らせて頂いた。一般的に家族の身上では、大変鮮やかに利益を見せて頂けるものである。
 また、いわゆる植物人間と言われる、回復の見込みのない病でのお引取りのお願いはした事がない。たいしょくてんの命の理であるが、心に真実があれば願っても良いと思うが、成っても成らいでも神様の良き様にして下さいと願う方が無難であろう。この事については、10年前に髄膜炎で植物人間となってしまった人におさづけを取り次いだところ、鮮やかに出直され、更には家族の方が、事情教会を受け持って下さった例がある。
 おさづけは、身内の身上の場合、諭しなしでも御守護頂戴する場合が多いが、いずれにしても、すっきり身上の御守護を頂戴するには、真実の心直しをしなければならない事を忘れてはならない。
 みかぐら歌の十二下りには、おさづけの意味合いが含まれている。大工の棟梁が四人いるとあるが、まず一番目のあらきとうりょうは、木材の枝打ちをするように、いんねんの話をしていんねんを切る役目、つまり、あしきはらいである。二番目のこざいくとうりょうは、ほぞ穴を作り、またゆるんだ穴をうめ木して合う様にする、たすけて頂く様やり直す役目、つまりたすけたまえである。三番目のたてまえ棟梁は、具財を積み立てる、縦割りを担う、理に叶うようにする役目、つまりてんりをうである。四番目のかんな棟梁は、木の表ずらを削る、仕上げする、伏せ込み、徳積みである役目、つまりみことである。合わせて、あしきはらいたすけたまえてんりをうのみことであり、十二下りのとどめになっている。
 以上、三三九度のおさづけを何度も取り次いで、大工の棟梁を引っぱり出して御守護戴けるよう勤めて頂きたい。