第11回全国業者青年交流会

 静岡県の参加者は、2日目の交流会終了後、帰途に着く前に、松代大本営に見学に行ってきました。この施設を簡単に説明しますと、第2次世界大戦の末期、米軍の本土空襲が激しくなってきたため、天皇を守り、指揮命令系統を維持するため、東京の中枢をここへまるごと移転する、という構想の元に造られました。実際にここが使われる前に終戦が宣言され、今はその跡地が貴重な資料として残されています。

 今回は時間の都合により、象山地下壕のみの見学となりました。少し狭く低い天井の坂道を下っていくと、幅の広い坑道がずっと続いています。そして、もう少し進むと、左右に同じように坑道が掘られていました。軍の中枢機関や天皇が入る場所であり、昔の京の都のように、碁盤のごとく造られていました。ここはその経緯上、何よりも完成を急がせていたわけですが、そのために朝鮮人や国内から多数の労働者が強制的に連れて来られました。そして粗末な食事の中で過酷な重労働、危険な作業を余儀なくされ、ここでも戦争の犠牲者が多数出ていたのです。

「不戦の誓い」記念碑

ガイドさんの説明に耳を傾ける

 この施設が使用されていたら、それこそ日本全体が戦争末期の惨い状態に晒されていたということを考えれば、本当に使われる状況にならなくて良かったと思います。しかし、先ほども書きましたが、ここを完成させるべく急いで造らせていたわけですが、その陰で、完成させて本土決戦に持ち込ませるため、沖縄での戦争はなるべく長引かせ、最終的には放棄するという決断をし、降伏・自決を許さないという凄惨な結末しか見えない命令を下していたとのことです。ここでも沖縄戦争の犠牲者を増やす原因が作られていました。
 皆さんも、もし近くに行くことがあったら、是非一度立ち寄って、戦争について考えてみてください。

平和を祈る千羽鶴が多数ありました