95.05.28丹沢 三国山1350m→湯船山1041.0m
日曜日 晴 単独
<コース>御殿場駅→籠坂峠→畑尾山→大洞山→三国山→明神峠→湯船山→峰坂峠→駿河小山駅
前2回はホトトギスやカッコウが未だ聞けなくて物足りなかったが、今回はツツドリも含めて聞けた。しかしジュウイチは聞かれなかった。この4種の託卵する同じ様な姿で声は大いに異なる渡鳥達が、山では一番初夏を感じさせる。新緑は素晴らしく、全行程平坦部の多い理想の縦走路だ。
三国山稜は18年前(78.01.02)雪の中、脚の痛いのを我慢してのものだった丈に、今度の印象は全く違ったものだった。湯船山稜は同好の方により手入れされた坦々とした緑のトンネルだった。16年前(80.01.15)不老山より縦走、湯船山で引き返したので明神峠〜湯船山の途切れていた赤線が繋がった。
籠坂峠から富士山宝永噴火による熔岩礫のザクザク道を緩く登って行くと、突然墓地に出て驚く。道を間違ったかと思った。真中を行くとやがて指導標が現われ安心する。花はミツバツチグリ、タチツボスミレ、ゴゼンタチバナ、クサボケ、トウゴクミツバツツジ。鳥はウグイス、センダイムシクイ、コマドリ、カッコウ、ホトトギス。
鞍部より右手に道があり一投足の山頂に寄り道する。木の幹に付けられたテープに畑尾山とあった。緑に包まれた鈍頂だ。エンレイソウ、シロバナエンレイソウ、マムシグサそして一般ハイキング道では見掛けないと言われるヤマシャクヤクがあった。4種共林間でひっそりと咲く割と大型の草だ。
鞍部に戻ると砂礫地にフジハタザオを見掛け、ここが富士と丹沢の接点である事を示していた。高曇りで遠景はパッとせずアザミ原のフジアザミの大株の中を緩やかに登る。948mピークで左折、角取神社奥宮入口の標示から1分で大洞山着。この先山中湖40分の分岐を過ぎ延々と緑の幅広尾根は続く。
↓畑尾山
10:55三国山着、ツツドリの声を遠くに聴きながら食事にする。凡そ目立たない草だが、丹沢に多いクワガタソウを見る。 東へと下ると送電線の先よりブナの巨木が多くなる。雪の日の幻想的な樹木に再会だ。 林道に出ると幅が広くなり舗装されバイクや車が行き交う。ハイカーは反対側に並行する道を行くようになる。
明神峠はすっかり様相が変わったが、箱根、愛鷹等展望はコース一だった。これより同好者に依る細かい解説付きの指導標が要所にあり、スズタケも刈払いされた気持の良い道だ。明神山は北を捲いて通る。ギンリョウソウ、ヤマツツジ、ウツギ、タニウツギ、ミズキの花を見る。 |
ブナの大木が散発的に続き、平頂の湯船山、白倉の頭を過ぎ13:28峰坂峠に着いた。疲れたがこれからの林道延々約10kmの下りが待っており、覚悟しなければならない。ショートカットする地図上の山道は見当たらず廃道化らしい。林道歩きではムシカリの花そしてアカシヤの群生を見る。
柳島の集落に下り着くと、早苗の水田が続く。農作業の方が木陰で休んでおられた。近付くと「今日は、駅へ行かれるの」と聞かれ、神社横の小道からが近いと教え、入口と思われる所で振り返って指すと頷き、入る時又見ると手を振って会釈して呉れた。脚は限度を超しているが爽やかな一日だった。
↓三国山のブナ
(追記)ドイツ人宣教師ハンス・シュトルテさんは1934年来日、教職の傍わら山登りを趣味とし、特に丹沢は未だ登山初期より詳しく、大倉尾根はお花畑を踏みしだかないと歩けなかったという。 「丹沢夜話」、続、続々と読んだ。現在は高齢の為、山登りは止められ丹沢湖巡り位で我慢されているそうだ。
しかしバス停、籠坂峠より標高差200m位で1300m迄登れ、平坦でブナ等が見事な事からこの三国山稜に80回近く通う事となった。その詳しい内容は"続々"に詳しい。それに依ると墓地は山中湖村営のものだそうだ。畑尾山には立派な道が通っているがハイキングコースから外れているので便利な割に秘境という。
<コースタイム>出発5:10→御殿場駅7:25→籠坂峠8:26→畑尾山9:15→大洞山9:59→三国山10:55→明神峠11:45→湯船山12:29→峰坂峠13:28→駿河小山駅15:52→帰着18:00
<歩いた距離>山道20km 車道12km 計32km |
<行動時間>8:26→15:52 歩行6:30 休止1:00 計7:30
<掛かった費用>¥2630
<使用地図>地理院2.5万 須走/駿河小山
<参照>続々丹沢夜話 有隣堂 ハンス・シュトルテ p35三国山稜 p164畑尾山 PR→続々丹沢夜話←PR
★山行の総括と近況★ 04.12.02
第1回山行、75(S50)10.26の石老山より、第233回の95(H7)05.28の三国山→湯船山に至る約20年の山歩き。(42〜62歳) 累計の数字として
歩行距離 :5109km
主に登った山々:522座
〃 峠 :261
山行回数 :233回
山行日数 :261日 となった。
気軽に始めた山登りだったが、そのうち山狂気になりピークハンター気味となるが、沢屋、岩屋は避け尾根屋、藪屋を好み偶の家族と以外単独行を通した。後半、仕事の関係でペースが落ち、95年伊豆に家を取得、03年仕事をやめ定住となる。04年現在、地元の山1回のみ。体調その他何かとあって伊豆の山々も中々行けないが、徐々に再開の予定です。
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