86.02.23奥多摩 吉野山505.8m→景信山727.1m 日曜日 晴 単独 <コース>藤野駅→吉野山→明王峠→景信山→小仏峠→高尾駅 藤野駅から沢井トンネルを抜けると、今日これから登る吉野山が沢井川と日野集落の上に見えて来た。南方尾根を廻り込んだ所に登り口がある。少し登ると送電鉄塔と畑のある地点に出て、中央高速や相模湖が見える。はっきりしない所もあるが割に良い道を行く。 東側が3年生ヒノキの植林地を少しの急登で8:30吉野山南の肩に着く。湖に転げ落ちそうな大パノラマだ。靄っているので富士は見えないが、丹沢や道志の山々が重畳している。高尾、景信、陣馬より良い、穴場だ。御握りとチョコレートで一服。北へ出発。
10:40明王峠、人が多くなる。これより堂所山迄で奥高尾縦走路の赤線が繋がった。雪の中に一人幅の踏跡が付けられ、人が来るとどちらかが避けねばならない。景信山からは凄い泥んこ道で、お汁粉とこんちわに悩まされる。
(付記1)矢の音:甲斐の武田と相模の北条の戦いで矢の音の飛び交った所。633mのピークを矢の音山としている記事もある。 (付記2)石投地蔵:天明の頃甲斐の武田一族の姫が常陸の国(茨城県)佐竹家に嫁したが 不縁となり乳呑み子を残して国に戻された。その後乳呑み子は美しい佐竹白百合姫となり乳母より真実を聞き母へ思慕の念から従士乳母を従え母の里甲洲へ目指し旅立った。 やがて明王峠にさしかゝった時に姫は激しい腹痛におそわれて草むらに倒れ伏してしまった。乳母は驚き従士を村里へ助けを求めに走らせ介抱に努めるも苦しみはつのるばかり、乳母は姫を背負い峠を下りはじめたが弱り果てた姫は苦痛の中から母上様と呼び息絶えた。 人里遠い山中の出来事に呆然とした乳母は姫の遺髪をとり手厚くこの地に葬った。村人達も白百合姫を哀れに思ひ地蔵尊を建て小石を供えて石投げ地蔵と呼び冥福を祈った。 資料 相模湖観光協会石投げ地蔵案内板 石投げ地蔵嬢ヶ塚の遺跡より。
雲迫り雪の峠路脚早む我が行く彼方山波遠し
<コースタイム>出発6:11→藤野駅7:35→吉野山9:03→633m峰10:00→明王峠10:40→景信山11:48→小仏峠12:35→高尾駅14:18→帰着15:30 |