青山白雲  84.01.01奥秩父 茅ヶ岳1703.5m→金ヶ岳1764m
日曜日、元日、前夜発日帰り 快晴 単独
<コース>韮崎駅→大明神登山口→茅ヶ岳→金ヶ岳→浄居寺→韮崎駅

茅ヶ岳→金ヶ岳  約2400km歩いた黒の軽登山靴も、先が駄目になり今度茶の軽を新調した。出来合いだが足首が軟らかく具合が良い。

 電車は楽に座れたが、途中で凄い胸焼けが始まり一時はUターンも考える程だった。軽く風邪気味だったのとライスカレーの食べ過ぎ? が原因かもしれない。下車する頃は大分収まり一応何とか行けそうだ。

 4:15地図と灯具を頼りに、闇夜に黒々と見える茅ヶ岳を目指し登山口迄約11kmを歩き出す。中央高速韮崎ICを過ぎると、二日月が東の丘擦れ々々に上向きに在り、鶏が鳴き出す。時刻は5:00夜明けには未だ2:00弱もある。

 ↓深田さんの板碑
深田さんの板碑  今度高度計を買った。町田を出る時標高50mに合わせた。韮崎駅で見たら当然ながら350mを指している。それから時々ポケットから出して見ながら、裾野を緩々と900m迄登り大明神登山口に着いた頃は、すっかり明るくなった。車が数台置いてある。

 少しで13年前(71、3、21)この山に登る途中、脳溢血で急逝された深田久弥さんを記念する小公園に寄り道する。石碑には「百の頂に百の喜びあり」という深田さんの言葉が刻まれていた。

 名著「日本百名山」を始め数々の作品、飾らぬ人柄で文章もあっさりした中に味わいあるもので、愛読している。私が山に踏み入る数年前に亡くなったとはつい最近知った事だ。

 長い車道歩きと風邪のせいか、右足の付け根が痛み出し、加えて夜行疲れと胸焼けの苦しい山登りが始まった。何か食べれば力が付くのだろうが全く食欲が無い。水の無い暗い女沢沿いの道を登って行くと、続々人が下りて来る。頂上で御来迎を拝し幸せそうな顔の方々だった。聞くと甲府や地元韮崎より車で2:00頃着いて登ったという。

 ↓茅ヶ岳より奥秩父主脈
茅ヶ岳より奥秩父主脈  女岩は一枚岩よりつららの下がる水場だ。ここよりごろ石とクヌギ、コナラの落葉に埋まって滑る急登に苦しんだ末、やっと稜線に立った。

 北東に奥秩父主脈が見えた。その手前下方に大きな電波塔の在る観音峠が見え、本当はここより曲ヶ岳→黒富士への予定だったが、体調が悪いので金ヶ岳迄頑張って南へ下山する。

 直ぐで深田さん終焉の地だった。地元山岳会の板碑があり蜜柑、餅、飴等の御供え物もあった。私も持参のウイスキーの小瓶を供え冥福を祈る。奥秩父が木の間に望まれる所だった。しばしの急登で山頂に、360°南ア、八ヶ岳、奥秩父、富士その間に中ア、北ア、浅間等が覗く。中でも甲府盆地北部を隔てての甲斐駒ヶ岳の迫力は凄い。展望狂と言われた深田さん、初めての山だったらしく、もう少しでこの景色を見られたのに等と考える。

 ↓浅尾原より八ヶ岳
浅尾原より八ヶ岳  北へ下ると雪が少しある。石門という大岩の穴を潜り登り返すと金ヶ岳南峰に、ダケカンバ、ツガが見られる。本峰(中峰)には展望櫓があった。

 茅ヶ岳からの八ヶ岳はこの山が右手を隠していたが、ここからは遮るもの無し。只木々が少し邪魔で櫓に登る。うどんを持って来たのだが料理するのも面倒でサンドウイッチ1切れを飲み込んだ。約30分休憩の後下山。

 滑る急降を約50m。樹々に物凄い量のサルオガセが付いている。カラマツ、シラカバが多く、ゴヨウマツも見られた。クロマツの林に入り日溜りで暫し横になる。そして羊羹、チョコレート、お茶で大分元気が出た。緩やかになり舗装され真っ直ぐの道は高く聳える南アルプスへと向かう。

 ↓浅尾原より甲斐駒ヶ岳
浅尾原より甲斐駒  浅尾原といい両側は東大宇宙線観測所の施設が建ち並ぶ。林を抜けると高原野菜畑に出た。

 あれだけ見た八ヶ岳が又々あっと言わせる程の姿を見せてくれた。富士は原の左手に上半を少し出している。ここからの早川尾根は堂々として立派な山に見える。

 浄居寺バス停でタクシーを捕まえられた。今日はパン一切れで一日歩いたが体重55→53kgで留まった。茅ヶ岳からは"日本の峰ベスト10"が見られるそうだが私には未だ富士と北岳位しか判らない。

<コースタイム>出発21:30→新宿駅(長野行最終)23:55→韮崎駅4:15→登山口6:47→稜線8:57→茅ヶ岳9:28→金ヶ岳10:34〜11:09→浄居寺14:07→帰着18:00
<歩いた距離>山道9km 車道17km 計26km
<行動時間>4:15→14:07 歩行8:30 休止1:20 計9:50
<掛かった費用>¥6220
<使用地図>地理院2.5万 若神子/茅ヶ岳/韮崎
<参考>甲斐の山山 新ハイキング社 小林経雄氏 p192〜194

<深田さん、参考資料>
 足を踏み出したままの姿勢で、巨木のように倒れ、深田君は一瞬にして意識を失ってしまったのだ。つまずいたのか、滑ったのかと駆寄った山村君は深田君が大きなイビキをかいたので、これは脳出血に違いないという。

 全く思いもかけぬことが、なんの前兆も予感もなく、突如として起こったのだ。僕達はただ茫然として、立ちつくすばかりであった。

 急を報じ救援を求めに山村君が山を下り、医師、警察署員を含む十五六名の救護隊の来着まで、約四時間半、僕達は眠った深田君の傍で、刻々色調の変ってゆく富士を眺めながら、黙然として、暗然として、悄然として佇んでいた。
  同行者のひとり、藤島敏男氏記。

(朝日新聞社 深田久弥 山の文庫6 山頂の憩い あとがき「深田久弥・その山と文学」近藤信行氏より)  PR→山頂の憩い←PR    
 板碑が現在は立派な石碑になったらしい。

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