第1日 3/21 小雨 三峰山→白岩小屋
明日は晴れるとの予報を信じて小雨の中を出発する。7っの交通機関を乗り継ぎ11:00三峰山頂に着く。雲が切れ山々が少し見えて来て雨も止んだ。先の方は積雪が未だ1m近くあり、アイスバーンになっているのでアイゼンを使うようにと駅で放送している。秩父方向が大展望。昔会社の連中とここ迄車で来た事がある。神社経営のバンガローが沢山在り、平坦な森林帯なので夏休みなどに利用するには良い所だ。
三峰神社の入り組んだ堂宇を過ぎ、奥秩父主脈縦走路の起点に立つ。連休で登下山者が多い中、私はまず左の道へ向かう。鞍部より岩場の登降少し先が妙法ヶ岳で奥宮が在る。三峰山が下の方に一望だ。お祈りの後縦走路に戻ると炭焼平という平坦地、これより氷結の登りとなりアイゼンを装着。地蔵峠に掛かる頃又雲が出て来てすっかり視界不良になった。
霧藻ヶ峰の休憩所のベンチで休んでいると、ヒガラが御主人のあげる餌を啄いばみに目の前にやって来て可愛い事。お清平を過ぎ前白岩山の登り辺りから又小雨になる。ダケカンバ、シラビソ、オオシラビソの森林を下った鞍部に白岩小屋はあった。小屋主はお爺さんでまずお茶をもてなしてくれた。水場は危険なので雪を融かして使うが、少しなら分けて上げるというと、溜めてある天水を気前よくくれた。貴重なので食器洗いは雪でするそうだ。
泊り客は約20名。去年の暮れ余ったゆで卵を、雪の中に保存して置いたのを食べろと配る。味は少々落ちるが皆珍しがって食べる。私は味噌汁と缶詰でインスタント赤飯を食べる。寝る時はあんかをくれたがこれがとても暖かだった。外は何時の間にかすっかり晴れ、星が煌めき遠く秩父の町の灯が・・・
19:00頃やっと寝ようと仕掛かった頃、ドヤドヤと大勢入って来る。アイゼンを付けずに足を踏み外し100m転落、脚と背中をやられた人を地元の救助隊が降ろして来たのだった。カップラーメン等で一息つき、興奮しながら救助の模様を語る人々を、只々見守る我々。
約1時間お騒がせしましたと出て行く。これから臨時運転のケーブルで降ろすのだそうだ。女の子等青くなって聞き入っていたが、アイゼン持ってるけど明日は付けようかしらと言っている。この日八ヶ岳で雪崩により数10名死亡、ここでも翌日霧藻ヶ峰で通行禁止のロープを無視して転落死と後で知る。(注)
第2日 3/22 快晴 白岩小屋→芋ノ木ドッケ→三っドッケ
↓奥秩父主脈縦走路白岩山付近
朝食に雑煮を食べていると、お爺さんがお茶を持って来てくれた。外は陽が射して来て快晴だが風が強い。一服の後お爺さんに挨拶を済ませ、6:20一番で出発。のっけから凄い氷結の急登だが、緩やかになるとダケカンバの小木の林立する縦走路は明るく、和名倉山、飛竜山等を眺めながら小広い白岩山頂に着く。芋ノ木ドッケとその奥に雲取山が近い。
これより縦走路を外れ1m余の積雪と倒木の中を、芋ノ木ドッケに直登、左折長沢背稜へと入る。ヤケトの頭手前で遠く両神山や白い浅間山を望む。桂谷の頭、長沢山と山稜は続き、この辺から見る芋ノ木ドッケは堂々たるもので白岩山は北の肩でしかない。雪は30〜40cm、ブナ、ウラジロモミ、ハリモミ、ヒノキ等の原生林を行く。
9:00水松山に達し、これで都県界尾根が赤線で全部繋がった。ブナの大倒木を攀じ登るリスを見た。ダケカンバの表皮が綺麗に削げ落ちていたのをお土産にする。坊主山に登ると、東の見える小平頂で登路は特に無いようだ。 |
花戸岩で休む、ここは3回目だが何時も静かで雄大な展望を楽しめる。横鈴尾根をひたすら下って行くと、すっかり奥多摩の雰囲気になって来た。明るい良い尾根だが歩幅に合わぬ階段が出来脇を歩く。ヨモギの若葉、早やタチツボスミレ、タンポポの花もぽつぽつ、東日原よりバスに乗るとフサザクラ、キブシの花も見られ下はすっかり春に入っていた。
↓長沢背稜より雲取山
<コースタイム>第1日:出発6:55→三峰山11:08〜11:27→妙法ヶ岳12:34→霧藻ヶ峰14:03〜14:16→前白岩山15:42→白岩小屋入16:00
第2日:出発6:20→白岩山6:41→芋ノ木ドッケ7:05→長沢山8:32→水松山9:01→坊主山11:27→花戸岩12:37〜13:01→東日原15:00→帰着19:05
<歩いた距離>第1日:山道9km 車道2km 計11km 第2日:山道27km
<行動時間>第1日:11:08→16:00 歩行4:05 休止:47 計4:52 第2日:6:20→15:00 歩行7:20 休止1:20 計8:40 |
<掛かった費用>¥4870(中、賽銭10 、小屋代2100)
<使用地図>昭文社4万奥秩父1 5万奥多摩
地理院2.5万 三峰/雲取山/武蔵日原
<参照>新ハイキング誌 No.386 雲取山の遭難
(注)私より先行していた斉藤 久氏という方がおられ、上記雑誌に記事を書かれているのを発見した。あの救助隊に居られた訳だ。小屋主に頼まれ救助に協力されている。小屋のボッカの少年で、軽装でアイゼンも着けさせず、後程お礼状をといった小屋主からは、少年のその後すらも報せて来なかった由。
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