青山白雲  81.05.03〜04丹沢 札掛
日/月 憲法記念日/振替休日 家族3人 
    ヤビツ峠→国民宿舎丹沢ホーム(泊)→物見峠

第1日 5/3 晴後小雨 ヤビツ峠越→札掛、丹沢ホーム泊
<コースタイム>出発12:50→大秦野駅14:15→ヤビツ峠15:15→札掛17:00

 私はアタックザックに重量物を、妻はスキーザックに衣類、娘はナップザックを背負って出発。予報が外れて晴れていたが、バスがヤビツ峠に着く頃より雨雲が来て途中でポツリと来る。雨具を着け北へ数km、休日で沢山通る車を避けながら歩く。吊橋で布川を渡り着いた札掛には、丹沢ホームの外に2〜3の山小屋が在る。

札掛  嘗ては炭焼きで多くの人家が在った由。このホームもクリスチャンの御主人、中村さんが戦後孤児を引き連れて始められ、大変な苦労をしながら今日に至ったそうだ。

 炭焼きが廃れて孤児たち約300人は巣立ち、宿をやるようになり自然保護運動に力を入れる今日という。

 それを支えたのは奥様の力が大きい事を著書「丹沢山暮らし」で述べておられる。訪れると出迎えられたのは往年の女優岡田嘉子さん似の上品な奥様だった。

 2階6帖で寛ぐ。風呂は離れの岩風呂風。中村さんらしき御年寄りをチラッと見掛けるが本の写真と大分違い痩せていたので判らなかった。ホールで丹沢保護協会の機関紙を見ると、大病をされた記を書かれており、今はこの協会や設立された自然保護連合の会長も退き、自適されているらしい。宿は娘さんが手伝い息子さんはヤビツの店、養魚場、キノコの経営等をされているそうだ。自然保護基金の箱に些少を入れる。

 夕食は山菜と塩魚、娘は普段食べない山菜に手を付ける。クリスチャングループの食前の歌と祈りが聞えて来る。今日は150人位泊まっている感じだ。雨が激しくなり20:45に寝る。

第2日 5/4 曇時々霧雨 一の沢考証林→一の沢峠→物見峠→煤ヶ谷
<コースタイム>起床4:45→散策5:00〜6:00→出発9:20→一の沢峠11:10黒岩辺昼食11:40〜12:50→物見峠14:45→煤ヶ谷16:30→帰着18:30

 4:30空が明るくなって来た、5:00娘は未だ眠っているので妻と散歩に出る。林道を上へ約1km、札掛自然観察路と称し丹沢自然保護協会の解説がある。奥深い原生林の美しさには妻も盛んに感嘆の声を上げる。何箇所かシカの道が林道を横切って付けられており、付近の草が大分食われている。クマタカが餌を咥えてモミの木より飛び立った。遥か下より沢音が聞こえる。

 フジが大きい長い実をぶら下げている。ウツギ、ニワトコが咲き、アカメガシワの若芽が赤い。その他ヤマザクラ、ケミヤマハンノキ、フサザクラ、イヌシデ、ヤブツバキ、スギ、アカマツ、エゴノキ、アワブキ等の樹々。崖より細く水流が落ちている。その辺よりブタの様な鳴声がしてビックリ。然し良く聞くと、水流が何処か見えぬが洞の様な所を通る時に出る音らしい。ガスっているせいか鳥声は聞かれなかったが朝の散策は気持良いものだ。
 ↓布川
布川  9:20にこやかな奥様にお世話様と挨拶して出発、林道より一の沢考証林のコースに入る。今日は雨のせいかツチグリが随分道端にある。

 ツクバネウツギの瑞々しい白花。そしてマムシグサの大きい仏炎苞に娘が驚き見とれる。又娘はヤッケでよく上が見えず横に出た枝に頭をぶつけ悲鳴を上げる。山では常に廻りに注意が必要だ。

 一の沢峠は通過し、黒岩手前の樹林で昼にする。霧雨も止んだ。妻の靴をフト見るとヤマヒルが着いている。峠辺からチクチクしていたそうだ。

 明るい河原の黒岩に出ると、崖にはハルユキノシタが群生している。この辺伐採、送電線と様相が変わりつつあるが川沿いの静かなコースは未だ健在だ。クジャクシダ、カンアオイそしてホタルカズラの瑠璃色の花。物見峠で一服して下山、正住寺に出ると、シャガが咲き乱れていた。

 一口メモ:ヤマヒル対策=塩水に浸したタオルを、脚の回りに巻く。ヤマヒルはナメクジと同じで塩に弱い。

<歩いた距離>第1日:山道1km 車道5km 計6km 第2日:山道10km 車道3km 計13km
<使用地図>昭文社4万 丹沢  地理院2.5万 大山/厚木
<参照>76.11.03物見峠〜ヤビツ峠
<掛かった費用>¥15240(中宿賃11200)

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