この先迷い、半原林道寄りに下ってしまい半原越迄登り返えす。経ヶ岳に向かうが又迷い、杉林の中をシャニムニ登り尾根道に戻る。7〜8人の中高年のグループが、これ又この辺を仏果山と思い迷っており教える。
↓仏果山より大山
サンショウの実が沢山採れた。帰って味噌汁に浮かべたら好い香りだった。アケビの実は皆採るので残ったのは高い所ばかりだ。食べたがあまりうまくない。テンプラにしても無味だ。会社の同僚に話すと、もっと肉の厚いのはうまいと言うが。
テレビで南海の島でのサバイバルゲームを見たが、ろくな食べ物も無い状況で主催者からバナナが提供された時、生まれてこんなおいしいバナナを食べた事が無いと皆大感激。置かれた環境にもよると思う。 |
大岩を回り込むと経ヶ岳頂上だが、見通しも無いパッとしない所だった。この先は更にひどいコースで、たまにある標識も字が読めない。そして凄い藪だが愛川町の赤い境界杭が50mおき位にあるのが頼りになった。迷い迷ってやっと開けた平らな所に出てホツとする。下に山砂採取場が見える。服に付いた約200ヶのヌスビトハギ等を取るのは大変で、特にニッカーは付きやすい。半僧坊バス停より眺めた仏果山はドッシリと好い形だった。
<歩いた距離>山道8km
<使用地図>昭文社4万 丹沢 地理院2.5万 上溝
<山名の由来>
仏果山=600年前、鎌倉建長寺の仏果禅師が、煤が谷に正住寺を開き、禅定を求めて籠った山と言う。
経ヶ岳=(別名、荻野富士)山頂手前にある大岩辺に弘法大師が経を納めた故事による。昔は山頂に経を埋めるのが一つの信仰だったらしい。メールマガジン"山のはなし"に よると、宮沢賢治にも、"経埋むべき山"という文章があり、岩手の幾つかの低山を挙げている。実際実行したかどうかはよく分からないらしいが。
(mm山のはなしNo.41〜59イーハトーブの山々を歩く、岩手山登家氏01.09.20)尚このマガジンはその後廃刊になった。
<仏果山の現在>03.02この奥に数年前、中津川を堰き止めて宮が瀬ダムが出来た。(私もこの後、今の内にと湖底に沈む地点から、丹沢主脈へヴァリエーションルートを辿った)このためこの辺は大分変ったらしい。仏果山も西の高取山も鉄塔の展望台があるとか。(mm山のはなしNo.61 Chifu氏 03.01.12)
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