びぼ9号 昭和51年2月20日発行

「きょうは、さるところで珍しい木を見てきたよ」
と、ご隠居さん。
「へぇー。それはまたどんな木で・・・・・・」
「幹が紫檀のようで、葉がまるくてな。花はふじいろに咲いて、大きな実がなる。それが濃い紫いろでな」
「ハテサテ、それは珍しいもの。ソシテ、なんという唐木(からき)ですかな」
と長屋の八っつぁん。
「茄子(なすび)という木じゃよ」
「ヘッ、そんじゃ唐木じゃなくて、唐変木じゃねえですかい」
「なんだ唐変木たぁ?」
「変わった唐木ですからねェ」
 古き良き時代の神田明神下の縁台将棋で、ご隠居さんと八っつぁんの地口のやりとり・・・・・・。
 それに比べて当方の横丁のご隠居さんは、相も変らぬ孫娘べったり。
 うらうらと襟もとが汗ばむほどの暖かい春の祭日の夕刻、駅前から乗ったバスに例によって可愛い小さいのをかかえて、ご隠居さん、この世の幸せを全部かかえこんだほどのごきげんさん。
「ほらほら、バスだよ。ほい、こんどはトラックだ。大っきいねぇ、いっぱいブーブーいるねぇ・・・・・・」
と、窓から外を指さしていっしょうけんめい孫娘をあやす。
「マンマ、マンマ」
と、彼女は窓ごしのパン屋、果物屋の前では大騒ぎ。
 ちょっと見ないうちに、頬がひきしまって目鼻立ちくっきり生き生きとした表情の動きがいかにも子供子供してきた。
「ほんとに可愛くなりましたねぇ、今日はまたどちらへ」
と声をかければ、
「いやぁ、お天気がいいもんでね。東大久保の次男の家へ遊びにいってきましてな。次男のところには、4歳と2歳の男の子が二人ですが、上の子が幼稚園に入ったというんでお祝いがてらに・・・・・・」
「それは、それは。男のお孫さんも、また一入でしょう」
「いやぁ、この子に比べて激しくてねぇ」
 バスがスーパーの前でとまったら突然おなじみのメロディーがとびこんできた。「およげたいやきくん」だ。とたんに、彼女おどり上がると手をふって大ニコニコ。
「大したもんですなぁ。この歌は。むこうの2歳の子は、ひなが一日、マイニチ、マイニチ・・・・・・とそれだけなんだが、ちゃんと節通りに歌うんですな。ボクラハテッパンノーがいえなくて、マイニチ、マイニチ、なんやらごちゃごちゃ・・・・・・そしてマイニチ、マイニチとやるんですなぁ。ちょうど嫁の友だちが遊びに来たんだが、タイヤキをお土産に持って来た。いやはや驚いたね。上の坊主はあっとゆう間に、あのタイヤキを3枚も平らげてケロッとしているんですよ。ジイちゃんが買っていった茶きん鮨をひとつペロっと食べたそのあとですよ。男の子というのはすごいですなぁ」
「およげ、たいやきくん」は、スーパーの軒下のたいやき屋でガンガン鳴っている。
 目敏くたいやき屋をみつけたご隠居さんの秘蔵っ子、たいやきを指さして「マンマ、マンマ」と大声。
「なんじゃ、お前さん、おなかが空いたんか。よし、よし。すぐお家だよ。家へかえってマンマ食べようね・・・・・・」
と、ご隠居さんのなんとも優しいこと、優しいこと。
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