びぼ8号 昭和51年1月20日発行

「翁(おきな)と媼(おうな)ってのが高砂にありやすねぇ、ご隠居さん」
「ああ、あるよ。それがどうしたのかね」
「あのジイさん、バアさん。どっちが熊手をもって、どっちが箒(ほうき)をもっていたんですかねぇ」
と、熊さん思案顔。
「なんだ、そんなこときまっているじゃないか。おまえ箒モッテ(ひゃくまで)わしゃしじゅうクマデ(九十九まで)だから、翁が箒で媼が熊手さ」
「そうですかいねェ。あっしゃ両方とも、熊手じゃねぇかと思うんですがねぇ。だってね、おまえひゃクマデ、わしゃくじゅうクマデっていうんじゃないですかい」
 と、まあ神田明神下の小春日和の縁台で、のんきな会話をかわしているというのは、銭形平次時代の江戸の下町のご隠居さん。
 当方の横丁のご隠居さんは、マル一歳と二ヵ月を過ぎた孫娘かわいやかわいやで、いよいよ夜も日もない病こうもうのてい。
「音楽好きの、歌好きの、マンガ好きの、自動車好きの、動物好きのと、いやはやこのごろはすっかり子供子供してきましたなあ。もう乳のみごの赤ン坊じゃないねぇ」
と、赤い靴をはかせたヨチヨチ歩きの彼女をうれしそうに見ながら、例によって散歩の途中での立ち話。たしかに、ご隠居さんが手放しで自慢するだけあって、よたよたしながらも、横丁の坂道をトットコとよく歩く。それでも、二、三十歩ゆくと、ご隠居さんの前に立ちふさがって、ヤッと両手を上げる。抱いてくれという信号らしい。
「なんじゃ。もう疲れたんかね。そらよッとよいしょ」
と、ご隠居さん、熊手で掻きよせるように抱きあげる。
「ヨイッショ・・・」
と、彼女も明るい声を上げ全身を躍動させてのうれしがりよう。
「なるほどねぇ、この子は反射神経がなかなか鋭敏ですな」
と、ほめれば、いつもの無口な方のご隠居さん、えたりやと自慢話がとまらなくなってしまった。
「喜怒哀楽の感情の表現が、赤ん坊ってのはこんなに激しいもんですかねぇ。わたしも少ない子持ちじゃないだが、この娘ぐらい、喜怒哀楽のハッキリしている子はなかったように思うんですよ。好きなモノは好き、嫌いなものは嫌い、実にハッキリしているねぇ。わたしの酒の肴みたいなもんが好きで、カステラみたいな甘いもんが嫌い。生ネギなんかバリバリ食うんだからね、もっともこいつはわたしの好物でね。昨夜はダイコンオロシをがぶっとやったところが、こいつべら棒に辛口ときていたもんで、大騒ぎでしたなあ。しかし慌てて吐き出しはしたものの、泣きもしないんですよ。・・・・・・」
 ご隠居さんの下町っこらしい歯切れのいい話に合わせるように、腕の中に楽々とおさまっている彼女も、ひと時も黙っていない。何やかやとめどもなく、キャラカラ、ケロリヨロと言葉にならない言葉を発している。
「なんやらさっぱりわからんけれど、話をしているつもりなんですか」
と聞くと
「いや、これは歌をうたっているんですよ。こいつのおふくろも、おばあさんも、父親もみんな歌好きなもんで、四六時中童謡をうたって聞かせるもんだから、こいつがキャラカラ、ケロリニャロっていうときは、歌なんですな。会話は、ハイッ、イヤッ、ジョジョ、どうぞのイミ。ボキャブラリーはそんなもんだが、こっちのいうコトバは、もうだいぶわかるようになりましたね・・・・・・」
「じゃ、バイバイ」
と、手をふったら彼女も紅葉のような手をご隠居さんの肩ごしにいそがしく振ってニッコリ笑った。
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